東条城
TojyoJyo, Japan


登城日:
2006. 04. 16







東条城は愛知県吉良町にある中世のお城です。

地図はこちらです→ Mapion


1222年(貞応元年)頃、承久の乱後に
足利義氏が三河守護となりました。

義氏は矢作川(今の矢作古川)を境に
吉良荘を西条と東条に分け、お城を築き、
三男・義継に吉良荘東条城を治めさせました。

これが東条城の歴史の始まりで、
義継の子孫は東条吉良氏となりました。
ちなみに西条城は今の西尾城です。
西尾城の様子はこちらです。


応仁の乱では、西条城の吉良氏と、
東条吉良氏の間で、骨肉の戦いもあったそうです。

その後、戦国時代となり、この三河の地は
松平氏の支配下となり、この東条吉良氏も
松平清康(徳川家康の祖父)の妹を娶ったり、
広忠(家康の父)の親代わりとなったりして、
家の存続を図っていたようです。

しかし、桶狭間の戦いの後、今川氏と
繋がっていた吉良氏を家康が攻め、
1561年に、この東条城は落城したそうです。


お城関係の雑誌に、この東条城の楼門や櫓が
復元されているというので、出掛けてきました。
2006年4月16日の事です。

蒲郡市と西尾市を結ぶ
県道沿いに車を走らせ、
東条城に着きました。

県道沿いのお城の入り口です。



ここから南側の小高い丘に
城址への道が続いていました。

門を過ぎると、平地が広がり、
南側の展望が開けました。

ここが三之丸跡です。
散りかけた桜の花が咲いていて、
桜の木の向こう、平野の遠くに
小高い丘が見えています。



のどかな景色です。
この小山の辺りが西尾城です。

上の写真の左手の田圃の中には
昔、家康がこの東条城攻略の際に
築いた砦跡もあるそうです。

三之丸の右手奥(北側)、
八幡社が建っている辺りが二ノ丸、
そして、三之丸の左手、
一段高いところが本丸址です。



復元された楼門と物見櫓が、
鯉のぼりと桜に囲まれて
青空に映えていました。

この楼門と物見櫓は、東条城の築城
当時の様子を想定して復元されたそうです。

下の写真は、物見櫓です。



お城というと、江戸時代のお城や
天守を想像してしまいますが、
戦国時代あたりまでは、城主が
住み治世を行う場所ではなく
毎日の戦いに明け暮れる
戦闘の舞台でだった筈なので
建物は砦に近いものだったのでしょうか。

楼門を抜けた本丸は20m四方程の
空き地になっていて、一角には
お茶畑もありました。

物見櫓の裏にあった城址碑です。



この碑は古いもので、陸軍大佐
何某という文字も見えました。

そして、本丸址に咲く桜です。



東条城には三々五々、家族連れや
若いカップルも訪れていて、
地元の方に馴染みの場所のようでした。



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