真壁城は、真壁長幹によって1172年
初代の真壁長幹は1189年(文治5年)の奥州
その後、13代朝幹は、1416年(応永23年)の
そして1602年(慶長7年)に、真壁氏の主君・
その後、1606年(慶長15年)に浅野長政が
真壁城は真壁の集落の東側の小高い台地に主郭を配し、
真壁城の更に西には真壁の古い町並みが残っています。
本丸跡には真壁体育館が建っています。
本丸の西側に、二之丸、中城、そして外曲輪と
真壁へは、水戸線岩瀬駅から約35分、
料金はいずれも200円です。
バスの時刻表は こちら を参照願います:
真壁城を訪れた2011年9月は、真壁に向かう
真壁には、つくばエクスプレスのつくば駅から
真壁城の散策は、都市化を免れ、堀や土塁が
真壁城址の北側からアクセスします。
正面に筑波山が見えます。
土塁は二重に築かれ、その間に堀が配されています。
土塁の切れ目から真壁城址に入ると、
外曲輪の跡が広がっていました。
西側には、中城との間の堀を隔て、その向こうの
下の写真は外曲輪と中城との間のIIIの堀です。
整備された城内道を南に向かうと、
この先の城内道の十字路を左に折れ、
古びた社の後ろには高い土塁が残っていました。
真壁城の土塁は復元されたものが多いのですが、
先ほどの十字路まで戻りました。
虎口を抜け、左手に折れると、
土塁が途中で途切れています。
土塁の西の端から再び城内に入り、
体育館の建物も近くに見えて来ました。
二の丸の土塁も高いのですが、この辺りは
坂道の途中から振り返ると、
二の丸は、本丸の周りを帯状にぐるりと
土橋のように、Iの堀の間を進むと、
本丸跡には体育館とトレーニングセンター、
体育館建設の際に遺構は全て壊されたという
2011年9月に訪れましたが、その半年前の
この後、真壁の古い町並みを散策しましたが、
この土塁はとても立派で印象に残るものでした。
浅野長政が居城を笠間城に移したのち、
Malabe Castle, Japan
登城日:
2011. 9. 17
(承安2年)に築城されています。
藤原泰衡征伐に参戦し、6代・幹重は、
南北朝の戦いで、北畠親房に着き、
北朝側に攻められています。
上杉禅秀の乱の平定に関わり、17代・久幹は
小田氏治、北条氏直との戦を行っています。
佐竹氏が秋田に移封となると、真壁氏も
佐竹氏に伴い、角館に移りました。
5万石で入城しますが、1622年(元和8年)に
長政の子・浅野長重が笠間城に移ると
真壁城は廃城となりました。
東西に城域が広がっていたそうですが、西側は都市化で
城郭が壊され、東側の低湿地の曲輪跡が残っています。
その建設の際に遺構は壊されているようです。
連なり、堀や土塁が復元されていました。
大和駅入口から20分程です。
また、筑波山口からもバスが出ています。
公共交通機関はなく、陸の孤島状態でした。
バスで筑波山口に向かいレンタサイクルしました。
筑波山口からは、筑波鉄道の廃線跡を走りました。
復元されている本丸の東側を中心に行いました。
外掘に沿って立派な土塁が築かれ、
その一部が虎口として開いています。
撮影: 2011年9月
外曲輪に沿って築かれた土塁の様子です。
撮影: 2011年9月
真壁城の守りがとても堅かった事がわかります。
撮影: 2011年9月
撮影: 2011年9月
丘の上の本丸跡に建つ体育館も見えています。
撮影: 2011年9月
この辺りは、建物跡こそ残っていませんが、
当時の様子を思い浮かべられる程に
適度に整備されています。
撮影: 2011年9月
左手に鹿島神社の杜が見えて来ました。
あの杜の辺りまでが当時の城域でした。
撮影: 2011年9月
鹿島神社に向かってみました。
撮影: 2011年9月
この土塁は当時のものが残っているそうです。
南側は土塁が左右に延び、城内道は
土塁に設けられた虎口へと向かいました。
撮影: 2011年9月
高く立派な土塁が続いていました。
撮影: 2011年9月
この途切れた部分から土塁に上ってみると、
IIIの堀から低湿地が続いていることがわかります。
当時は水堀になって敵の侵入を防いでいたのでしょうか。
撮影: 2011年9月
北に向かうと、IIの堀に出ました。
撮影: 2011年9月
この先で、二の丸を経由して本丸跡の
体育館へと向かう道が続いています。
撮影: 2011年9月
体育館建設の際に、調査に基づかずに、
土盛りがされたという話もあるようです。
復元された外堀の土塁が見えていました。
撮影: 2011年9月
取り囲んでいたようですが、その幅は狭く
すぐに本丸との間のIの堀がありました。
撮影: 2011年9月
本丸跡に建つ真壁体育館に辿り着きました。
撮影: 2011年9月
そして駐車場があります。
撮影: 2011年9月
事ですが、本丸の北側には当時から残る
子育稲荷神社がありました。
撮影: 2011年9月
東日本大震災の際の揺れで倒れた燈籠が
そのままになっていました。
真壁を去る前に、真壁城址の南側から
土塁の様子を眺めてみました。
撮影: 2011年9月
真壁城は廃城となりましたが、浅野氏は
真壁に陣屋を築き、この地を治めました。