【吉井陣屋概要】
吉井陣屋は、群馬県多胡郡にあった吉井藩の藩邸です。
吉井藩は、1590年(天正18年)に江戸に入府した徳川家康が
家臣・菅沼定利に2万石を与えた事から始まります。
菅沼定利は、三河の田峯を治めていた
菅沼貞直の子と伝わります。
田峯城の登城跡はこちらです。
1602年(慶長7年)に菅沼定利が亡くなると、
養嗣子の忠政が跡を継ぎます。
忠政の母は、家康の長女・亀姫であり、
松平姓が許されます。
松平忠政は、父・信昌から1610年(慶長15年)に
家督を譲られ、加納藩主となった為、
吉井藩は廃藩となります。
その後、1682年(天和2年)に堀田正休が、
再度吉井藩を立ち上げるものの、1698年
(元禄元年)に移封となります。
1709年(宝永6年)に鷹司松平家の松平信清が
1万石の大名となり、現在の吉井町矢田に
矢田藩を置きます。
この矢田藩が1752年(宝暦2年)に
吉井に移築されました。
吉井陣屋は、現在の吉井町の中心地近くに位置していました。
藩主は江戸定住だった為、陣屋の規模は小さかったようです。
吉井へは、高崎駅から上信電鉄で7駅目、
所要時間は25分程です。
吉井陣屋跡は駅から徒歩5分程です。
上信電鉄線の乗車記はこちらです。 【吉井陣屋訪問記】
2011年12月、箕輪城を訪れた後、バスで
高崎に出て、上信電鉄に乗り継いで
吉井にやってきました。
箕輪城の登城記はこちらです。
吉井駅の南約200m程のところに
江戸時代に吉井陣屋がありました。
駅を出て、駅前の通りを真っすぐ南に向かうと
道の脇に、吉井陣屋の表門が残されていました。
この表門は、1752年(宝暦2年)に、矢田藩が吉井に
引っ越しした後に建てられたものと伝わるそうです。
正確な年月は分っていないようです。
武骨な門が、何気なく静かな町中に建っていて
少々違和感を覚えました。
表門の脇には公民館が建っていました。
当時の吉井陣屋は、この公民館よりも
北に位置していたようです。
駅へと少し戻った駅前通りの様子です。
上の写真の横断歩道よりも先が
陣屋跡になります。
横断歩道の角を左に折れ、住宅地の中を歩いていくと、
吉井陣屋の敷地に建てられていた春日社跡の
土塁が残っていました。
この春日社は、吉井陣屋の南西隅にあったようです。
土塁の上には、大正時代に建てられた吉井藩沿碑と
皇太后と皇后陛下に関する碑がありました。
春日社跡の土塁の北側には、
当時の足軽屋敷も残っていました。
今は、住宅として使われ、屋根もトタン板で
葺かれていて、当時の面影は残っていませんでした。