新井城
Arai Castle, Japan

登城日:
2012. 4. 10

【新井城 概要】

新井城は三浦半島先端に近い半島の西側にある油壷湾と
小網代湾との間の岬状の高台にあったお城です。
鎌倉幕府の有力御家人だった三浦氏の居城の一つでした。

三浦氏は1247年(宝知元年)に、北条氏によって
滅ぼされますが、三浦盛時によって再興されました。

1494年(明応3年)に、三浦氏の当主・三浦時高の後継争いが起き、
三浦義同が三浦氏の当主となりますが、1512年(永正9年)から
1516年(永正13年)にかけ北条早雲によって攻め込まれ、
3年間の籠城戦の末に滅んでいます。

北条早雲の居城だった興国寺城の登城記はこちらです。
油壷の散策記はこちらです。

東京大学の臨海実験所が新井城の本曲輪の跡に建っています。
城域は広く、北東に2km以上離れた引橋が、新井城の護りの要で、
ここに掛かっていた橋を、籠城した三浦氏が落としたため、
北条早雲軍の攻城は難航したそうです。

【新井城へのアクセス】

京浜急行電鉄の三崎口駅から油壷温泉行バス。
所要時間約13分、運賃は310円です(2023年11月現在)。
新井城址までは、バス停から徒歩約5分です。

三崎口までの京浜急行久里浜線の乗車記はこちらです。

【新井城登城記】

新井城の主だった郭は、東京大学の研究施設の
敷地内になっていて、立ち入りが禁止されています。


撮影: 2012年4月

その敷地の周囲を通る遊歩道があり、その道を辿ってみました。


撮影: 2012年4月

遊歩道右手の土盛が新井城の土塁と思います。
この先に、新井城の案内板がありました。



フェンスの先には、空堀と思しき地形が見えていました。
立ち入り禁止で散策出来ないのが、残念です。


撮影: 2012年4月

散策路を下り、油壷湾沿いから眺める岬の様子です。


撮影: 2012年4月

新井城へは急な勾配となっていて、
海から上陸するのは難しかったと思います。

油壷の散策記はこちらです。

油壷の岬の北側には、新井城の最後の城主となった
三浦義同(道寸)のお墓があり、そちらに行ってみました。


撮影: 2012年4月

三浦義同のお墓へ向かう道の様子です。
木が生い茂り、密林のような感じでした。

密林の中にひっそりと佇む三浦義同のお墓です。


撮影: 2012年4月

援軍の無い中、3年間にわたる籠城戦を戦うというのは、
余程の強靭な精神力が必要だったことと思います。
三浦義同のお墓に静かに手を合わせました。

北条早雲に攻められた三浦氏が断ち切った引橋は、
この新井城の主郭から2km以上も東にありました。
三崎口駅から三崎の集落に向かう主要道路沿いに
引橋というバス停があり、そのあたりにあったようです。


撮影: 2012年12月

引橋の地形は、深く切れ込んだ谷になっていました。
この谷沿いには家屋もなく、雄大な地形を
眺めることが出来ました。

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