富山城
Toyama Castle, Japan


登城日:
2006. 07. 30







地図はこちらです→ Mapion


富山城は富山市の中心部に位置するお城です。
1543年(天文12年)に越中守護代の神保氏が築城したそうですが、
それ以前に築城の歴史が遡る可能性もあるそうです。

その後、富山城は神保氏、上杉氏や一向宗の間で
抗争の地となり領主は目まぐるしく変わったそうです。

1582年(天正10年)には織田信長家臣の
佐々成政が入城したのですが、
本能寺の変の後、佐々成政は秀吉との争いに負け、
富山城は一旦廃城になったようです。

その後、加賀藩二代藩主の前田利長が整備し、
隠居後の居城として入城したそうです。
しかし、大火により利長が高岡城に移ると
再び廃城の憂き目に遭います。

1639年(寛永16年)に富山藩が加賀藩から
分藩されると富山城は再び蘇り、以降明治まで
富山前田家の居城となったようです。

高岡城の様子はこちらです。


富山駅前から大学前行きの路面電車に乗り、
丸の内で下車し、お城に向かいます。



お堀端の整備工事が行われているようで、
重機の向こうに模擬天守閣が見えていました。

お堀内堀)に沿って歩き、
模擬天守閣の方に向かいます。



この天守閣は、1954年(昭和29年)に建てられたものです。
江戸時代の富山城には天守はなかったそうで、
この天守閣も、残念ながら当時の天守を
復元したものではないようです。

模擬天守閣の近くの石垣も修復中で
安全柵に囲まれた通路を通って城内に入りました。



富山城の城郭の案内板です。



当時は神通川が大きく蛇行し、富山城の
すぐ北側を通っていた事がわかります。

本丸とその南側の二の丸の間の内堀と
本丸と西の丸の曲輪を除いて
昔の城郭はすっかり市街地化
されてしまっているようです。

早速、模擬天守閣に上ってみました。
ここは郷土資料館になっています。
最近新装されたのか、富山や富山城の歴史が判りやすく、
しかもとても充実した内容で展示されていました。



上の写真は天守閣の展望台からの眺めです。
木々の中に見える緑色の櫓風の建物は美術館です。

天守閣を出て、本丸から東出丸の方へ行きました。
美術館の脇に、多分当時のものと
思われる石垣が残っていました。



そして、その向こうには碑が建っています。
幕末の頃建てられた千歳御殿跡の碑でした。



この碑を見た後、本丸跡から西の丸跡を通り、
再び路面電車の丸の内停留場まで戻りました。

日曜日の午後、訪れる人も少なくひっそりとしていました。



"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る