下田城
Ruins of Shimoda Castle, Japan

登城日:
2011. 12. 27

【下田城 概要】

下田城は、現在の下田市の市街地の
南側の小高い山に築かれた山城です。

下田の散策記はこちらです。

小田原城を拠点として関東一円を治めていた後北条氏の
お城で、朝比奈孫太郎が城主となっていたようです。

その後、天下統一を推し進める豊臣秀吉と後北条氏との
間の緊張が高まると、1588年(天正16年)に、清水康英を
城主とし、下田城は、山中城と共に大改築を受けました。
総延長700mもの空堀も築かれたそうです。

山中城の登城記はこちらです。

1590年(天正18年)の小田原征伐の際には、秀吉軍は
1万人を超える大水軍でこの下田城に押し寄せ、
50日ほどで開城の止む無きに至ったそうです。


上は、現地にあった下田城の縄張り図です。
小高い山の尾根部に主郭が張り巡らされていたようです。
最も標高の高い所に天守台があったようです。

後北条氏が滅びると、家康の家臣・戸田忠次が下田城主となり、
下田を治めますが、1601年(慶長6年)に三河・田原に移封となります。
この時、下田城は廃城となり、以降、下田は天領となりました。

2011年12月に、下田城を訪れました。
その際の様子を紹介します。

【下田城へのアクセス】

伊豆急下田駅から南に向かって歩くと下田城です。
徒歩約25分程です。

伊豆急行線の乗車記はこちらです。

【下田城登城記】

下田城へは、城址の北西に、東西に
延びるペリーロードからアクセスしました。
登城し始めた所で、幸福稲荷がありました。


撮影: 2011年12月

幸福稲荷は、以前は金花稲荷と呼ばれていたそうです。
幕末の1843年(天保14年)に、下田奉行の土岐頼旨が
再建し、それ以降、幸福稲荷と呼ばれたそうです。

土岐頼旨は沼田藩主を務め、その後浦賀奉行を務めた後に
幕府の大目付兼海防掛に任ぜられ、日米通商条約の
交渉では、日本側代表の一人となったそうです。

ここから上り坂の道を歩いていきました。
遊歩道がしっかり整備されていますが上り坂は急でした。


撮影: 2011年12月

尾根状の所を上っていくと、細長く開けた平地に辿り着きました。


撮影: 2011年12月

ここはすでに、山の尾根に築かれた
下田城の城域になっていると思います。
この先、狭い尾根に道が続いていました。


撮影: 2011年12月

下田城址の麓の北側中央には開国記念広場がありますが、
この尾根道はその広場を取り囲むように続いています。

そして、尾根道よりも一段高い、伝天守台跡に辿り着きました。
この天守台は標高68.7m、下田城址で最も標高の高い地点です。


撮影: 2011年12月

伝天守台跡の下には、下田城の別名の鵜島城址も立っていました。

天守台と伝わる高台の南には、深く切れ込んだ堀切がありました。
堀切を抜けて天守台の西ケ谷出ると、土橋が伸びています。


撮影: 2011年12月

この土橋の両側に空堀が南北に続いていました。
現地にあった下田城の空堀図です。


撮影: 2011年12月

尾根の郭部に沿って空堀が続いています。
下は、南側の空堀です。


撮影: 2011年12月

土橋の反対側は、空堀は西に曲がって続いていました。


撮影: 2011年12月

伝天守台からは4つの尾根に道が分かれています。
伝天守台に辿り着いた尾根道以外の3つの道の先には展望台があります。
まず、この空堀の先、西側にある志太ヶ浦展望台に向かいました。


撮影: 2011年12月

尾根伝いに歩いていくと、景色が開け
下田の海を一望できる展望台に至ります。
静かな海の景色が広がり、光芒が見られました。


撮影: 2011年12月

この素晴らしい景色を眺めながら、おにぎりの
お昼を食べ、伝天守台跡に戻りました。

伝天守台跡から次は南に向かいました。
堀切で切られていた高台がしばらく続きます。


撮影: 2011年12月

途中には、別の堀切もありました。
下田城の護りも固く備えられていたようです。


撮影: 2011年12月

この先のお茶ケ崎展望台からの眺めです。
深く切れ込んだ入り江の奥は下田海中水族館になっています。


撮影: 2011年12月

1590年(天正18年)には、秀吉軍1万の水軍が押し寄せたとの
ことですので、この入江は秀吉の軍船で埋め尽くされた事でしょう。

お茶ケ崎展望台から再び伝天守台跡に戻り、次に東に向かいました。
何度も、この伝天守台跡に来ているのですが、写真を見返すと
この天守台跡には上らずに、下城してしまったようです。

東に向かうと、東宮殿下御行啓趾の碑がありました。


撮影: 2011年12月

大正8年7月27日の日付があるので、大正時代に
当時、皇太子だった昭和天皇がこの地を訪れたのでしょうか。

この先の馬場ケ崎展望台からの眺めです。


撮影: 2011年12月

こちらからは、下田湾におかぶ犬走島と、
北側の下田の市街地が見下ろせました。

紹介した3つの展望台は、下田城の城域からは外れており、
下田公園の紹介記事の様になってしまいましたが、
当時も見張り台のようなものはあったのではないでしょうか。

馬場ケ崎展望台から伊豆急下田駅に戻りました。
途中で、開国記念広場を通ります。


撮影: 2011年12月

1988年に開催された黒船祭のイベントの
メイン会場として整備されたようです。

開国広場には開国記念碑がありました。


撮影: 2011年12月

1854年(嘉永7年)に締結された日米和親条約による
下田の開港を記念した碑です。

この後、伊豆急下田駅まで戻りました。

下田の散策記はこちらです。

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