真福寺は594年(推古天皇2年)に建立された
天台宗のお寺で、三河最古の寺院と言われています。
当時の有力豪族・物部守屋の子、
真福
招福の鐘は真福寺の鐘の事で、
この道が真福寺に続いています。
丘陵地を行く道からは遠く岡崎市の
中心街を眺める事が出来ました。
真福寺は岡崎市北部の岩津の集落の
東に広がる丘陵地にありました。
この三柱神社は真福寺の
塔頭の一つだったようです。
神社が寺院の塔頭の一つとは、
神仏混合の残りなのでしょうか。
この三柱神社の先にあった真福寺仁王門です。
古めかしい堂々とした門です。
この仁王門の創建の年代は不明とのことですが、
1410年(応永17年)に焼失し、1494年(明応3年)に
再建されたと伝わっているようです。
現在残るこの門は、仁王像が造られた
16世紀初め頃のものだそうです。
仁王門の堂々とした阿吽の仁王像です。
胎内銘から1515年(永正12年)に
仏師・宗梅が造立したものだそうです。
仁王門をくぐり、参道の一本奥にある
竹林参道を上って本堂に向かいました。
この深い竹林の間の道を上ると
開山堂がありました。
真福寺を開いた物部真福が祀られ、
その木像が安置されているそうです。
開山堂の先は、平坦な地形になりましたが、
左手に土塁が築かれ、右手は高台があり、
その間の谷間の様な地形になっていました。
ここに多宝塔がありました。
室町時代初期の総欅造りの建物だそうです。
さすがに創建が古い真福寺だけあって、
現存する建物も古いものが多く残っています。
この多宝塔から、高台にある
本堂を眺めた様子です。
本堂へと至る石段の周囲には木々が鬱蒼と生い茂り、
階段の脇には旗指物が並び、深遠な感じがしました。
その隣には、寺院内神社である
八所神社の石鳥居が立っていました。
多宝塔から、先ほどの鬱蒼とした木々に
囲まれた石段を上り、本堂に向かいました。
真福寺のご本尊は、この本堂内の
八角堂にある井戸水あそうです。
本堂から眺める石段はとても急勾配でした。
この本堂の奥には大師堂がありました。
ここには比叡山延暦寺中興の祖として知られる
高僧・慈恵大師の木像が納められています。
この木像は1274年(文永11年)に延暦寺の
僧・栄盛が発願し造った3体のうちの一つで、
国の重要文化財に指定されています。
本堂から左右に高架の回廊が伸びていて
それを渡って招福の鐘を目指しました。
回廊から眺める八所神社の様子です。
この八所神社は、真福寺が建立される以前に
既にこの地に祠が設けられていたという
古い歴史を持っています。
祀られているのは白山比当スで、
徳川家康の崇敬が厚く、江戸時代初期の
1612年(慶長17年)に拝殿が建立され、
1755年(宝暦5年)には災害で大破した
拝殿が復興されているそうです。
そして、回廊の端に位置する
招福の鐘と呼ばれる真福寺の鐘楼です。
この真福寺にはこの他にも国の重要文化財に
指定されている白鳳時代の仏頭もあり、
また竹善料理でも知られているそうです。