真壁城
Malabe Castle, Japan

登城日:
2011. 9. 17

【真壁城 概要】

真壁城は、真壁長幹によって1172年
(承安2年)に築城されています。

初代の真壁長幹は1189年(文治5年)の奥州
藤原泰衡征伐に参戦し、6代・幹重は、
南北朝の戦いで、北畠親房に着き、
北朝側に攻められています。

その後、13代朝幹は、1416年(応永23年)の
上杉禅秀の乱の平定に関わり、17代・久幹は
小田氏治、北条氏直との戦を行っています。

そして1602年(慶長7年)に、真壁氏の主君・
佐竹氏が秋田に移封となると、真壁氏も
佐竹氏に伴い、角館に移りました。

その後、1606年(慶長15年)に浅野長政が
5万石で入城しますが、1622年(元和8年)に
長政の子・浅野長重が笠間城に移ると
真壁城は廃城となりました。

真壁城は真壁の集落の東側の小高い台地に主郭を配し、
東西に城域が広がっていたそうですが、西側は都市化で
城郭が壊され、東側の低湿地の曲輪跡が残っています。

真壁城の更に西には真壁の古い町並みが残っています。

真壁の散策記はこちらです。

本丸跡には真壁体育館が建っています。
その建設の際に遺構は壊されているようです。

本丸の西側に、二之丸、中城、そして外曲輪と
連なり、堀や土塁が復元されていました。

【真壁城へのアクセス】

真壁へは、水戸線岩瀬駅から約35分、
大和駅入口から20分程です。
また、筑波山口からもバスが出ています。

料金はいずれも200円です。

バスの時刻表は こちら を参照願います:
https://www.city.sakuragawa.lg.jp/jgcms/admin30859/data/doc/1598935043_doc_23_0.pdf

真壁城を訪れた2011年9月は、真壁に向かう
公共交通機関はなく、陸の孤島状態でした。

真壁には、つくばエクスプレスのつくば駅から
バスで筑波山口に向かいレンタサイクルしました。
筑波山口からは、筑波鉄道の廃線跡を走りました。

筑波鉄道筑波線の廃線跡はこちらです。

【真壁城登城記】

真壁城の散策は、都市化を免れ、堀や土塁が
復元されている本丸の東側を中心に行いました。

真壁城址の北側からアクセスします。
外掘に沿って立派な土塁が築かれ、
その一部が虎口として開いています。


撮影: 2011年9月

正面に筑波山が見えます。
外曲輪に沿って築かれた土塁の様子です。


撮影: 2011年9月

土塁は二重に築かれ、その間に堀が配されています。
真壁城の守りがとても堅かった事がわかります。


撮影: 2011年9月

土塁の切れ目から真壁城址に入ると、 外曲輪の跡が広がっていました。


撮影: 2011年9月

西側には、中城との間の堀を隔て、その向こうの
丘の上の本丸跡に建つ体育館も見えています。


撮影: 2011年9月

下の写真は外曲輪と中城との間のIIIの堀です。
この辺りは、建物跡こそ残っていませんが、
当時の様子を思い浮かべられる程に
適度に整備されています。


撮影: 2011年9月

整備された城内道を南に向かうと、
左手に鹿島神社の杜が見えて来ました。
あの杜の辺りまでが当時の城域でした。


撮影: 2011年9月

この先の城内道の十字路を左に折れ、
鹿島神社に向かってみました。

古びた社の後ろには高い土塁が残っていました。


撮影: 2011年9月

真壁城の土塁は復元されたものが多いのですが、
この土塁は当時のものが残っているそうです。

先ほどの十字路まで戻りました。
南側は土塁が左右に延び、城内道は
土塁に設けられた虎口へと向かいました。


撮影: 2011年9月

虎口を抜け、左手に折れると、
高く立派な土塁が続いていました。


撮影: 2011年9月

土塁が途中で途切れています。
この途切れた部分から土塁に上ってみると、
IIIの堀から低湿地が続いていることがわかります。
当時は水堀になって敵の侵入を防いでいたのでしょうか。


撮影: 2011年9月

土塁の西の端から再び城内に入り、
北に向かうと、IIの堀に出ました。


撮影: 2011年9月

体育館の建物も近くに見えて来ました。
この先で、二の丸を経由して本丸跡の
体育館へと向かう道が続いています。


撮影: 2011年9月

二の丸の土塁も高いのですが、この辺りは
体育館建設の際に、調査に基づかずに、
土盛りがされたという話もあるようです。

坂道の途中から振り返ると、
復元された外堀の土塁が見えていました。


撮影: 2011年9月

二の丸は、本丸の周りを帯状にぐるりと
取り囲んでいたようですが、その幅は狭く
すぐに本丸との間のIの堀がありました。


撮影: 2011年9月

土橋のように、Iの堀の間を進むと、
本丸跡に建つ真壁体育館に辿り着きました。


撮影: 2011年9月

本丸跡には体育館とトレーニングセンター、
そして駐車場があります。


撮影: 2011年9月

体育館建設の際に遺構は全て壊されたという
事ですが、本丸の北側には当時から残る
子育稲荷神社がありました。


撮影: 2011年9月

2011年9月に訪れましたが、その半年前の
東日本大震災の際の揺れで倒れた燈籠が
そのままになっていました。

この後、真壁の古い町並みを散策しましたが、
真壁を去る前に、真壁城址の南側から
土塁の様子を眺めてみました。


撮影: 2011年9月

この土塁はとても立派で印象に残るものでした。

浅野長政が居城を笠間城に移したのち、
真壁城は廃城となりましたが、浅野氏は
真壁に陣屋を築き、この地を治めました。

真壁陣屋の登城記はこちらです。

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