高松城
Takamatsu Castle, Japan

登城日:
2004.5.6 & 2011.06.05

【高松城 概要】

高松城は1588年(天正15年)から生駒親正が3年の
年月を費やし、1590年(天正18年)に完成したお城です。

生駒氏は高松藩の藩主となり17万石を拝していましたが、
お家騒動があって改易され、1642年(寛永19年)に
水戸黄門で知られる徳川光圀の兄、松平頼重が
12万石で常陸国下館から入城します。

下館城の登城記はこちらです。

高松城は全国でも珍しい海の水を引き入れた海城で、
今見る城郭は1642年(寛永19年)から松平頼重、
その子・頼常が整備したものです。

高松城の縄張は、湖に浮かぶが如く、幅広い濠に
囲まれた天守台が城の中央に位置し、その天守台を
囲むように二ノ丸、三ノ丸などが配されています。

高松の散策記はこちらです。

高松城には2004年5月と2011年6月に登城しています。
その時の様子を紹介します。

【高松城へのアクセス】

JR高松駅から東に徒歩5分程です。
また琴平電鉄の高松築港駅に隣接しています。

琴平電鉄の乗車記はこちらです。

【高松城登城記】

廉櫓跡から月見櫓、東入口
Jan. 26, '20

艮櫓から披雲閣
Jan. 29, '20

二ノ丸跡と天守跡
NEW ! Feb. 04, '20

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廉櫓跡から月見櫓、東入口

2011年6月、二度目の高松城登城を行いました。
高松駅から、琴電の高松築港駅に向かうと
そこが高松城の入り口です。


撮影: 2011年6月

高松城址は玉藻公園として整備されています。
西入口がありますが、まずは公園外から
高松城の遺構を見て回りました。

西入口の左手に櫓台がありました。
この櫓台が二ノ丸の北西隅にあった廉櫓の櫓台です。


撮影: 2011年6月

櫓台の角は算木積みになっていますが、平面部分は
丸い石を用いた野面積みになっているようです。

廉櫓の櫓台から高松城の北側に石垣が続いています。
今は、道路脇からその石垣を眺める事が出来ますが、
江戸時代には廉櫓台から続く石垣の北側には
海が広がっていました。

