下妻城(多賀谷城)
Shimotsuma Castle, Japan


登城日:
2009. 7. 23







【下妻城(多賀谷城)概要】


下妻城は多賀谷氏家が1455年(康生元年)から
築城を開始し、1461年(寛正2年)に完成したそうです。

これに先立つ1454年(享徳3年)に多賀谷氏家は
弟の高経と共に関東管領・上杉憲忠を殺害し、
その功を古河公方・足利成氏に認められ、
この下妻を含む関三十三郷と
大名の地位を得たそうです。

その後、多賀谷氏は結城氏の家来という
位置付けながら独自に家勢を広げ、
戦国時代末期には20万石もの
実力を有していたそうです。

1590年(天正18年)の小田原征伐で
第7代の多賀谷重経は、忍城への攻撃に参加し
6万石の知行を秀吉から与えられます。

その後、文禄の役に参加せずに
知行を取り上げられ、関ヶ原の戦いでは
西軍に付いた事から7代、147年続いた
多賀谷氏は滅びてしまいます。


1590年(天正18年)に小田原征伐の後に家康の次男、
結城秀康の弟・鶴千代丸や次男・松平忠昌、
久松松平氏の松平定綱らが城主を務めています。

松平定綱公が1619年(元和5年)に掛川藩に
移封となると下妻城は廃城になったようです。

掛川城の登城記はこちらです。






下妻城は今の下妻市役所辺りを中心に
最盛期には東西1.5km、南北2.5kmもの
大城郭を有していたようです。

東西、南部は低湿地や沼に囲まれた
舌状に延びた微高地の上に建つ水城で
堅牢なお城だったそうです。



【下妻城(多賀谷城)へのアクセス】


関東鉄道下妻駅東口から
多賀谷城址公園まで
徒歩5分程です。

関東鉄道の時刻表はこちらです:
http://www.kantetsu.co.jp/train/timetable/timetable.html


関東鉄道の乗車記はこちらです。





【下妻城(多賀谷城)登城記】



下妻駅から駅の東側にある
多賀谷城址公園を目指しました。



この多賀谷城址公園が下妻城の
本郭跡と言われています。

下妻城の城主を長らく務めていた多賀谷氏にちなみ、
明治以降に多賀谷城と呼ばれるようになったようです。

ごくありふれた小公園の中に
土塁跡の様な小さな丘を見つけました。



その近くにあった一段高い土塁跡です。



この土塁跡は当時の遺構という事で
この上に多賀谷氏遺蹟碑が立っていました。



この下妻城址は昭和50年代までは遺構も
残っていたそうですが、この公園の隣に建つ
市役所を建設する際に遺構の殆どを
破壊したそうで、なんとも惜しまれます。


多賀谷城址公園を訪れた後、 関東鉄道
線路を渡り、西側を訪れてみました。

当時は丁度線路のある辺りが低湿地で
線路の西側が西郭だったようです。

下妻陣屋の様子はこちらです。


そこは、江戸時代に入って下妻陣屋として
下妻城跡を活用していたようです。

下妻陣屋跡の陣屋公園から更に
西に向かうとお寺が幾つか並んでいます。

このお寺の一つが金林寺です。



このお寺には鎌倉時代の作と伝えられる
木像の仏涅槃像が伝わっています。

この金林寺の裏には、広々とした
砂沼が広がっていました。



当時、下妻城の周囲にはこのような湖沼が
周囲を取り囲んでいたのでしょうか。



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