高岡城
Takaoka Castle, Japan


登城日:
2006. 07. 30






地図はこちらです→ Mapion


高岡城は、加賀藩二代目藩主・
前田利長によって築かれたお城です。

1605年(慶長10年)に隠居し、富山城に居た利長ですが、
居城の富山城が火災に遭ったので、
加賀・能登・越中三国の中心に位置し、
交通と水運の要のこの地にお城を建てたそうです。

築城が開始されたのは1609年(慶長14年)5月。
9月13日には利長は入城したそうで、
いかに慌しく工事が行われたかがわかります。


富山城の様子はこちらです。

お城の縄張りは、キリシタン大名として知られ
その後前田家に身を寄せていた
高山右近が担当したそうです。

その縄張りは、本丸や曲輪の周囲を
壮大な水濠で囲った、堅牢な構えとなっています。



これは現地案内板です。

上の一番面積の広い曲輪が本丸、
その左が二の丸です。
水濠を隔てて、その下に左から
鍛冶丸、明き丸そして三の丸です。

この図を見ると以下に水濠が多くの
面積を占めているのかがわかります。



高岡城へは、高岡駅から歩いて向かいました。
15分ほどで古城公園に到着です。

大手口の入り口に高山右近の像が立っていました。



大手口から水濠に囲まれた鍛冶丸を目指します。



両側に水濠が迫り、狭い通路を抜けて鍛冶丸に入りました。
鍛冶丸から二の丸を抜け、本丸へと向かいました。

本丸はその半分は射水神社の境内となっていて
残りの半分が芝生広場になっています。
射水神社の本殿は修理中だったので、
お参りもせずに芝生公園に向かいました。



青空の下、広々とした空間が
気持ちが良かったです。
この芝生広場の隅に前田利長の
騎乗の像がありました。



先の尖った兜をかぶり、
さっそうとした姿です。

その像の近くには当時の井戸が残っていました。



高岡城の遺構は、水濠や土塁以外は殆ど残っておらず、
僅かにこの井戸や本丸入り口の石垣が残る程度です。

本丸とその背後の水濠とはかなり高低差がありました。
坂道を下り、赤い欄干の橋を渡って対岸に渡ります。



本丸を取り巻く水濠は一段と幅が広く
濠の中に噴水がありました。



この広い濠が高岡城の守りだったのでしょう。


この高岡城が出来て6年後の1616年(元和元年)、
大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼした徳川幕府は
「一国一城令」を公布しました。

これにより高岡城は廃城となってしまいました。
これだけの規模のお城が築城から
僅か6年で廃城になってしまったとは驚きです。

加賀藩は廃城後も高岡城の土塁や水濠を
幕府の目を逃れ、そのままに保ったそうです。

この高岡城は「日本、100名城」に選ばれています。
この立派な水濠の遺構故と思います。



"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る