府内城
Funai Castle, Japan


登城日:
2008. 12. 07







【府内城概要】


府内城は現在の大分市にあった府内藩のお城で、
戦国時代末期の1597年(慶長2年)、
秀吉の小姓だった福原直高が12万石で
臼杵から移封となり、築城が開始されます。

その後、福原直高と次の城主・早川長敏が改易され、
竹中長利が2万石で三代目の城主となり、
1602年(慶長7年)に落成しています。

その後も竹中氏、日比野氏と短期間で
城主が代わり、1658年(万治元年)に大給松平氏の
松平忠昭が府内藩主となると、明治維新まで
松平氏が10代に亘って藩主を勤めています。


府内城は、大分川の河口の
左岸に築かれました。



築城当初は4重の天守も建てられましたが
1743年(寛保3年)の大火で、天守をはじめ
城内の多くの建物が焼失してしまいました。

この時焼失した建物は天守を含め、
それ以降、再建されていないそうです。


府内城は、本丸の南西を囲むように
内堀を隔てて東丸、西丸が配置され、
東側は帯曲輪を隔てて海に面していました。
さらに外側には三の丸が配置された
梯郭式の縄張りとなっています。



また本丸の北側には山里、北丸という
2つの小さな曲輪がありました。


1743年(寛保3年)の大火で焼け残った建物も第二次大戦で、
人質櫓と宗門櫓を除いて焼失してしまいますが、
1965年(昭和40年)に多聞櫓門、到着櫓、東丸北東隅櫓、
東丸東南隅櫓そして西丸南西隅櫓が復元されています。

