鹿児島城(別名、鶴丸城)は1601年(慶長6年)に、
それ以前の島津氏は、これよりも北東にあった清水城
関ヶ原の戦いで西軍に付いて敗れた島津氏が
現地の案内板によると、鹿児島城は北側に本丸、
本丸を囲う堀も一部分しかなく、
JR鹿児島中央駅から鹿児島市交通局の路面電車で
この鹿児島城へは、まず城山の史跡を巡り、
薩摩義士の碑は、鹿児島城本丸の
その目の前に、石垣と堀が続き、
この堀が鹿児島城の北の端に当たります。
城山を背にお堀に沿って東に進み、
この北東、丑寅の方角は鬼門とされています。
この角を左に折れると鹿児島城本丸の正面です。
お堀の幅も広くなり、蓮でしょうか葦でしょうか、
本丸の東西の面の丁度真ん中辺りに
その御楼門も1874年(明治7年)に、
御楼門の跡は石垣の立派な枡形が残されています。
石橋を渡り、石垣を間近に見てみると、
鹿児島城の北隣の私学校の石垣には西南の役の
この虎口を上ると本丸跡です。
今は、鹿児島の歴史を伝える黎明館が建っています。
その手前には天璋院の銅像がありました。
2008年に放映された大河ドラマの際に
本丸の南東の角には御角櫓が建っていて、
鹿児島城は、本丸と二の丸の周囲の石垣は
この御角櫓や御楼門は、写真も残されているので、
この近くには、麒麟の間がありました。
この御角櫓の先に石垣があり、その先が二の丸です。
黎明館の城山側に回ると庭園がありました。
この先には立派な石組があり、そこに足を進めます。
この先に茅葺の家がありました。
案内板によると、この建物は「桶の間二つ屋」と
二つの棟が桶の間で連結されており、
霧島岳の山麓に近い姶良郡横川町にあった
建物の内部の様子です。
鹿児島城の本丸の南側に二の丸がありました。
当時は、この石垣に沿って堀があった筈ですが、
二の丸跡には県立の図書館が建てられています。
下の写真は、二の丸跡の図書館の入り口です。
当時はここにも門があった様で、
Daishoji Castle, Japan
登城日:
2006. 11. 10 & 2011. 05. 01
【鹿児島城 概要】
島津家久によって築かれた薩摩藩の本拠地だったお城です。
城山を背後に控えた地に建てられています。
(現:清水中学校)や内城(現:大龍小学校)に
本拠を構えていました。
その翌年に築城を始めたというのは、
微妙な時期の築城だったと思います。
徳川家に恭順の意を示す一方で、
万が一の場合を考えていたのでしょうか?
その南側に二の丸を配していますが、その規模は小さく、
背後の城山を、籠城戦用の後詰の城として利用したとしても、
石高77万石の薩摩藩のお城とは思えない程です。
また天守も建てられなかったそうなので、
万が一に備えての築城ではなかったのでしょう。
鹿児島駅方面に乗車し、市役所前下車。
市役所前バス停から徒歩約5分弱の距離です。
薩摩義士の碑を訪れた後に本丸を訪れました。
北西の角に位置しています。
本丸への土橋も見えていました。
撮影: 2006年11月
道を隔てた北側には、西南の役の発端に
なった私学校跡があります。
お城の北東の角に出ました。
撮影: 2006年11月
そこで、丑寅の石垣の角が欠き取られ、
魔よけとされています。
大手門にあたる御楼門跡への石橋も
遠くに見えてきました。
撮影: 2006年11月
一面に冬枯れの植物が茂っていました。
石橋が架かっていて、ここが御楼門跡です。
古写真を見ると、石橋を渡った先の左右の
左右の石垣に御楼門が架かっていました。
撮影: 2006年11月
焼失してしまったそうです。
撮影: 2011年5月
石垣の表面にはいくつもの穴が開いています。
撮影: 2006年11月
時の弾丸の跡が残っているという事ですが、
鹿児島城の石垣の無数の穴もこの時の
弾丸の跡ではないでしょうか。
撮影: 2011年5月
展示されていた当時の鹿児島城のジオラマによると、
天守は置かれず柿葺きの御殿があったようです。
撮影: 2006年11月
撮影: 2011年5月
造られたものでしょうか。
その跡に礎石の一部が残されていました。
撮影: 2006年11月
ほぼ完全な形で残されていますが、建物の
遺構はないので、この礎石は貴重なものです。
なんとか復元出来ないものか、と思っていました。
麒麟の間は本丸御殿南側にあり、その跡地は
発掘調査され、礎石の跡には躑躅の木が植えられています。
撮影: 2011年5月
かつて本丸の南東側にあった御池の
石材を用いたものだそうです。
撮影: 2011年5月
撮影: 2011年5月
撮影: 2011年5月
呼ばれているようです。
この名がついているそうです。
建物を移築したそうですが、幕末の天保年間
撮影: 2011年5月
庄屋クラスの家の住宅だったのでしょうか。
二の丸は、本丸よりも一段低くなっています。
撮影: 2006年11月
この堀は今では埋められ、桜の木が植えられています。
下の写真は石垣のアップの様子です。
撮影: 2011年5月
撮影: 2011年5月
撮影: 2006年11月
桝形門の跡が残っていました。