杉山城
Sugiyama Castle, Japan


登城日:
2007. 05. 14







杉山城は埼玉県のほぼ中央部、比企郡
嵐山町にある戦国時代の山城です。

城の西側の市野川に沿って鎌倉街道が走り
鉢形城、松山城の中間地点にあるため、
北条氏の対上杉氏の備えとして軍事上の
重要拠点だったと考えられているようです。

地図はこちらです→ Mapion

一説には松山城主上田氏の家臣・杉山主水の
居城だったとも言われていますが、
最近の発掘調査の結果では本郭の火災が元で、
15世紀後半から16世紀初頭には廃棄された
事が判明したようで、通説とは
年代にズレも出ているようです。

城郭は約8ヘクタールにも及び、丘陵地の
地形を生かして、10以上の郭を配しています。



この杉山城には土塁や空堀だけでなく、
馬出や枡形虎口のよる「横矢掛かり」の構造や
土塁の屏風折れや竪堀など、戦国山城の
防御技術の粋を集めたようなお城です。


この杉山城には鉢形城を訪れた後、
東武東上線で向かいました。

鉢形城の様子はこちらです。

のどかな田園風景を走り、途中の小川町で
乗り換えて武蔵嵐山まで30分程の列車の旅でした。
杉山城は武蔵嵐山駅から約2kmの道のりです

東武嵐山駅東口のバスにコミュニティーバスが
停まっていて、それに飛び乗りました。
このバスは杉山城の最寄の玉ノ岡中学を通らないので、
途中の嵐山町役場から杉山城址まで歩いて向かいました。

天気も良く、のどかな丘陵地が続き
気持ちのいいハイキングです。

15分程歩くと、玉ノ岡中を過ぎた所に
杉山城大手入り口の案内が現れ、
積善寺の脇を上って城址に向かいました。


急坂を上るとなだらかな開けた地形となり、
大手口の案内表示が出ていました。



大手口の先はいきなり起伏の激しい
空堀や土塁が迫っています。
当時はこの大手口も食違い虎口になっていたようです。

大手から外郭に至り、まずは東郭に向かいました。
東郭に至る間の屏風折れの土塁が見事です。



土塁の高さは3m程もあるでしょうか。
いくつか土塁と空堀が折れ曲がっています。

狭い通路になっているところを
抜けると空き地が広がりました。

ここが東二の郭です。



東二の郭の先には東三の郭が続き、
やや直線的な配置になっています。



城郭図を見ると当時は二つの郭の間には
空堀があり、防御性を高めていたようです。


東の郭から大手まで戻って木橋を渡り、
馬出から南三の郭へ向かいました。



今は竹を渡して簡易的に木橋を復元していますが、
当時はどんな作りだったのでしょうか。

木橋の右手には南三の郭があり、ここを渡る
敵兵は容易に狙い撃ちされてしまいそうです。

木橋を渡った馬出から狭い虎口を過ぎると
開けた南三の郭に出ました。



目の前に南二の郭の高い土塁が迫っています。



この南三の郭からは、南二の郭を通り、
本郭へと行くことが出来るのですが、
その前に、杉山城西側にある
井戸跡を見に行くことにしました。


井戸郭の一段低い帯郭を通っていきます。
竪堀がいくつもありました。



今まで、色々なお城で竪堀を見てきましたが、
杉山城の竪堀は、その構造が良くわかります。
竪堀に沿って登ってきた敵兵は
城内から狙い撃ちされた事でしょう。


右手、本郭の方向には一段高い
井戸郭への土塁が聳えていました。



やがて井戸跡が見えてきました。
井戸跡は大きな石で塞いでありました。



この井戸は、杉山城で唯一の井戸だそうです。
今でも、井戸からは水が滲みだしていました。

井戸跡からは西側の展望が開けていました。
寄せ手の軍勢がこの谷間に溢れている様子を
ふと思い浮かべていました。

井戸跡からは更に帯郭が続いていました。



深い竪堀が右上から左下にかけて貫いています。

井戸跡を眺め、再び南三の郭に戻り、
今度は本郭を目指します。

まずは南三の郭の前に聳える高い
土塁を越えて南二の郭に向かいました。



すると、今度は本郭の高い土塁が迫り圧巻です。



東南側を見下ろすと、大手口が見おろせます。
東二の郭へ向かう途中に通った屏風折れの
土塁と空堀の様子が良くわかりました。



南二の郭からは本郭への高い土塁を登れないので
西側にある井戸郭に出ました。
先ほどの井戸跡を見おろす位置にある郭です。

西側の展望が更に良く効きました。



この井戸郭から本郭へ向かうのですが、
ここには幅約2メートルの深い空堀があります。
当時は木橋が架かっていたようですが、
今は空堀の急な起伏を通って行かないと
本郭に辿り着けません。

急な斜面を駆け下りたのですが、
思わず転びそうになってしまいました。


本郭は高さ1〜2m程の土塁で囲われていました。



適度に木々が生い茂り、静かな雰囲気です。
本郭に建つ城址碑と案内板です。



この杉山城址は個人の方の所有地になっているそうですが、
草が刈られていたり、各郭には案内板が立てられていたりと
かなりよく整備されています。

本丸の片隅には社もありました。
社の脇の大木の枝が風に揺られ、
その度に悲しそうな響きの音を
出していてちょっと不気味でした。


その木の脇を抜け、北の郭へ向かいました。
本郭裏の虎口の土塁と堀の起伏がとても大きく、
この虎口を通る時に、本郭にいる城兵から
横矢を受けるのが実感出来ました。



お城の構造については、本で知識を仕入れても、
現地でなかなか理解が出来なかったのですが、
この杉山城では、遺構がしっかりと残っているのと
案内板が整備されているので、とてもよく判ります。

虎口を抜けた北の郭も二段の郭に分かれています。
郭と郭の間の大きな堀切です。



この北の郭は絡手口に続いています。



大きな堀切で郭が区切られているのですが、
本郭の規模の大きな堀や虎口を見た後では、
備えが弱い様に見えてしまいました。


こじんまりとした杉山城ですが、
城郭の遺構が良く残り、しかも
とても親切な案内があって、
見応えのある中世の山城でした。

この杉山城を訪れて、一層山城の
魅力に惹きつけられてしまいました。


杉山城を辞し、市野川に向かう途中で
振り返って眺めた杉山城址です。



当時は木は生い茂ってなかったと思いますが、
麦の穂の広がる平地の向こうに
聳える杉山城を眺めていると
郭の建物やお城に詰めている
城兵の様子が目に浮かんでくるようでした。


杉山城を後に、次は菅谷館に向かいました。

菅谷館の様子はこちらです。



"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る