下田城は、現在の下田市の市街地の
小田原城を拠点として関東一円を治めていた後北条氏の
その後、天下統一を推し進める豊臣秀吉と後北条氏との
1590年(天正18年)の小田原征伐の際には、秀吉軍は
上は、現地にあった下田城の縄張り図です。
後北条氏が滅びると、家康の家臣・戸田忠次が下田城主となり、
2011年12月に、下田城を訪れました。
伊豆急下田駅から南に向かって歩くと下田城です。
下田城へは、城址の北西に、東西に
幸福稲荷は、以前は金花稲荷と呼ばれていたそうです。
土岐頼旨は沼田藩主を務め、その後浦賀奉行を務めた後に
ここから上り坂の道を歩いていきました。
尾根状の所を上っていくと、細長く開けた平地に辿り着きました。
ここはすでに、山の尾根に築かれた
下田城址の麓の北側中央には開国記念広場がありますが、
そして、尾根道よりも一段高い、伝天守台跡に辿り着きました。
伝天守台跡の下には、下田城の別名の鵜島城址も立っていました。
天守台と伝わる高台の南には、深く切れ込んだ堀切がありました。
この土橋の両側に空堀が南北に続いていました。
尾根の郭部に沿って空堀が続いています。
土橋の反対側は、空堀は西に曲がって続いていました。
伝天守台からは4つの尾根に道が分かれています。
尾根伝いに歩いていくと、景色が開け
この素晴らしい景色を眺めながら、おにぎりの
伝天守台跡から次は南に向かいました。
途中には、別の堀切もありました。
この先のお茶ケ崎展望台からの眺めです。
1590年(天正18年)には、秀吉軍1万の水軍が押し寄せたとの
お茶ケ崎展望台から再び伝天守台跡に戻り、次に東に向かいました。
東に向かうと、東宮殿下御行啓趾の碑がありました。
大正8年7月27日の日付があるので、大正時代に
この先の馬場ケ崎展望台からの眺めです。
こちらからは、下田湾におかぶ犬走島と、
紹介した3つの展望台は、下田城の城域からは外れており、
馬場ケ崎展望台から伊豆急下田駅に戻りました。
1988年に開催された黒船祭のイベントの
開国広場には開国記念碑がありました。
1854年(嘉永7年)に締結された日米和親条約による
この後、伊豆急下田駅まで戻りました。
Ruins of Shimoda Castle, Japan
登城日:
2011. 12. 27
【下田城 概要】
南側の小高い山に築かれた山城です。
お城で、朝比奈孫太郎が城主となっていたようです。
間の緊張が高まると、1588年(天正16年)に、清水康英を
城主とし、下田城は、山中城と共に大改築を受けました。
総延長700mもの空堀も築かれたそうです。
1万人を超える大水軍でこの下田城に押し寄せ、
50日ほどで開城の止む無きに至ったそうです。
小高い山の尾根部に主郭が張り巡らされていたようです。
最も標高の高い所に天守台があったようです。
下田を治めますが、1601年(慶長6年)に三河・田原に移封となります。
この時、下田城は廃城となり、以降、下田は天領となりました。
その際の様子を紹介します。
徒歩約25分程です。
延びるペリーロードからアクセスしました。
登城し始めた所で、幸福稲荷がありました。
撮影: 2011年12月
幕末の1843年(天保14年)に、下田奉行の土岐頼旨が
再建し、それ以降、幸福稲荷と呼ばれたそうです。
幕府の大目付兼海防掛に任ぜられ、日米通商条約の
交渉では、日本側代表の一人となったそうです。
遊歩道がしっかり整備されていますが上り坂は急でした。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
下田城の城域になっていると思います。
この先、狭い尾根に道が続いていました。
撮影: 2011年12月
この尾根道はその広場を取り囲むように続いています。
この天守台は標高68.7m、下田城址で最も標高の高い地点です。
撮影: 2011年12月
堀切を抜けて天守台の西ケ谷出ると、土橋が伸びています。
撮影: 2011年12月
現地にあった下田城の空堀図です。
撮影: 2011年12月
下は、南側の空堀です。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
伝天守台に辿り着いた尾根道以外の3つの道の先には展望台があります。
まず、この空堀の先、西側にある志太ヶ浦展望台に向かいました。
撮影: 2011年12月
下田の海を一望できる展望台に至ります。
静かな海の景色が広がり、光芒が見られました。
撮影: 2011年12月
お昼を食べ、伝天守台跡に戻りました。
堀切で切られていた高台がしばらく続きます。
撮影: 2011年12月
下田城の護りも固く備えられていたようです。
撮影: 2011年12月
深く切れ込んだ入り江の奥は下田海中水族館になっています。
撮影: 2011年12月
ことですので、この入江は秀吉の軍船で埋め尽くされた事でしょう。
何度も、この伝天守台跡に来ているのですが、写真を見返すと
この天守台跡には上らずに、下城してしまったようです。
撮影: 2011年12月
当時、皇太子だった昭和天皇がこの地を訪れたのでしょうか。
撮影: 2011年12月
北側の下田の市街地が見下ろせました。
下田公園の紹介記事の様になってしまいましたが、
当時も見張り台のようなものはあったのではないでしょうか。
途中で、開国記念広場を通ります。
撮影: 2011年12月
メイン会場として整備されたようです。
撮影: 2011年12月
下田の開港を記念した碑です。