足助陣屋
Asuke Jinya, Aichi

訪問日:
2012. 2. 18


【足助陣屋概要】

足助陣屋は、現在の愛知県豊田市に、
本多忠周
(ただちか)が構えた陣屋です。

本多忠周は、徳川四天王の一人、本多忠勝のひ孫です。
本多忠周の父、本多忠義は1649年(慶安2年)に越後の
村上藩から加増を受け、陸奥、白河藩に入封しており、
本多忠周は、その際に五千石を分知されています。

村上城の登城記はこちらです。
白河小峰城の登城記はこちらです。

その際、本多忠周は足助に陣屋を置きました。
忠周は寺社奉行を命じられ計五千石を加増され足助藩を
立藩しましたが、1683年(天和3年)に寺社奉行職を免ぜられ、
1689年(元禄2年)には加増分3千石が没収されたといいます。
以降、本多家は7千石の旗本として明治を迎えました。

足助陣屋は足助の町中に位置していました。

下は、現地の案内板に書かれていた足助陣屋の縄張り図です。


撮影: 2011年5月

陣屋の建物は、座敷が一室と次の間が2部屋あるだけの
極めて質素な建物だったようです。

【足助陣屋へのアクセス】

名鉄三河線豊田市駅から名鉄バスで足助学校下へ。
足助学校下バス停から北に徒歩約3分。

【足助陣屋訪問記】

2012年2月、足助の町並みを散策しました。
この時期、町並みの各お店では雛飾りが展示され、
それを目当てに訪れる人も多く、足助の町は賑わっていました。

足助の散策記はこちらです。


撮影: 2017年10月

足助陣屋は、足助本町から田町へと
向かう通りの北側に位置しています。


撮影: 2017年10月

上の写真は、足助田町の入口から足助陣屋を眺めた様子です。
足助陣屋は、明治に入ると足助庁舎として用いられ、
1883年(明治16年)には東加茂郡役場が
陣屋跡に建てられています。

足助陣屋跡の入口正面の様子です。


撮影: 2017年10月

足助陣屋跡は昭和に入り足助町役場や県の
足助農林振興センターとして使用されていました。
入口、両脇の門柱はその時の名残と思います。


撮影: 2017年10月

2017年10月に訪れた際、陣屋跡は更地になっていましたが、
2012年2月に訪れた際には足助農林振興センターの
建物が残っていました。


撮影: 2012年2月

足助陣屋は7,000石の所領の旗本の持つ小さな陣屋で、
以前は町役場が置かれていた陣屋跡も更地になっています。
陣屋があったことが、後世に伝わるといいなと思っています。

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