上ノ郷城
Ruins of Kaminogo Castle, Japan

登城日:
2011. 04. 17

【上ノ郷城 概要】

上ノ郷城は、愛知県蒲郡市の市街地の北にある古城です。

一説には、源平の戦いの後に築城されたとも言われて
いますが、戦国時代に鵜殿氏の居城だったお城です。

鵜殿氏は現在の蒲郡市や幸田町の一部を支配下に
治めていたそうですが、戦国時代末期には
今川義元の旗下に入っていました。

1560年(永禄3年)に桶狭間で今川義元が討たれた後、
当時の城主・鵜殿長照は今川氏の元に留まりましたが、
1562年(永禄5年)に徳川家康によって落城されました。

落城後、久松俊勝が城主となっています。
久松俊勝は、家康の実母・於大の方が
広忠と別離した後に再婚しています。


上ノ郷城は主郭やそれを取り囲む規模の大きな
土塁が残り、蒲郡市の文化財に指定されています。

【上ノ郷城へのアクセス】

JR東海道本線蒲郡駅から北に徒歩約35分程です。

【上ノ郷城登城記】

2011年4月17日、竹谷城を訪れた後上ノ郷城を訪れました。
竹谷城の登城記はこちらです。

上ノ郷城の手前には赤日子神社がありました。


撮影: 2011年4月

この赤日子神社には、上ノ郷城の城主だった鵜殿氏が
納経した六百巻の大般若経が収められているそうです。

赤日子神社からミカン畑の間を通り、上ノ郷城に向かいました。
蒲郡はミカンの産地で、穏やかな三河湾に面した温暖な
蒲郡産のミカンはとても甘く美味しいミカンです。


撮影: 2011年4月

ミカン畑の敷地は石垣で覆われ、思わず当時の石垣跡か
と思ってしまいますが、これは近代に築かれたものでしょう。

ミカン畑を抜けると上ノ郷城址です。
上ノ郷城の南側は立派な土塁で護られていました。


撮影: 2011年4月

土塁の上には城址碑がありました。
その向こうに上ノ郷城の看板が見えますが
看板のあるところが主郭です。


撮影: 2011年4月

主郭との間は幅、20m程の空き地があり、
ここにもミカンの木が植わっています。


撮影: 2011年4月

主郭は10m以上の高さがあるでしょうか。
大規模な城の遺構がそのまま残されています。

上ノ郷城の南側に横たわる土塁はその中央部分に欠きとりがあり、
ここが虎口になっています。城内側から眺めた様子です。


撮影: 2011年4月

虎口を抜け右に折れ、土塁に沿って主郭に向かいます。
土塁の高さは3m以上あり、土塁の内側に兵が
潜んでいても城外からそれを窺い知る事は
出来なかったことでしょう。


撮影: 2011年4月

土塁に沿って進み、土塁の上に登り、
いよいよ主郭へと向かいます。


撮影: 2011年4月

土塁の上から本郭と土塁との間の空堀を眺めました。
幅が広く、堀というよりも帯曲輪のようで、
当時はここにも建物が建っていたのでしょうか。


撮影: 2011年4月

土塁の右側の平坦地です。
縄張り図で建物跡とされているところです。


撮影: 2011年4月

重機が入っていましたが、
発掘調査がされていたのでしょうか。

ここから一段高い本郭に登りました。
本丸の虎口には石垣も築かれていたようです。


撮影: 2011年4月

上ノ郷城は蒲郡市の北側の遠望峰山や桑谷山の
麓にあり、蒲郡の市街からは15m程の標高です。


撮影: 2011年4月

本郭の南端には上ノ郷城と書かれた看板があります。
気を付けていると、近くを走る東海道新幹線から、
この看板を見る事が出来ます。

本郭からは蒲郡の市街とその手前を横切る
東海道新幹線の列車がよく見えました。


撮影: 2011年4月

上ノ郷城の本郭は、意外にも大きく、
100m四方程の大きさがありました。


撮影: 2011年4月

当時のままとすると、本郭は二段の分かれていたようです。


撮影: 2011年4月

こちらは本丸北側の切岸の様子です。

上ノ郷城は堅城だったようで、1562年(永禄5年)に
家康が攻めた沿いも容易に城は堕ちず、忍者の活躍で
城内から火の手が上がり、その混乱の中ようやく
城を堕とすことが出来たそうです。

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