廉櫓跡から月見櫓、東入口
2011年6月、二度目の高松城登城を行いました。
高松駅から、琴電の高松築港駅に向かうと
そこが高松城の入り口です。
撮影: 2011年6月
高松城址は玉藻公園として整備されています。
西入口がありますが、まずは公園外から
高松城の遺構を見て回りました。
西入口の左手に櫓台がありました。
この櫓台が二ノ丸の北西隅にあった廉櫓の櫓台です。
撮影: 2011年6月
櫓台の角は算木積みになっていますが、平面部分は
丸い石を用いた野面積みになっているようです。
廉櫓の櫓台から高松城の北側に石垣が続いています。
今は、道路脇からその石垣を眺める事が出来ますが、
江戸時代には廉櫓台から続く石垣の北側には
海が広がっていました。
この先に月見櫓があります。
撮影: 2011年6月
海を埋め立てて築かれた北の丸の北西の隅櫓です。
1676年(延宝4年)に松平頼常によって築かれています。
撮影: 2011年6月
月見櫓は水の手門、渡櫓と一体になっています。
海からの船が直接城内に入る事が出来たそうです。
石垣は、月見櫓の後ろにも続いており、
再び櫓台跡の石垣が現れました。
北の丸の北東隅にあった鹿櫓の櫓台です。
撮影: 2011年6月
このすぐ東には香川県の県民ホールが建っています。
石垣は、やや南側に折れ曲がって更に続いています。
撮影: 2011年6月
石垣は県民ホールの建物の下を更に東に延びています。
その先にも、県民ホールの建物に囲まれた櫓台がありました。
撮影: 2011年6月
この櫓台は、東の丸の北東隅にあった艮櫓の櫓台です。
艮櫓は、1967年(昭和42年)に、この場所から高松城の
南西に位置する太鼓櫓跡に移築されています。
艮櫓台から南に向かい、東の丸と
三ノ丸の間にあった中堀に出ました。
撮影: 2011年6月
中堀を南に向かうと、移築された艮櫓が見えてきました。
その向こうに丁度、琴電の電車が走り去っていきました。
撮影: 2011年6月
琴平電鉄の乗車記はこちらです。
このすぐ北側に、玉藻公園の東入口がありました。
撮影: 2011年6月
それまで30分近く、高松城の外周を巡っていましたが、
これからようやく城址に入ります。
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艮櫓から披雲閣
中堀に架かる旭橋を渡り、玉藻公園内に入ります。
旭橋を渡った先に、桝形門型式の旭門があります。
撮影: 2011年6月
切り込みハギの立派な石垣が桝形門を固めています。
桝形の中に埋門があります。
他では見たことがないのですが、桝形に入った敵を
背後から襲う目的だったのでしょうか。
この旭門を抜けると、太鼓櫓跡の櫓台に
移築された艮櫓が聳えていました。
撮影: 2011年6月
丁度、満開の躑躅が彩を添えていました。
振り返って眺めた艮櫓の様子です。
撮影: 2011年6月
艮櫓は1677年(延宝5年)に、月見櫓と
同じ時期に建てられています。
月見櫓などと共に現存の建物は
重要文化財に指定されています。
艮櫓のある曲輪は、桜の馬場と呼ばれていたそうです。
馬の訓練に使われたのか、当時も建物はなかった様です。
撮影: 2011年6月
桜の馬場を横切り、内堀に出ました。
桜の馬場から眺める三ノ丸の様子です。
三ノ丸の入り口の桜御門跡が見えていました。
撮影: 2011年6月
その左手には中堀に浮かぶ天守台があります。
2011年6月に訪れた際には、天守台の石垣は
生憎、修復工事中でした。
撮影: 2011年6月
桜の馬場から三ノ丸への正門となる
桜御門へと向かいました。
撮影: 2011年6月
桜御門は櫓門型式だったようで、明治以降も
現存していましたが、第二次大戦時の空襲で
焼失してしまったそうです。
