三崎城は三浦半島先端の高台に築かれた古城です。
1494年(明応3年)に、三浦義同が三浦氏の当主となりますが、
北条早雲が三浦義同(道寸)を滅ぼした後は
三崎城は、現在の三浦市役所や
市役所の分館の場所が本丸で、その周囲に
京浜急行電鉄三崎口駅から三崎港行バスで、三崎東岡下車。
新井城址を訪れた後、バスを乗り継いで、
三浦市役所の入口の様子です。
市役所本間の一段上には、三崎中学校がありました。
中学校の南側、坂道を登り切ったところに
この体育館が本丸跡に建っているようです。
この案内板が建っている一角は、本丸の北側に
堀跡の道を東に進むと、青少年会館がありました。
先ほどの体育館もこの青少年会館も今は取り壊され、
訪れた当時は、体育館や青少年会館の南側に駐車場がありました。
駐車場の端からは、三崎港を見下ろす事が出来ました。
1518年(永正15年)に北条早雲によって三浦氏が滅ぼされた時、
三浦市役所からバス通りに出て、急坂を下りました。
この坂道も三崎城の堀跡のようです。
本丸からは少し離れていますが、
この後、三崎港周辺を散策した際に、
城址からも港が手に取るように見えていましたが、
当時は、この港に多くの軍船が停泊していた事と思います。
Misaki Castle, Japan
登城日:
2012. 4. 10
鎌倉幕府の有力御家人だった三浦氏が、新井城の
後詰めの城として、また水軍基地としていたようです。
北条早雲によって攻め込まれ、1518年(永正12年)に
3年間の籠城戦の末に滅んでいます。
後北条氏が支配していましたが、1590年(天正18年)に
後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると、廃城となりました。
三崎中学校、三崎小学校辺りが城郭でした。
曲輪が幾重にも取り囲んでいたようです。
所要時間約13分、運賃は280円です(2023年11月現在)。
三崎城址までは、バス停から徒歩約5分です。
三崎港行のバスに乗り、三崎東岡で下車しました。
少し歩いて、三浦市役所へと向かいました。
撮影: 2012年4月
坂道を上ると駐車場と三浦市役所の本館がありました。
ここも曲輪の一つでした。
撮影: 2012年4月
当時は、三之丸にあたるような曲輪でした。
今は閉校になり、図書館になっているようです。
その図書館の裏側に当時の土塁が残っているようです。
撮影: 2012年4月
体育館がありました。
撮影: 2012年4月
上の写真、斜め左に向かう道は堀跡の様で、
その途中に城址碑と案内板がありました。
撮影: 2012年4月
突き出た馬出の跡と思います。
青少年会館は、二の丸に相当する曲輪にありました。
撮影: 2012年4月
広大な空き地が広がっているようです。
その駐車場の周囲には、三崎城の土塁が残っていたようです。
撮影: 2012年4月
三崎港の南側にある城ケ崎へ向かう橋も見えています。
撮影: 2012年4月
三崎城の城兵の多くが城ケ崎に逃げ落ち、北条氏に対する
抵抗をつづけたそうです。
撮影: 2012年12月
切通のところが堀切になっていたと思います。
この先、右手に三崎小学校があります。
撮影: 2012年12月
ここにも三崎城の曲輪がありました。
港から三崎城址を見上げてみました。
撮影: 2012年12月
下から見ても港のすぐ近くにあり、湾を守るには
最適な場所に城が築かれていたことが分かります。