佐伯城
Saiki Castle, Japan


登城日:
2009. 5. 7







【佐伯城概要】


佐伯城は、豊後・日隈城から1601年(慶長6年)に
移封された毛利高政によって築かれたお城です。

佐伯城は、佐伯駅の南西2q程の所の
城山の山頂から麓にかけてが城域です。




標高140mの城山の山頂部に、本丸、
二の丸、西の丸そして北の丸の曲輪を持ち、
麓に藩主が居住していた三の丸があります。





佐伯城は1602年(慶長7年)から築城が開始され、
1606年(慶長11年)に完成しています。

当初は山頂部の曲輪のみだったそうで、
本丸には三層の天守も上がっていたそうです。

本丸を中心に西の丸、北の丸が翼を
広げるような形だったので、
鶴屋城という別名があるそうです。

佐伯藩は2万石の小藩だったのですが
天守を持つお城は、不釣り合いな程
立派だったと思います。


その本丸も1617年(元和3年)には焼失し、その後、
三の丸に政庁や藩主の居住部としたようです。

三の丸周辺には今も城下町の佇まいが残っています。


尚、佐伯藩は明治まで毛利氏が治めましたが、
この毛利氏は、もとは森氏と表記しており、
初代・高政は秀吉の馬廻衆でしたが、
本能寺の変が起き、秀吉が京に取って返す際、
毛利氏に人質とされ、それが縁で
毛利氏と称するようになったそうです。

佐伯の街の散策記はこちらです。



【佐伯城へのアクセス】


JR佐伯駅より徒歩20分です。

佐伯駅前に観光案内所があり、
無料でのレンタサイクルが出来ます。
自転車でのっくり走り10分程です。




【佐伯城登城記】



三の丸から本丸へ
Jan. 04, '12

本丸
Jan. 08, '12

二の丸から西の丸
Jan. 11, '12

北の丸
NEW ! Jan. 13, '12



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三の丸から本丸へ


佐伯駅から臼坪川に沿って
小路を歩き佐伯城を目指しました。

この小路は山際通りとなり、城下町の
佇まいが残る町並みになりました。
この山際通りが佐伯城跡へと続いて行きます。

佐伯の街の散策記は
こちらです。

白壁の続く山際通りを歩いていると
佐伯城三の丸の石垣が見えてきました。



1637年(寛永14年)に築かれ、
佐伯藩の政庁が置かれていた曲輪です。

三の丸に残された櫓門です。



この櫓門も1637年(寛永14年)に創建されています。

堂々とした櫓門を抜けた三の丸には
文化会館が建てられていました。



当時は、ここに御殿が築かれていたようです。
この三の丸の脇から城山山頂の
本丸への登城道がありました。



登城道の脇には国木田独歩の
文学碑がありました。




城山山頂の本丸までは390間(=570m)の道のりです。
3本の道がありますが、一番急な「登城の道」を歩きました。

この道はで九十九折れの急坂で、
坂道を上るだけで息が切れる程です。



当時の登城道なのかどうか判りませんが、
所々に岩がむき出しになっていたり、
石畳の様になっていました。

山深い「登城道」を20分近く歩いたでしょうか。
急に木々の間に立派な石垣が見えてきました。



本丸と二の丸の間の堀切に
架けられた廊下橋でした。



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本丸


登城の道を上ったところが江戸時代初期の
佐伯城で、城山の山頂部分に長さ約160m、
幅25〜50m程の細長い城郭でした。



この石垣に沿って右に向かうと本丸です。
野面積の石垣の雰囲気が良かったです。


石垣の先の本丸下の帯曲輪からは佐伯の街や
佐伯湾の向こうに遠く豊後水道が見えました。



広々としたのどかな眺めでした。

この帯曲輪には、石垣で覆われ、
登城口と思われる虎口がありました。



当時ここには冠水門という門があったようです。

その脇に国木田独歩の碑が立っています。



国木田独歩は「春の鳥」で
佐伯城址の様子を記しています。


本丸下の帯曲輪から見上げる本丸の様子です。



立派な階段が続いていますが、当時の佐伯城を
描いた絵図ではこの階段は描かれていないので、
後世に造られたものでしょうか。


本丸から眺める佐伯市街です。



この方向に佐伯駅があります。

この本丸には天守台がありました。



1606年(慶長11年)に築城された際には、
ここに3重の天守が上っていました。

1617年(元和3年)の火災で天守が
焼失した後は復元されず、今では
天守台には、小さな祠がありました。


天守台を眺めた後は、二の丸へと向かいました。
「登城の道」を上がって来た時に眺めた
廊下橋の石垣に向かって歩きます。

本丸の廊下橋側の虎口です。



人が一人通れるほどの狭い埋門で、
堅牢な構えであった事が伺えます。

この先に廊下橋跡の板橋を渡りました。



古城の薫り漂う光景です。
ここを抜けると二の丸です。



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二の丸から西の丸


本丸の廊下橋跡を抜けて二の丸に入りました。



二の丸は城山の尾根に沿う細長い曲輪です。

二の丸からは佐伯城西側の
眺めが開けていました。



佐伯城では地元の方が急な山道を
上り、三々五々訪れていました。

坂道を上った後に、城址からの
景色を眺めている姿を見ると
羨ましいものがありました。

二の丸から本丸方向を眺めた様子です。




二の丸の西側の虎口には渡櫓が
載っていた石垣がありました。



この石垣は立派なもので3m以上の
高さがあるのではないでしょうか。

僅か2万石の佐伯藩でしたが石高以上の
規模のお城だったように思います。


西の丸から二の丸方向を眺めた様子です。



西の丸も尾根に沿って曲輪が
細長く続いていました。

西の丸から眺める佐伯の街の様子です。



どの曲輪からも見晴らしが良いお城でした。

西の丸の大門跡の虎口です。



西の丸には二重の隅櫓がありました。
西の丸に残る礎石はその跡だと思います。



佐伯城には3重の天守の他に、
二重の櫓が5基、櫓門が4つあったそうです。

西の丸には、円形の窪みがありました。



これは第二次世界大戦時の
高射砲跡だそうです。



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北の丸


西の丸を散策した後、本丸まで戻り、
今度は北の丸に向かいました。

本丸の北東側から眺めた本丸の石垣と
その手前の本丸外曲輪櫓跡の櫓台です。



本丸周辺は、石垣が複雑に築かれていて
当時の堅牢な城郭の様子が伝わってきます。

この外曲輪櫓跡から北の丸に入った
ところには水の手門がありました。



この虎口はその門跡と思います。
佐伯城ではどの門も間口が狭く、
防御性は高いと思います。


水の手門から北の丸に入ったところで
本丸を振り返った様子です。



北の丸も細長い曲輪ですが、本丸と北の丸の
接続部は5m程の幅しかありませんでした。



北の丸の北東側の様子です。
細い曲輪が続いていました。

北の丸の端には二重櫓が建っていたそうです。


佐伯城は、二の丸と西の丸が本丸から南西に
この北の丸が北東に延び、麓から眺めると
丁度、舞鶴が翼を広げたような形になるので、
鶴屋城あるいは鶴城と呼ばれたそうです。



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