魚津城
Uozu Castle, Japan

登城日:
2012.05.30

【魚津城 概要】

魚津城は魚津市の市街地にあった古城です。
いつ築城されたのかは、分かっていないそうですが、
室町時代には、東南に約8km程のところにある
松倉城の出城として機能していたそうです。

魚津は上杉謙信が治めるところとなり、1582年(天正10年)には
織田軍の柴田勝家、佐々成正、前田利家らが攻め込み、
上杉景勝との間で魚津城を巡る戦いとなっています。

この戦いでは、織田軍が魚津城を攻め落としますが、その前日に
生じた本能寺の変の混乱で、上杉軍が魚津城を取り返します。
しかし、その後佐々成正が魚津城を攻め落とし、1595年(文禄4年)
になると、前田利長が越中を治める事となりました。

富山城が焼失した後の1609年(慶長14年)3月から9月に高岡城に
移るまでの約半年の間、前田利長が拠点を構えていました。
その後、1615年(慶長20年)の一国一城令で廃城になりました。

富山城の登城記はこちらです。
高岡城の登城記はこちらです。

魚津城は、方形の本丸の周囲を
二ノ丸が取り囲む輪郭式の縄張りでした。


本丸の広さは一辺が100m程だったようです。
魚津城は廃城後は加賀藩の米蔵や
武器庫として使われていたそうです。

魚津城には2012年5月に登城しています。

【魚津城へのアクセス】

富山地方鉄道本線の新魚津駅から徒歩約5分です。

富山地方鉄道の乗車記はこちらです。

【魚津城登城記】

魚津城址は富山地方鉄道の新魚津駅から
歩いてすぐのところに位置していました。


撮影: 2012年5月

訪問した当時、魚津城の本丸跡は、
魚津市立大町小学校の校庭になっていました。


撮影: 2012年5月

城跡が学校の敷地になっている例は多くありますが、
昨今、殆どの場合、構内への立ち入りは禁止され、
道路の外から眺めるだけになっていますが、大町小学校は
有難いことに、校庭内に立ち入ることが出来ました。

当時の魚津城の模型もありました。


撮影: 2012年5月

校庭には魚津城の城址碑と上杉謙信の歌碑がありました。


撮影: 2012年5月

上杉謙信の歌碑は、1573年(元亀4年)に、魚津城を訪れ

"武士の 鎧の袖を片しきて 枕に近き 初雁の声"

と詠んだそうです。
露営の陣で、武具をつけたまま寝入っていたのでしょうか。
その耳元で聞く、雁の声。
戦に明け暮れていた謙信も、ふと寂寥の
気持ちが沸き起こったのでしょうか。

大町小学校の校庭の隅には、土塁跡と思しき土盛がありました。


撮影: 2012年5月

魚津城址には櫓台跡があるという話も聞いたので、
ひょっとするとこれが、その櫓台跡なのでしょうか。

魚津城址は、当時の面影は殆ど残っていませんでしたが、
この地に、上杉謙信や景勝、柴田勝家らが足を
踏み入れていたかと思うと感慨深かったです。

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