わが街 岡崎 / 大樹寺
Daijyuji Temple in my Hometown Okazaki







大樹寺は岡崎城の北、およそ
3km程のところにあるお寺です。

1475年(文明7年)に松平4代の
親忠公によって創建されています。
松平家・徳川家の菩提寺として知られ、
初代・松平親氏公から家康の父である
八代・広忠公までのお墓があります。


大樹寺の地図はこちらです。


地図が見られない場合は
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この大樹寺は、松平家・徳川家の菩提寺だった事から
江戸時代には千石に近い禄を受け、
周囲に20を超える末寺があったそうです。

その多くは今は失われてしまったようですが、
細い通りに面した大樹寺の山門は堂々としています。



1641年(寛永18年)に三代将軍、
徳川家光公が建立した門です。

楼上に「大樹寺」の額があるのですが、
これは後奈良天皇の宸筆ということです。


三代将軍・家光公は1636年(寛永13年)から
この大樹寺の大造営を行っています。

その際、大樹寺の本堂から山門と
その南にある総門を通し、岡崎城が
望めるように伽藍を配置しています。



これは山門から総門を通して
岡崎城を眺めた様子です。

岡崎城の様子はこちらです。


今でもこの間に高い建物が建てられる事はなく、
岡崎城天守閣が、総門の中に見えています。
総門の中のやや右側が岡崎城天守閣です。

この眺望はビスタラインと名付けられ、
2009年1月には総門からサーチライトが
岡崎城に向かって照らされたようです。

山門を抜けると、右手に鐘楼が建っています。



1641年(寛永18年)に家光公が建立したものです。
楼上の大鐘は9代将軍・家重公が改鋳したそうです。
この大樹寺には小学生の頃から
訪れているのですが、この鐘楼が
そんな謂れがあるとは知りませんでした。

鐘楼から奥に進んだところの本堂です。



大樹寺は幕末の1855年(安政2年)に
大火に見舞われ多くの堂宇を失っています。
この本堂はその2年後に再建されたものです。


1560年(永禄3年)6月、桶狭間の戦では19才の家康は
今川方として参戦していた家康は今川義元が討たれると、
この大樹寺に逃げ込んだとされています。

家康は前途を悲観し自害しようとしたそうですが
大樹寺の登誉上人に戦乱の乱れた世を
住みよい浄土にする事が役割だと諭され、
それ以来「厭離穢土 欣求浄土」を
座右の銘にしたそうです。



その「厭離穢土 欣求浄土」の銘が
ご本尊の両脇に掲げられていました。

ご本尊の阿弥陀如来像は安政の大火の後に
京都から迎えられたそうです。

また、桶狭間の戦いの時には
大樹寺に逃げ込んだ家康を討とうと、
織田の軍勢が大樹寺を取り囲んだそうですが、
寺僧の一人祖洞和尚が門の閂を引き抜いて
これを武器に戦い敵勢を追い払ったという
逸話も残っています。

その閂は「貫木神」として立派な
函に収められ、祀られています。




境内にあった蹲の様子です。


本堂の奥にはこれも1857年(安政4年)に
再建された大方丈があります。

大名が大樹寺を訪れた際に
使われたようで、大名の格式によって
部屋が分かれています。

再建された時に冷泉為恭によって
襖絵が描かれています。
その襖絵は、重要文化財に指定され、
宝物殿に展示されていました。

大名の格によって、描かれる絵の題材も異なり、
将軍の間に書かれていた鶴の絵は
見事なものでした。

宝物殿には、初代将軍の家康から
14代将軍・徳川家茂までの徳川将軍の
位牌も展示されています。

「予の遺体は久能山へ埋蔵せよ」
「位牌は三河の大樹寺へ安置せよ」
という家康の遺言によったものです。


襖絵や歴代将軍の位牌を観た後に、
松平家の墓所に向かいました。

墓所に向かう途中にある多宝塔です。



この多宝塔は1535年(天文4年)に
家康の祖父・松平清康が建立したものです。

安政年間の大火でも被害にあわず、
優雅な姿を今に残しています。


松平家8代の墓所はこの多宝塔の右手、
お墓が並んでいる一番奥まったところにありました。



一番左手のどっしりとした墓石は
1969年(昭和44年)に作られた
徳川家康のお墓で、その向こうに
1615年(元和元年)に、家康によって再建された
松平八代のお墓が続いていました。



このお墓は、初代の松平親氏公のものと思います。
松平親氏公のお墓は、
松平発祥の地の高月院にもあります。

松平郷の様子はこちらです。


徳川家にゆかりの深い大樹寺ですが、
訪れる人は少なく、この墓地の周囲も
静まりかえっていました。


今ではそれ程広くはない大樹寺の
境内を見回った後、先ほど山門から
眺めた総門に行ってみました。

大樹寺の別院が建っていたところは
今では小学校となり、総門はその
校庭の南側に建っています。



1636年(寛永13年)に建てられたものです。


住宅地の間に建つ大樹寺は徳川家・松平家の
菩提寺としてはとても質素な雰囲気のお寺ですが、
質実剛健で知られる三河に似合ったお寺と思います。



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