船上城は、戦国時代播磨に勢力を伸ばした赤松氏が砦を築き
船下城は、明石市の西方、明石警察署の近くにあります。
1578年(天正6年)の三木合戦で別所氏が滅びると、
1585年(天正13年)に一旦廃城になったようですが、
しかし、1587年(天正15年)にバテレン追放令が発令されると
その後、池田利政、由之そして小笠原忠真が船上城に入りますが、
JR明石駅から神姫バス・林崎循環
1時間に2〜3本あり。
明石警察署の西側が船上城跡です。
または山陽電鉄西新町から徒歩約10分です。
2010年10月24日、前日に明石駅前で泊まり、
明石駅からバスに乗り、明石警察署で下車しました。
近くにあった住居案内の地図に
明石警察署の西側にあった小公園です。
この公園の南側から船上城の
左の写真の小さな杜が本丸跡に残る神社です。
この船上城を訪れたのは2010年10月でした。
東側からは、この景色を眺めるだけでしたので、
上の写真左から、北側の眺め、東側そして南の様子です。
船上城の遺構は神社のみで、田圃が広がるだけですが、
周囲は低い土地が続くのみで、船上城は水城だったようです。
本丸跡の神社に向かってみました。
朽ちかけたような、古城大明神の小さな祠でした。
遺構もほとんど残っていない船上城ですが、最近は、
船上城が廃城となった際に、1.6km程北東にある
明石城に残る2つの櫓のうち、
船上城の跡からは、当時の規模とかは全く
明石城に残る南側の堀の南西には
明石城の南西には、明石城の築城当初から
Funage Castle, Japan
登城日:
2010. 10. 24
1558年から1570年の永禄年間に三木城の支城となり、
別所長治の叔父・別所吉親が居城したようです。
船上城は蜂須賀正勝、生駒政勝へと移りました。
その直後に高山右近が高槻城から船上城に入り、
築城と城下町の整備をおこなったそうです。
右近は僅か2年で船上城から退く事になってしまいました。
1619年(元和5年)に明石城築城により、船上城は廃城になりました。
または藤江行に乗車。
明石警察署下車。
所要時間8分、210円。
この日の朝、船上城を訪れました。
この明石警察署の西側が船上城の城址と伝わります。
船上城址と記されていました。
撮影: 2010年10月
撮影: 2010年10月
城址を見渡すことが出来ました。
撮影: 2010年10月
右の写真の用水路は、当時の堀跡だったのでしょうか。
その際には、城跡は田圃として残っていましたが、
この登城記を書くにあたり、Google Mapで確認して
みると、田圃が住宅などに変わっているようです。
田圃の広がっている西側に回り込んでみました。
撮影: 2010年10月
上写真中央に写っている杜が本丸跡の神社です。
この田圃も僅かに本丸に相当する部分だったと思います。
地図でみると海も近く、当時は海にも面していたのでしょうか。
撮影: 2010年10月
撮影: 2010年10月
本丸跡に広がっていた田圃も宅地に変わっています。
明石城が築城されていますが、明石城には
船上城の櫓などが移築されているそうです。
撮影: 2008年1月
東側に建つ巽櫓もその一つだそうです。
(上の写真右手の櫓です)
想像できませんが、立派な櫓を備えた
規模の大きなお城だったのでしょうか。
織田家長屋門が残っています。
撮影: 2010年10月
家老や重臣らの屋敷が並んでいたようで、
この門も船上城から移築されたようです。