この先に月見櫓があります。


撮影: 2011年6月

海を埋め立てて築かれた北の丸の北西の隅櫓です。
1676年(延宝4年)に松平頼常によって築かれています。


撮影: 2011年6月

月見櫓は水の手門、渡櫓と一体になっています。
海からの船が直接城内に入る事が出来たそうです。

石垣は、月見櫓の後ろにも続いており、
再び櫓台跡の石垣が現れました。
北の丸の北東隅にあった鹿櫓の櫓台です。


撮影: 2011年6月

このすぐ東には香川県の県民ホールが建っています。
石垣は、やや南側に折れ曲がって更に続いています。


撮影: 2011年6月

石垣は県民ホールの建物の下を更に東に延びています。
その先にも、県民ホールの建物に囲まれた櫓台がありました。


撮影: 2011年6月

この櫓台は、東の丸の北東隅にあった艮櫓の櫓台です。
艮櫓は、1967年(昭和42年)に、この場所から高松城の
南西に位置する太鼓櫓跡に移築されています。

艮櫓台から南に向かい、東の丸と
三ノ丸の間にあった中堀に出ました。


撮影: 2011年6月

中堀を南に向かうと、移築された艮櫓が見えてきました。
その向こうに丁度、琴電の電車が走り去っていきました。


撮影: 2011年6月

琴平電鉄の乗車記はこちらです。

このすぐ北側に、玉藻公園の東入口がありました。


撮影: 2011年6月

それまで30分近く、高松城の外周を巡っていましたが、
これからようやく城址に入ります。

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艮櫓から披雲閣

中堀に架かる旭橋を渡り、玉藻公園内に入ります。
旭橋を渡った先に、桝形門型式の旭門があります。


撮影: 2011年6月

切り込みハギの立派な石垣が桝形門を固めています。

桝形の中に埋門があります。
他では見たことがないのですが、桝形に入った敵を
背後から襲う目的だったのでしょうか。

この旭門を抜けると、太鼓櫓跡の櫓台に
移築された艮櫓が聳えていました。


撮影: 2011年6月

丁度、満開の躑躅が彩を添えていました。
振り返って眺めた艮櫓の様子です。


撮影: 2011年6月

艮櫓は1677年(延宝5年)に、月見櫓と
同じ時期に建てられています。
月見櫓などと共に現存の建物は
重要文化財に指定されています。

艮櫓のある曲輪は、桜の馬場と呼ばれていたそうです。
馬の訓練に使われたのか、当時も建物はなかった様です。


撮影: 2011年6月

桜の馬場を横切り、内堀に出ました。
桜の馬場から眺める三ノ丸の様子です。
三ノ丸の入り口の桜御門跡が見えていました。


撮影: 2011年6月

その左手には中堀に浮かぶ天守台があります。
2011年6月に訪れた際には、天守台の石垣は
生憎、修復工事中でした。


撮影: 2011年6月

桜の馬場から三ノ丸への正門となる
桜御門へと向かいました。


撮影: 2011年6月

桜御門は櫓門型式だったようで、明治以降も
現存していましたが、第二次大戦時の空襲で
焼失してしまったそうです。

桜御門を抜けると、披雲閣があります。


撮影: 2011年6月

江戸時代にも披雲閣と呼ばれる御殿が建っていましたが
1872年(明治5年)に取り壊されてしまいます。
その後、1917年(大正6年)に、藩主・松平氏の12代当主・
松平頼尋氏が現在の披雲閣を建立しています。


撮影: 2011年6月

現在の披雲閣の建坪は1887平米(約570坪)と広大ですが、
当時は、現在の披雲閣の2倍の広さがあったそうです。


撮影: 2011年6月

披雲閣の周囲の庭園も綺麗に整備されています。
生駒氏の時代には、ここには広大な庭園が
広がっていたそうです。


撮影: 2011年6月

内苑御庭と呼ばれている現在の庭園も
披雲閣と同じく、1917年(大正5年)に
枯山水の庭園として整備されたものです。

内苑はL字型に西に延びており、そこから天守台や
天守台への唯一の通路だった鞘橋が見えていました。


撮影: 2011年6月

披雲苑の裏側には小さな門がありました。


撮影: 2011年6月

三ノ丸の北側のこの門を抜けると、
二ノ丸へと向かう事が出来ます。

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二ノ丸跡と天守跡

披雲閣の裏手の門を抜けると、先ほど
城外から眺めた月見櫓が目の前に現れました。


撮影: 2011年6月

やはり現存の櫓は見応えがあります。
この月見櫓から西に向かって進みます。


撮影: 2011年6月

しばらく三ノ丸の庭園・内苑が続きますが
その先には二ノ丸との間の内堀が切れ込んでいます。

その内堀の所に、水門がありました。


撮影: 2011年6月

この水門から内堀に海水を引き込んでいます。
高松城の堀の水位は、海の満ち引きで変化し、
また堀には鯛も泳いでいるようです。

水門の先に黒櫓、弐櫓の櫓台があり、
その間の鐡門の跡からは二ノ丸が見えています。


撮影: 2011年6月

二ノ丸は本丸の北側に位置しており、
小さな曲輪ですが、天守台へ行くには
二ノ丸を通って行く構造になっていました。

島の様に浮かぶ天守台には、二ノ丸から鞘橋を渡ります。
2011年5月に訪れた際には、天守台の石垣の修復工事中で
鞘橋も、残念ながら閉鎖されていました。


撮影: 2011年6月

2004年5月に初めて高松城を訪れた際には
天守台まで訪れています。


撮影: 2004年5月

天守台には1642年(寛永19年)に下館から高松に
移った松平頼重公を祀る社がありました。


撮影: 2004年5月

高松城の天守は1884年(明治17年)に取り壊されました。
訪れた時、丁度、胡弓を練習している人たちがいて、
時を越えて流れるような胡弓の音色が響いていました。

鞘橋から二ノ丸の西に向かいます。
二ノ丸からはJR高松駅前のビルや
ホテルが見えていました。


撮影: 2011年6月

天守台が修復中だったのは残念でしたが、
一通り、城内の散策を終えて西出口から
玉藻公園の外に出ました。


撮影: 2011年6月

西出口の左手に琴平電鉄の高松築港駅があります。

琴平電鉄の乗車記はこちらです。


撮影: 2017年2月

この高松築港駅は、江戸時代には中堀だった所です。
駅のホームからは鞘橋が良く見えていました。


撮影: 2017年2月

2017年2月の写真を見ると、天守台の修復工事は
終っているようですが、天守台にあった社は
再建されていないようです。

江戸時代には、高松築港駅の西側に
御屋敷などが建つ曲輪がありました。


撮影: 2017年2月

今は、高松駅前の新しいビルが建つ一角です。
江戸時代に高松城だった痕跡は残っておらず、
駅に降り立った人もその事を知っている方は
少ないのではないでしょうか。

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