伊賀八幡宮は、松平氏第四代の親忠公が
松平家の家運長久、子孫繁栄を祈願する為に
今の三重県、伊賀から社を移したのが
始まりと伝えられているようです。
伊賀八幡宮の地図はこちらです。
これが伊賀八幡宮の鳥居で、この奥に
参道が続き、二の鳥居も見えています。
参道を進んでいくと、
伊賀川に架かる神橋を渡ります。
伊賀川の堤防には桜の並木が続いています。
春には桜のトンネルがとても綺麗です。
蓮池に架かる石橋の様子です。
橋の袂には石造りの常夜燈も建っています。
煌びやかさはありませんが、歴史の重みと
将軍家の威光を感じました。
そして、一段高くなったところに聳える随身門です。
1636年(寛永13年)、家光が建てたものです。
徳川家康の石造が安置されていました。
随身門の奥には拝殿、幣殿そして
本殿が一直線上に並んでいます。
この3つの社殿が一体になっているのは
権現造り様式と言わえるそうです。
この伊賀八幡宮では、家康の父・広忠公が
織田信秀(織田信長の父)と戦った際に、
八幡宮に勝利を祈願したところ、
馬に乗った武者が現れ、その武者が
白羽の矢を敵陣に放つと、嵐となり、
白羽の神矢が雨のように敵陣に飛び、
勝ちを収めたという逸話があるそうです。
また徳川家康も出陣の際には必ず
参拝したそうで、関が原や大阪の陣では
神殿が鳴動し、鳥居が移動したとも
言われているそうです。
拝殿の手前にある祈祷所の様子です。
柵があり、ここより奥へは進めません。
祈祷所から拝殿を眺めた様子です。
拝殿の奥の幣殿は見えず、
本殿は微かに屋根が見えている程度でした。
本殿も、従来は家光が1636年(寛永13年)に
造営した際に建てられたものと考えられて
いたようですが、1952年(昭和27年)の調査で、
家康が造営した1611年(慶長16年)と
見直されているようです。
本殿の左手にある牟矢津社の様子です。
この社も質素ながら歴史を感じさせてくれました。