明石城
Akashi Castle, Japan


登城日:
2008. 01. 03






明石城は1618年(元和4年)、将軍・徳川秀忠が
西国諸藩の抑えとして、信州松本から明石の地に
移封となった小笠原忠真に命じて、築城させたお城です。

1619年(元和5年)1月に始まった工事は
同年8月には作事(城の建物の工事)が始まり、
1620年(元和6年)に落成しています。

一国一城令で廃城になった伏見城や近隣の船上城、
三木城そして高砂城の資材を用い、また幕府も本丸、
二ノ丸そして三ノ丸を直営で工事したため、
短期間で完成したようです。

小笠原忠真公の後は、本多氏、松平氏、大久保氏と
譜代の大名が藩主を勤め、1682年(天和2年)に
松平直明公が越前大野より入封すると、明治まで
松平氏が10代に渡って藩主を務めています。

地図はこちらです→ Mapion

明石城は、JR明石駅の北側に位置していて
駅のホームからは現存の巽櫓と坤(ひつじさる)櫓を
見ることが出来ます。

縄張りは、小高い丘の上に、本丸・二ノ丸、
東ノ丸を西から東に配し、本丸の南に三ノ丸、
西には稲荷曲輪を配した連郭梯郭混合式という
縄張りになっています。





この明石城を訪れたのは2008年1月3日です。
赤穂城を訪れた後、JRで明石まで戻りました。

赤穂城の様子はこちらです。


明石駅前の横断歩道を渡ると、
すぐ目の前に明石城のお掘が見えています。



既に短い冬の日も西に傾き、肌寒くなっています。

三之丸中央にある大手門跡の桝形です。



櫓台が残り、その間隔の広さから
大きな櫓門がそびえていたと思わせます。

桝形を抜けると、公園として整備されている
三ノ丸跡に向こうに、高台に聳える
巽櫓と坤櫓、そしてその二つの櫓をつなぐ
白い土塀が見えてきました。



3重櫓が二つもあり、しかも高台に
聳えているので迫力満点です。
右側の櫓が巽櫓、左手が坤櫓です。

高台の下の三ノ丸跡は広々としていて
芝生広場や野球場、陸上競技場等が
作られています。

三ノ丸の東側には「武蔵の庭」という
庭園が造られていました。



諸国を巡り剣の道を究めた剣豪・宮本武蔵は
初代藩主・小笠原忠直に、明石藩にの招かれ
明石の町割りや城内に建てられた樹木屋敷の
建設に関わったそうです。

その所縁で、この庭園が作られたそうです。
ちなみに、樹木屋敷は今の陸上競技場
辺りに建てられていたそうです。


明石公園のるサービスセンターで
日本100名城のスタンプを押した後に、
高台にある本丸を目指しました。

本丸へは坤櫓の西側にある登城口から登りました。



高い石垣の下から仰ぎ見る
現存の坤櫓は迫力がありました。

登城口の石段の正面には、これも石垣が
高く積まれた天守台が聳えています。

天守台で左に折れると稲荷曲輪です。
下の写真は、稲荷曲輪の虎口です。



稲荷曲輪からは明石城の
北側に抜ける事が出来ます。

搦手口にあたる明石城は防御が弱く、
剛ノ淵や桜堀、薬研堀といった池や堀を
防御として機能させていたようです。

稲荷曲輪から、石垣が桝形状になっている
ところを抜けると、本丸の敷地が広がっていました。



明石城では、現地表示が少なく、
名前の判らない門なども多いです

先ほど下から見上げた天守台は一段高くなっています。
ここに上ると、坤櫓を見下ろす事が出来ます。



明石城は立派な天守台は築かれたものの、
天守の造営の許可が下りずに、
一度も建てられなかったそうです。

天守台の後は、本丸の南の端、
巽櫓と坤櫓を結ぶ帯郭に行ってみました。
ここには丁度二つの櫓の間に一段高い
展望台が設けられています。

既に陽も沈みかけ、西の空は赤く染まっています。



夕焼けを背景にした坤櫓の様子です。
夕暮れ、ひんやりとした空気が辺りを包み、
心に響くような景色でした。

展望台からの三ノ丸の様子です。



正面遠くに見えるのはJR明石駅です。

そして、右手には夕日を浴びた巽櫓が見えていました。



白壁が赤く染まった巽櫓の様子も格別でした。
この展望台から夕暮れの様子をいつまでも
眺めて居たかったのですが、暗くなる前に
本丸や二ノ丸、東ノ丸を訪れる事にしました。

今は坤櫓と巽櫓が残るのみですが、
当時の明石城には本丸の四隅に
櫓が建っていたそうです。

本丸の東北隅にあった艮櫓跡には
櫓台が残っていました。



その櫓台からの桜掘と二ノ丸の石垣の様子です。
本丸と二ノ丸との間には深く抉れた堀切があり、
二ノ丸の石垣も立派なものでした、


既に薄暗くなりかかり、急いで二ノ丸へと向かいました。



上の写真は、二ノ丸への入り口となる枡形門の跡です。

二ノ丸跡や東ノ丸跡は植物園のようになっていました。
東ノ丸の入り口にあたる門跡です。



どの門も立派な枡形門で、幕府直営で築城した
明石城の軍事上の重要性を伺い知ることが出来ます。

夕暮れが近づいていて、
慌しく二ノ丸と東ノ丸を巡ったので、
あまり印象に残っていないのが少々心残りです。

東ノ丸の東の外れまで行ったところで引き返し、
巽櫓の横から三ノ丸へと下りて行きました。



そびえる様な石垣に囲まれた登城口でした。

大手門を抜けて駅に向かおうとしたところ、
大手門の手前で、とき打ち太鼓という
からくり時計に気がつきました。

何人かの人が見守る中、
丁度、夕方5時のからくり人形が
「古城の舞」をしていました。

明石城は、夕陽を浴びた巽櫓と
坤櫓の印象が強く残るお城です。

明石城の南側の堀の南西に
織田家長屋門があります。

明石城築城の頃から残る門だそうです。

当時、この辺りには家老や重臣の屋敷が
並んでいたようで、この門は明石城の前身・
船上城から移築されたそうです。

船上城の散策記はこちらです。

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