岡崎市の中心部を流れる乙川を遡ると
その名を男川と変え、のどなか山間を
流れるようになります。
岡崎市の中心街から15km程の
ところに天恩寺があります。
天恩寺の地図はこちらです。
この山間の道は、長篠城が武田軍に包囲され、
落城の危機に陥った際に、長篠城を脱出し、
岡崎城の徳川家康に援軍を頼むべく、
50kmの山道を駆け抜けた鳥居強右衛門が
通った道と言われています。
これは、長篠城に戻る寸前で武田軍に捕まり
逆さ磔にされた鳥居強右衛門です。
長篠・設楽原の合戦の際の鳥居強右衛門の様子は
長篠・設楽原と長篠城のページで紹介しています。
天恩寺は足利尊氏の遺言によって
1362年(貞治元年)に足利義満が建立した
由緒あるお寺です。
この山門と仏殿が国の
重要文化財に指定されています。
そんな由緒ある古刹なのですが、
この天恩寺の事は、2008年11月に
天恩寺の前の道を自転車で
走った時まで知りませんでした。
山門をくぐった左手には、石仏や
石碑が並び、古風な佇まいでした。
この石仏や石碑の先には
杉の巨木が立っていました。
長篠城からの鳥居強右衛門の急報で、
出陣した家康が天恩寺に立ち寄った際、
刺客がこの杉の巨木の陰に隠れていたのですが
天恩寺の本尊・延命地蔵菩薩が声を上げ、
家康は難を逃れる事が出来たそうです。
振り返って眺めた杉の巨木。
難を逃れた家康も、馬上から
何度も振り返って眺めたそうで、
この杉は「見返りの杉」と名付けられています。
「見返りの杉」の正面には、
石垣の上に仏殿が見えていました。
この石垣は慶長から元和にかけて
築かれたそうなので、積まれてから
400年程経っているでしょうか。
石垣の下には放生池に
太鼓状の石橋が架かっています。
この右手には苔むした石段の
向こうに水盤舎が見えていました。
水盤舎の屋根が鐘楼の様にも見えます。
放生池に架かる石橋を渡り、急な石段を
上ると仏殿が目の前に見えてきます。
仏殿の屋根は強く反り返り
唐風の趣があります。
国の重要文化財の仏殿は山門とともに、
室町時代に建てられたものだそうです。
仏殿の手前にある中門の佇まいもいいものでした。
11月の下旬に訪れた際、
仏殿の裏の紅葉が綺麗でした。
この天恩寺も他に訪れる人はおらず
とても静かな佇まいでした。
由緒あるこの天恩寺を多くの方に知ってもらい
少しでも参拝客が増えるといいな、と思います。