上原城
Ruin of Uehara Fort, Japan
登城日:
2008. 09. 30
上原城は諏訪盆地の東にあり、
車山から伸びる山塊が盆地に突き出した
金比羅山の頂に築かれています。
上原城は室町時代の後期、1466年(文正元年)頃に
諏訪惣領家当主の信満が金比羅山の中腹に館を構え、
上原郷に城下町を築いたとされています。
上原城はJR中央東線、茅野駅の北
約2.5km程のところにあります。
地図はこちらです→
諏訪信満が上原城を築いてから約70年間、
信満 - 政満 - 頼満 - 頼隆 - 頼重と
5代続いた諏訪氏ですが、1542年(天正10年)に
武田信玄によって攻め滅ぼされてしまいます。
諏訪氏が滅んだ後は、信玄は郡代として
板垣信方をこの上原城に在中させていたそうです。
その上原城も、1582年(天正10年)、
武田勝頼が織田信長によって滅ぼされると、
廃城になってしまったそうです。
上原城は、標高978mの金比羅山の
山頂付近に本郭、二の郭、三の郭があり、
山の中腹の板垣平と呼ばれる平地に
館跡があったようです。
上原城は、上記のように
JR中央東線の茅野駅の北、
約2.5km程のところにあります。
上原城を訪れた際には、距離があることと
山を登るので、駅でレンタカーを借りてしまいました。
【上原城登城記】
諏訪惣領家の居城だった上原城は、
徳川家康によって大名に取り立てられ、
諏訪氏を再興した諏訪頼水公によって創建された
頼岳寺の脇の道を登ったところにあります。
頼岳寺の様子はこちらです。
この時は茅野駅からレンタカーを借りたので
急な坂道も楽に上っていけました。
しばらく上ると、山の中腹に
平地が現れてきました。
板垣平です。
上原城が諏訪氏の居城だった
頃にはその居館が建てられ、
武田氏が諏訪を支配していた頃には
ここに諏訪郡代が置かれていそうです。
信玄は郡代として板垣信方を
上原城に在中させていたので、
この諏訪氏館跡を板垣平と
呼ぶようになったと思います。
板垣平の下のほうには、
石垣らしきものも見えていました。
ふと気がつくと「上原城」の大きな看板が掲げられていて、
麓の街並みから板垣平の場所が判るようになっていました。
この板垣平から更に車を走らせ、
細い山道を登っていくと、上原城の
主郭の入り口が見えてきました。
この脇に車を止め、
上原城の主郭へと向かいました。
山の斜面に沿う細い道が続いていました。
歩き出してすぐ左手に堀切が見えてきました。
この堀切は深く切れ込み一目でそれと判ります。
細い山道を進んでいくと、左手下に
茅野の街並みが見えてきました。
山道に沿って石仏がいくつもありました。
お城巡りとうよりも、山奥のお寺を
訪ねているような趣になりました。
やがて、大きな岩が山肌に現れ、
「御嶽山大神」と記された石碑もありました。
小さな石の社や石仏も飾られ、
霊験あらかたという雰囲気が
伝わってきました。
この辺りも景色が開け、
諏訪大社の方向が見下ろせました。
この写真の右手に諏訪湖が広がっています。
細い山道が僅かに開け、
古びた神社がありました。
金比羅神社です。
この神社は、麓の頼岳寺の18世尊応が
1805年(文化2年)に頼岳寺の鎮守として
四国の金比羅大権現を勧進したものだそうです。
金比羅宮の様子はこちらです。
金比羅権現は船の守り神とされているので
この諏訪の山の中にあるのは不思議な気もしますが、
元々は五穀豊穣の守り神という事なので、
その願いを込めて勧進したのでしょうか。
この金比羅神社のある一角が三の郭です。
神社の社と鳥居で三の郭の殆どを占めています。
思ったよりも狭い曲輪でした。
神社の裏側には、先ほどの
大きな岩が鎮座していました。
この岩は物見岩と呼ばれています。
当時は、この岩に上って、敵の
見張りをしていたのでしょうか。
この物見岩に沿って山肌を上ると、
平坦地が現れました。
ここが二の郭です。
ざっと見回すと、幅20m程、
奥行き5m程の小さな平坦地です。
ここも意外に狭い曲輪で、戦の時に
兵はどこに詰めていたのだろうと思います。
二の郭から主郭へは5m程、
山の斜面を上りました。
今は道なき道を行くといった感じですが
当時は石段でもついていたのでしょうか。
この山道を登ると主郭がありました。
案内板によると南北30m、
東西20mの広さがあるそうです。
地方の豪族の山城ならこの程度の規模でも充分なのでしょうが
諏訪地方一帯を治める諏訪惣領家の居城としては
やはり狭いという思いがします。
1542年(天正10年)に武田信玄によって攻められた際、
諏訪頼重は、この上原城をあっさり放棄して
北西にある桑原城に軍を移動させますが
信玄の大軍を相手に、この狭い上原城では、
戦えないと判断したのでしょうか・・・
桑原城の様子はこちらです。
主郭の周囲には低く土塁が巡らされ
その外側は急峻な崖になっていました。
木々の陰になっていますが、
山腹に大きな岩がいくつもありました。
先ほど、下から眺めた規模の大きな堀切です。
主郭の周囲の切り立った崖や
この堀切は見応えがありました。
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