鹿児島城
Daishoji Castle, Japan

登城日:
2006. 11. 10 & 2011. 05. 01

【鹿児島城 概要】

鹿児島城(別名、鶴丸城)は1601年(慶長6年)に、
島津家久によって築かれた薩摩藩の本拠地だったお城です。
城山を背後に控えた地に建てられています。

それ以前の島津氏は、これよりも北東にあった清水城
(現:清水中学校)や内城(現:大龍小学校)に
本拠を構えていました。

関ヶ原の戦いで西軍に付いて敗れた島津氏が
その翌年に築城を始めたというのは、
微妙な時期の築城だったと思います。
徳川家に恭順の意を示す一方で、
万が一の場合を考えていたのでしょうか?

現地の案内板によると、鹿児島城は北側に本丸、
その南側に二の丸を配していますが、その規模は小さく、
背後の城山を、籠城戦用の後詰の城として利用したとしても、
石高77万石の薩摩藩のお城とは思えない程です。


本丸を囲う堀も一部分しかなく、
また天守も建てられなかったそうなので、
万が一に備えての築城ではなかったのでしょう。

【鹿児島城へのアクセス】

JR鹿児島中央駅から鹿児島市交通局の路面電車で
鹿児島駅方面に乗車し、市役所前下車。
市役所前バス停から徒歩約5分弱の距離です。

鹿児島市交通局の路面電車の乗車記はこちらです。

【鹿児島城登城記】

本丸

この鹿児島城へは、まず城山の史跡を巡り、
薩摩義士の碑を訪れた後に本丸を訪れました。

鹿児島市内の旅行記はこちらです。

薩摩義士の碑は、鹿児島城本丸の
北西の角に位置しています。

その目の前に、石垣と堀が続き、
本丸への土橋も見えていました。


撮影: 2006年11月

この堀が鹿児島城の北の端に当たります。
道を隔てた北側には、西南の役の発端に
なった私学校跡があります。

城山を背にお堀に沿って東に進み、
お城の北東の角に出ました。


撮影: 2006年11月

この北東、丑寅の方角は鬼門とされています。
そこで、丑寅の石垣の角が欠き取られ、
魔よけとされています。

この角を左に折れると鹿児島城本丸の正面です。
大手門にあたる御楼門跡への石橋も
遠くに見えてきました。


撮影: 2006年11月

お堀の幅も広くなり、蓮でしょうか葦でしょうか、
一面に冬枯れの植物が茂っていました。

本丸の東西の面の丁度真ん中辺りに
石橋が架かっていて、ここが御楼門跡です。
古写真を見ると、石橋を渡った先の左右の
左右の石垣に御楼門が架かっていました。


撮影: 2006年11月

その御楼門も1874年(明治7年)に、
焼失してしまったそうです。

御楼門の跡は石垣の立派な枡形が残されています。


撮影: 2011年5月

石橋を渡り、石垣を間近に見てみると、
石垣の表面にはいくつもの穴が開いています。


撮影: 2006年11月

鹿児島城の北隣の私学校の石垣には西南の役の
時の弾丸の跡が残っているという事ですが、
鹿児島城の石垣の無数の穴もこの時の
弾丸の跡ではないでしょうか。

この虎口を上ると本丸跡です。


撮影: 2011年5月

今は、鹿児島の歴史を伝える黎明館が建っています。
展示されていた当時の鹿児島城のジオラマによると、
天守は置かれず柿葺きの御殿があったようです。


撮影: 2006年11月

その手前には天璋院の銅像がありました。


撮影: 2011年5月

2008年に放映された大河ドラマの際に
造られたものでしょうか。

本丸の南東の角には御角櫓が建っていて、
その跡に礎石の一部が残されていました。


撮影: 2006年11月

鹿児島城は、本丸と二の丸の周囲の石垣は
ほぼ完全な形で残されていますが、建物の
遺構はないので、この礎石は貴重なものです。

この御角櫓や御楼門は、写真も残されているので、
なんとか復元出来ないものか、と思っていました。

この近くには、麒麟の間がありました。
麒麟の間は本丸御殿南側にあり、その跡地は
発掘調査され、礎石の跡には躑躅の木が植えられています。


撮影: 2011年5月

この御角櫓の先に石垣があり、その先が二の丸です。

黎明館庭園

黎明館の城山側に回ると庭園がありました。
かつて本丸の南東側にあった御池の
石材を用いたものだそうです。


撮影: 2011年5月

この先には立派な石組があり、そこに足を進めます。


撮影: 2011年5月

この先に茅葺の家がありました。


撮影: 2011年5月

案内板によると、この建物は「桶の間二つ屋」と
呼ばれているようです。

二つの棟が桶の間で連結されており、
この名がついているそうです。

霧島岳の山麓に近い姶良郡横川町にあった
建物を移築したそうですが、幕末の天保年間
(1830-1844) に建てられたものだそうです。


撮影: 2011年5月

建物の内部の様子です。
庄屋クラスの家の住宅だったのでしょうか。

鹿児島城二の丸

鹿児島城の本丸の南側に二の丸がありました。
二の丸は、本丸よりも一段低くなっています。


撮影: 2006年11月

当時は、この石垣に沿って堀があった筈ですが、
この堀は今では埋められ、桜の木が植えられています。
下の写真は石垣のアップの様子です。


撮影: 2011年5月

二の丸跡には県立の図書館が建てられています。


撮影: 2011年5月

下の写真は、二の丸跡の図書館の入り口です。


撮影: 2006年11月

当時はここにも門があった様で、
桝形門の跡が残っていました。

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