岩国城は、毛利元就の家臣・吉川広家が、
岩国城は岩国市街の西側、蛇行する錦川を
山頂の城郭部には天守を含む本丸、
岩国城は、完成から僅か7年後の1615年
吉川氏の治める岩国領は三万国の石高がありました。
岩国城の最寄り駅はJR岩徳線の西岩国駅です。
西岩国から錦帯橋を通り、岩国城麓の
錦帯橋を渡り、岩国領の政庁のあった
錦川に架かる錦帯橋越しに眺める
ロープウェイから眺める吉香公園の様子です。
ロープウェイを降り木々の間を岩国城へと向かいます。
やがて道端に立派な石垣が見えて来ました。
この先では木々の間から高い位置にも
この石垣は二の丸の南に位置する
その出丸を回り込み、二の丸へと続く
この石段を上ったあたりに、
石段を登り切って左手に進むと、石垣に使われて
二の丸からは模擬天守閣が望められました。
岩国城の模擬天守の脇のスロープが
スロープを上り、模擬天守の前に出ました。
「天守構造図」という絵図を基に347年ぶりに
鉄筋コンクリートで建てられた岩国城の模擬天守は
反対側には、遠くに新幹線の新岩国駅が見えていました。
模擬天守に登った後は、北の丸へと向かいました。
立派な天守台が残っていますが、調べてみると
模擬天守が本来の位置に建てられなかったのは、
模擬天守が建てられた昭和30年代は、江戸時代の
岩国城を訪れた際には、元の場所に何故、天守を
本丸の東には、櫓跡もありました。
こんもりとした微高地があり、
櫓台の東には深く切れ込んだ窪地がありました。
この窪地は空堀跡で、幅約20m、
この先に北の丸がありました。
北の丸から、本丸の北側を回って
先ほど眺めた空堀を再び眺めて進みます。
これも先ほど眺めた本丸天守台跡です。
この先に、大釣井という大きな井戸もありました。
岩国城は、築城後わずか7年で廃城になって
Iwakuni Castle, Japan
登城日:
2011.6.18
関ヶ原の戦いの後の1600年(慶長5年)に岩国に
移封になったことから築城の計画が進められ、
1608年(慶長13年)に完成したお城です。
望む横山に城郭が築かれ、麓に御土居と
呼ばれる居館を築かれています。
岩国陣屋のページはこちらです。
二の丸と北の丸の曲輪があります。
(元和元年)に発令された一国一城令により
山上の城郭部が廃城となっています。
長州藩の支藩として岩国藩が存在しても不思議では
ないのですが、長州藩は吉川氏は陪臣であるとし、
岩国藩の存在を認めず岩国も長州藩としていました。
ロープウェイ乗り場まで徒歩30分程です。
そこからロープウェイで上がる事が出来ます。
【岩国城登城記】
御土居跡の吉香公園の散策を終え、
ロープウェイで岩国城に向かいました。
岩国城の模擬天守です。
撮影: 2011年6月
江戸時代には、ここは御土居と呼ばれ、領主・
吉川氏の屋敷や岩国領の政庁がありました。
撮影: 2011年6月
岩国陣屋のページはこちらです。
撮影: 2011年6月
石垣の角の部分は算木積みになっていて、
関ヶ原以降に築かれた事がわかります。
撮影: 2011年6月
石垣が見えていました。
撮影: 2011年6月
出丸の石垣と思います。
石段を上りました。
撮影: 2011年6月
岩国城の追手門があったようです。
いたような石で整備され、四阿も建っていました。
撮影: 2011年6月
撮影: 2011年6月
本丸へと続いていました。
撮影: 2011年6月
模擬天守は1962年(昭和37年)に建てられています。
撮影: 2011年6月
建てられた天守ですが、残念ながら本来天守が
建っていた場所とは別の場所に建てられました。
撮影: 2011年6月
最上階が展望台になっていて、麓の御土居の様子や
岩国の市街地、錦川に架かる錦帯橋が見えていました。
撮影: 2011年6月
その途中、本丸に残る天守台跡がありました。
模擬天守から30m程北側に位置しています。
1995年(平成7年)に発掘され復元されたそうです。
撮影: 2011年6月
本来の場所に模擬天守を建てると、市街地から
離れているので、その姿が良く見えなくなる
という理由だったそうです。
城郭跡が文化財という認識はなく、この天守台の
発掘は行われていなかったとすると、元にあった
場所に模擬天守を建てていたら、この石垣は
未来永劫、破壊されていたかもしれません。
建てなかったのか、と残念な思いでいましたが、
そう考えると、別の場所に模擬天守を建てた
おかげで、この天守台が復元されたのは、
良かったのでは、と思えてきました。
撮影: 2011年6月
そこが櫓台だったと思います。
撮影: 2011年6月
深さ10mと規模の大きな空堀です。
遊具が置かれ、市民の憩いの公園となっています。
撮影: 2011年6月
ロープウェイ乗り場へと戻ります。
撮影: 2011年6月
本丸も予想以上の傾斜地になっているようです。
北側から眺める天守台は予想以上に高く立派でした。
撮影: 2011年6月
撮影: 2011年6月
いますが、予想以上に遺構が残っていました。