桜御門を抜けると、披雲閣があります。
撮影: 2011年6月
江戸時代にも披雲閣と呼ばれる御殿が建っていましたが
1872年(明治5年)に取り壊されてしまいます。
その後、1917年(大正6年)に、藩主・松平氏の12代当主・
松平頼尋氏が現在の披雲閣を建立しています。
撮影: 2011年6月
現在の披雲閣の建坪は1887平米(約570坪)と広大ですが、
当時は、現在の披雲閣の2倍の広さがあったそうです。
撮影: 2011年6月
披雲閣の周囲の庭園も綺麗に整備されています。
生駒氏の時代には、ここには広大な庭園が
広がっていたそうです。
撮影: 2011年6月
内苑御庭と呼ばれている現在の庭園も
披雲閣と同じく、1917年(大正5年)に
枯山水の庭園として整備されたものです。
内苑はL字型に西に延びており、そこから天守台や
天守台への唯一の通路だった鞘橋が見えていました。
撮影: 2011年6月
披雲苑の裏側には小さな門がありました。
撮影: 2011年6月
三ノ丸の北側のこの門を抜けると、
二ノ丸へと向かう事が出来ます。
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二ノ丸跡と天守跡
披雲閣の裏手の門を抜けると、先ほど
城外から眺めた月見櫓が目の前に現れました。
撮影: 2011年6月
やはり現存の櫓は見応えがあります。
この月見櫓から西に向かって進みます。
撮影: 2011年6月
しばらく三ノ丸の庭園・内苑が続きますが
その先には二ノ丸との間の内堀が切れ込んでいます。
その内堀の所に、水門がありました。
撮影: 2011年6月
この水門から内堀に海水を引き込んでいます。
高松城の堀の水位は、海の満ち引きで変化し、
また堀には鯛も泳いでいるようです。
水門の先に黒櫓、弐櫓の櫓台があり、
その間の鐡門の跡からは二ノ丸が見えています。
撮影: 2011年6月
二ノ丸は本丸の北側に位置しており、
小さな曲輪ですが、天守台へ行くには
二ノ丸を通って行く構造になっていました。
島の様に浮かぶ天守台には、二ノ丸から鞘橋を渡ります。
2011年5月に訪れた際には、天守台の石垣の修復工事中で
鞘橋も、残念ながら閉鎖されていました。
撮影: 2011年6月
2004年5月に初めて高松城を訪れた際には
天守台まで訪れています。
撮影: 2004年5月
天守台には1642年(寛永19年)に下館から高松に
移った松平頼重公を祀る社がありました。
撮影: 2004年5月
高松城の天守は1884年(明治17年)に取り壊されました。
訪れた時、丁度、胡弓を練習している人たちがいて、
時を越えて流れるような胡弓の音色が響いていました。
鞘橋から二ノ丸の西に向かいます。
二ノ丸からはJR高松駅前のビルや
ホテルが見えていました。
撮影: 2011年6月
天守台が修復中だったのは残念でしたが、
一通り、城内の散策を終えて西出口から
玉藻公園の外に出ました。
撮影: 2011年6月
西出口の左手に琴平電鉄の高松築港駅があります。
琴平電鉄の乗車記はこちらです。
撮影: 2017年2月
この高松築港駅は、江戸時代には中堀だった所です。
駅のホームからは鞘橋が良く見えていました。
撮影: 2017年2月
2017年2月の写真を見ると、天守台の修復工事は
終っているようですが、天守台にあった社は
再建されていないようです。
江戸時代には、高松築港駅の西側に
御屋敷などが建つ曲輪がありました。
撮影: 2017年2月
今は、高松駅前の新しいビルが建つ一角です。
江戸時代に高松城だった痕跡は残っておらず、
駅に降り立った人もその事を知っている方は
少ないのではないでしょうか。
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