結城城
Yuki Castle, Japan


登城日:
2009. 8. 23







【結城城概要】


結城城は平安時代末期の治承年間(1177年〜1180年)に
結城朝光が築いたとされています。
現地の案内板では、南北朝の動乱期に
築かれたと考える方が妥当としています。

となると、1440年(永享12年)に結城一族は、
永享の乱で敗死した鎌倉公方足利持氏の遺児である
春王・安王兄弟を擁立し、結城城に篭城して室町幕府と
戦ったそうなので、その頃の築城になるのでしょうか。


結城城は、北関東平野に築かれています。





結城城の三方を取り囲む様に、鬼怒川支流の
田川が流れ、南側は結城用水が流れています。

これらの川に囲まれた微高地が結城城址です。



微高地に中に5つ程の曲輪があり、
その曲輪を空堀で区切っていたようです。


1447年(文安4年)には結城成朝が結城城に入ると
江戸時代初頭まで、結城氏の居城となったそうです。

1591年(天正19年)に徳川家康の次男・秀康が
結城氏の養子となり、1601年(慶長6年)に
結城秀康は福井に移封します。

結城秀康は家康に疎まれていたという話しも聞きますが、
次男を養子に出したという事は、家康が関東を治めるのに
結城氏の影響を如何に上手く排除するか、
気を使っていたのではないでしょうか。

結城城はその後廃城になったそうですが、
1700年(元禄13年)に水野勝長が結城藩を興し
以降、明治まで水野氏の居城となりました。



【結城城へのアクセス】


JR結城駅から結城城址歴史公園まで、
約2.0km程、徒歩約25分です。




【結城城登城記】



2009年8月23日に古河城を訪れた後、
JRの普通電車を乗り継ぎ、結城城を訪れました。

古河城の登城記はこちらです。
結城の街の散策記はこちらです。

駅から結城の街を抜け、親鸞聖人の妻・玉日姫の
お墓に詣でた後に、結城城に向かいました。



結城城を北側から眺めた様子です。
田圃の向こうの高台が結城城址です。

当時、この田圃は沼地だったと思います。



一見何気ないような地形に見えますが、
手前の沼や深田が敵の侵入を防ぎ、
天然の要塞になっていたのは想像に難くありません。


北側の登城口から、結城城にアプローチしました。
高台に登ると、そこは結城城址歴史公園でした。



その名とは似つかわしく、というか
どこにでもあるような小公園と言った感じです。

ここは館と呼ばれ、江戸時代に結城藩が
置かれた際に本丸だったところです。

この北側というと、結城城に上った際に通った辺りに
当時は、実城という曲輪があったようです。
室町時代にはここが主郭だったようです。


この結城城址歴史公園の西側には
聰敏神社がありました。
祭神は旧結城藩水野家の
初代水野勝成公だそうです。



この神社は、水野氏が備後福山城から結城藩主として
移封した際に勧請され、この地に創建されたそうです。

福山城の登城記はこちらです。


城址歴史公園から真っ直ぐ
南に道が伸びていました。



周囲は畑や家が混在する景色で
当時のお城の様子は残っていません。

この道をしばらく歩くと、道端に
欄干があり三日月橋と書かれています。



この橋の場所が当時空堀だったところです。
今では堀はほぼ埋められ、橋の脇に
少しばかりの庭園が設けられているだけでした。


結城城址歴史公園の西側にも
空堀跡が残っています。



ここは幅の広い空堀の様子が
しっかり残り見応えがありました。


当時の結城城の曲輪をすべて見る事はなく、
結城城を跡にしました。

城址の南を流れる結城用水です。



当時は外堀の役割を果たしていたのでしょうか。
用水の脇に、綺麗に整備された公園がありました。




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