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長岡城は堀直竒(なおより)によって
1617年(元和3年)に築城されたお城です。
その翌年に越後国長峰領主だった牧野忠成が
長岡藩7万4千石の藩主として移封されました。
以降、幕末まで譜代大名・牧野氏が
13代、250年間にわたって
この長岡の地を治めました。
牧野氏は三河の国・牛久保の出身で、
三河の質実剛健の気風が長岡藩に息づき、
「常在戦場」の四文字を長岡藩士の
心意気として敬愛したそうです。
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これは元旦に登城する家臣らを描いたようですが、
この絵に描かれた長岡城の跡が全く残っておらずに
市街地化されてしまっているのは残念です。
駅前広場には本丸跡の碑が残されていました。
駅前広場から眺める長岡駅の様子です。
ここにあの雪の登城図に描かれた
御三階櫓を含め、多くの櫓群が
建っていたのが、想像も出来ません。
駅前通りの左手に建つ厚生会館が
二の丸跡ということなので、
そちらにも行ってみました。
近代的な建物の厚生会館の脇に
立派な碑がありました。
その脇にひっそりと佇む
城内稲荷神社です。
残念ながら長岡城址として偲ぶものは、
この二つの碑しかないようです。
長岡市は、東南に3km程の悠久山公園に
御三階櫓を模した郷土資料館を建てて
少しでもその様子を後世に残しています。
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