西尾城
Nishio Castle, Japan

登城日:
2005. 11. 26


西尾城本丸丑寅櫓

【西尾城 概要】

西尾城は愛知県の三河平野の南部、矢作川と
古矢作川に囲まれた西尾市の中心部にあります。

西尾城の歴史は古く1221年(承久3年)に遡るそうです。
承久の乱で戦功を挙げた足利善氏が築城したのが 始まりとの事です。

義氏は矢作川(今の矢作古川)を境に
西条城と東条城を築いたのですが、
西条城が今の西尾城です。

西尾の街の様子はこちらです。
東条城の様子はこちらです。

その後、戦国時代の1560年に牧野成定が入城し、
程なく徳川家康配下の酒井正親や、岡崎城主だった
田中吉政らが城主になり、田中吉政が近世の
西尾城の城郭をほぼ完成させたそうです。

その後、譜代大名が入れ替わりに西尾城主になった後、
1769年に出羽山形藩から大給松平氏が西尾に入封となります。
大給松平氏は五代にわたり西尾城主となり、版籍奉還を迎えました。

西尾城の縄張り図です。
図は北が南になっています。

北の端に二の丸があり、その南に本丸があります。
西尾城では、天守が二の丸に建てられていました。

明治の初めに天守や多くの櫓は破壊されたのですが、
1996年に本丸丑寅櫓や二の丸の鍮石門が復元され、
2020年に二の丸丑寅櫓が再建されています。

西尾城には、2005年11月、2008年2月と
2021年9月に訪れています。

【西尾城へのアクセス】

名古屋鉄道西尾線の西尾駅から西に約1km程です。
西尾駅から徒歩で約10分です。

西尾線の乗車記はこちらです。

【西尾城登城記】

西尾駅前からの道路を真っすぐ西に
向かうと西尾城にたどり着きます。

緩やかな坂道を上ると2020年(令和2年)に
再建された二の丸丑寅櫓が見えてきました。


撮影: 2021年9月

二の丸丑寅櫓の向こうには鍮石門と
本丸丑寅櫓も見えています。
いずれも近年再建されています。

以前この辺りには幼稚園があったようですが、
城址の整備のために、幼稚園を移転させたのでしょうか。

二の丸丑寅櫓の左手に建つ鍮石門です。


撮影: 2021年9月

鍮石門をくぐると、二の丸です。


撮影: 2021年9月

当時は門の前に二の丸御殿が建っていましたが、
今は日本庭園が整備され、そこに京都から
移築された旧近衛邸が建っています。

堀や馬出の跡が白砂で再現してあります。

旧近衛邸の北側の二の丸は、2020年に整備されました。
先ほどの二の丸丑寅櫓も再建されていますが、
二の丸の天守の石垣も復元されています。


撮影: 2021年9月

綺麗に整備された二の丸には芝生が広がり、
二の丸の北の端には土塀が続いています。

この芝生の広がっている所に江戸時代には
二の丸御殿が建っていました。
天守も二の丸に建っていた事も考えると、
二の丸が中心的な機能を果たしていたようです。

二の丸の北西隅には天守台も復元されていました。


撮影: 2021年9月

西尾城天守は三重で、高さ15mあったそうです。
西尾城内で最も高い建物だったそうです。


撮影: 2021年9月

天守からの城内や城外の眺めは
さぞ格別なものだった事と思います。

二の丸北側の土塁の様子です。


撮影: 2021年9月

二の丸丑寅櫓から天守へと約50m程、
土塀も復元されています。
土塁や土塀は二箇所ほど、
屏風折も設けられています。

こちらは天守台の様子です。


撮影: 2021年9月

高さは12m程です。
いつの日か、天守も復元されれば、
往時の西尾城の様子も一層蘇る事と思います。

二の丸から本丸へと向かいます。

旧近衛邸の南側には、復元された
本丸丑寅櫓が姿を現していました。


撮影: 2021年9月

この本丸丑寅櫓は三層三階の建物で、
一見天守の様にも見えます。

これは本丸への入口あたりの様子です。


撮影: 2021年9月

写真左手に、御劔八幡宮があります。


撮影: 2021年9月

この御劔八幡宮があった為に、本丸が手狭になり、
天守が二の丸に建てられたのだそうです。

御剣神社が創建されたのは9世紀に遡るそうです。
文徳天皇の皇子・八条院宮が渥美郡に住んでいた際に
祀られた八幡社、天王社を、皇子が西尾の地に
移住した際に遷座されています。

その後、承久の乱で戦功を挙げた足利義氏が西条城を
築いた際に城内鎮座の為にこの地に移したそうです。

明治初期に廃城になった際には天守や他の櫓は建物も、
その土台も壊されたそうですが、丑寅櫓の櫓だけは
この神社があった為に、櫓台は残されたそうです。

神社の脇に本丸表門跡の石垣がありました。


撮影: 2021年9月

その先に本丸丑寅櫓への入口があります。

丑寅櫓は西尾城で最も高い場所に建てられており、
物見櫓の役割を果たしていたようです。


撮影: 2008年2月

丑寅櫓は木造で再現されています。
内部は思いのほか狭く、二階は高さも低く、
立ち入りは出来ませんでしたが、
腰を曲げないと立てない程です。

三階からは西尾の街並みが良く見えました。
下の写真は、内堀の向こうの資料館です。


撮影: 2008年2月

当時、資料館のあった辺りは姫丸と呼ばれており、
建物は建っていなかったようです。

西尾城の外堀は、総構といい、
城下町を囲いこむようなっていたようです。

ヨーロッパの城壁都市のような造りですが、
日本ではあまり例がないようです。
二の丸に天守閣があったり、総構といい、
西尾城は小さいながらも特徴のあるお城のようです。

資料館で西尾城の歴史を学んだ後、
再び内堀越に丑寅櫓を眺めました。


撮影: 2021年9月

西尾城は小さなお城でしたが、
何人もの人が三々五々訪れていて、
なかなかいい雰囲気のお城跡でした。

西尾城二の丸から300m程北に向かうと、
西尾城大手門跡の碑があります。


撮影: 2008年2月

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