また西丸と山里丸を結ぶ廊下橋が
1996年(平成8年)に復元されました。

この府内城には2008年12月に訪れています。
その時の様子を紹介します。



【府内城へのアクセス】


大分駅前から中央通を北上、
500m程先で右折し昭和通りを東進。
右折後、約200mで府内城です。

大分駅から徒歩約10分です。



【府内城登城記】



多聞櫓門〜西丸
Jan. 10, '11

本丸から山里丸
Jan. 13, '11

帯曲輪と東丸
NEW ! Jan. 22, '11




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多聞櫓門〜西丸



大分駅から市内の中心街を歩いてくと
急に白壁の櫓が堀の向こうに見えてきました。

府内城西丸南西隅櫓です。



堀も残り、堀に沿う石垣には土塀も築かれていて、
江戸時代の府内城の様子を今に伝えています。

当時は、堀をはさんで南側には三の丸がありましたが
今では完全に市街地化してしまっています。

堀に沿って東へ進んでいくと
西南隅櫓の右手に小さな平櫓がありました。



生い茂った木の葉に隠れるようですが
この櫓が現存の宗門櫓です。
石垣の下には犬走りが認められます。

宗門櫓を過ぎ、更に東へ進むと
土橋が架かり、多聞櫓門へと繋がっています。



土橋先の東丸到着櫓と
その奥の多聞櫓門の様子です。
当時は土橋ではなく、堀には
廊下橋が架けられていたそうです。


土橋を渡ってさっそく府内城に入ってみました。



側面に花頭窓を持つ堂々とした多聞櫓門です。
当時はこの門の上に鐘楼が載っていたそうです。

ここは喰違虎口となっていて、東丸到着櫓から
横矢が掛けられる構造になっていたようです。

多聞櫓門を抜けると、目の前に文化会館が建っています。



写真は本丸天守台から眺めた文化会館です。

当時は多聞櫓門の北側に内堀があり
西丸へと続いていたのですが、
今は内堀は埋め立てられ、文化会館が
西丸と内堀跡に建っているので、
その面影はありません。


西丸は、文化会館北側に
わずかにその面影が残っています。



写真上右は本丸西北から西丸を眺めた様子、
写真上左は西丸の西北隅の様子です。

西丸の西北角には櫓台が残っていました。



上の写真は、西側の堀の外側から
眺めた様子です。


西丸の北側には1996年(平成8年)に
復元された廊下橋が架けられています。



廊下橋手前には桝形が残り、
冠木門の礎石もありました。

この桝形を抜けると廊下橋です。



この廊下橋を渡ると山里丸です。

山里丸は能や月見が催されていたそうなので
江戸時代にこの廊下橋を渡ったのは
府内城主だけだったのかも知れません。



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本丸から山里丸


現在の府内城は当時とは異なり、内堀が埋められ
多聞櫓門を抜けると正面に文化会館が建っています。

文化会館を左手にして進むと、知らず知らずのうちに
本丸に入り込み、正面に天守台が見えてきました。



不揃いの丸い石が積み上げられた野面積です。
かつてはここに四重の天守が建っていました。
どんな姿であったでしょうか。

この天守台には左手から上る事が出来ます。
この上り口に小さな仏像がありました。



案内板によると、福原直高の頃、
度重なる水害で府内城の
築城工事が捗らなかったそうです。

そこで、人柱を立てることになり、
お宮という町娘が弁財天の像を持ち、
天守台の下に埋められたそうです。


天守台からの眺めです。



写真右は現存の人質櫓、左には廊下門から
堀の対岸にある山里丸が見えています。

天守台の東側には本丸が
庭園のように整備されていました。



庭園の向こうにはビルが建ち並んでいますが
当時は、海だったところです。

その庭園の様子です。



この左手には天守台から文化会館が一望です。



当時は御殿が建っていたのではないでしょうか。
この日は文化会館でイベントがあったのか、
本丸跡は車で一杯でした。


本丸から山里丸に向かいました。
山里丸へは西丸との間に架かる
廊下橋を渡ります。

廊下橋へと向かう途中で、
お堀越しに眺める人質櫓の様子です。



左手には廊下橋が見えていました。

この廊下橋は1996年(平成8年)に復元されていますが
復元に際しては、多聞櫓門前に架かっていた
廊下橋の古絵図を参考にしたそうです。
廊下橋からお堀越しに人質櫓を眺めました。



こちらは廊下橋の内部の様子です。

廊下橋は木造で復元されているので、
この内部に居るとタイムトリップしたような
雰囲気が漂っていました。




廊下橋を渡り山里丸に入ると
「慶長の石垣」という古びた
小さな石垣がありました。



この石垣は廊下橋復元の際に
発掘調査をしていて発見されたもので
築城当時のものだそうです。
この石垣も丸い石が積まれています。


山里丸にある松栄神社です。



この松栄神社は府内藩主となった松平家の
護り神で、元々は上野国水沼村に
創祀られていたそうです。

神社の境内にある稲荷社です。



この松栄神社の北には道路を隔てて
浄安寺があり、ここに三代藩主・竹中重利の
お墓があったそうですが、見逃してしまいました。

山里丸から眺める本丸・人質櫓の様子です。



現存の人質櫓と土塀の白壁と
石垣、堀の織り成す景色がとても良かったです。

この後、帯曲輪を訪れてみました。



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帯曲輪と東丸


当時は山里丸や北の丸は、
周囲を堀に囲まれ、その更に外側には
堀と海の間を隔てていた帯曲輪が
府内城の北側から東側にかけて伸びていました。



現在ではその遺構が完全には残っておらず、
山里丸や北の丸の北側は堀がつぶされていて
山里丸から直接、帯曲輪へ行くことが出来ます。



山里丸から帯曲輪を眺めた様子です。
幅が狭く通路のような曲輪の特徴がよく判ります。

この帯曲輪を歩いてみました。
この帯曲輪からは現存、復元の櫓がよく見えます。



まずは、振り返って眺める本丸の人質櫓です。

かつて、このあたりの東側は海が広がっていましたが
今ではすっかり市街地化されてしまい、
マンションや住宅が建ち並んでいます。



埋め立てられた帯曲輪の東側との間には
小さな堀があり、古風な橋が架かっていました。


本丸の東側の堀越しに
東丸北東隅櫓が見えてきました。



堀の幅が広く、櫓や石垣が立派で
とても2万石のお城とは思えません。

東丸の東側に向かって
幅の狭い帯曲輪を歩いていきます。



曲輪には椿が植えられ、冬に
赤い花がきれいに咲いていました。


やがて東丸のすぐ東側にたどり着きました。

このあたりは堀の一部が埋め立てられ、
先ほど、遠くに眺めた東丸北東隅櫓が
すぐ目の前に聳えています。



青空に櫓の白壁が映え素晴らしい光景でした。

東丸の石垣を眺めながら南に向かうと
手前に東丸東南隅櫓、奥に東北隅櫓が見えました。



この二つの櫓は1965年(昭和40年)に復元されました。
南北二つの隅櫓の間にある櫓台には、
当時三重櫓が載っていたそうです。

そして、府内城の東南角にやってきました。



手前が東丸東南隅櫓、左手奥が到着櫓です。
東南隅櫓と到着櫓の間には土塀も残り
一層お城の雰囲気が残っています。

石垣の袂には犬走りと呼ばれる段差があります。
こうした犬走りは岸和田城では見たことがありますが
敵兵が石垣に取り付きやすいのですが
石垣の崩れを防止する為とも言われているそうです。

岸和田城の様子はこちらです。


東丸の南側は交通量の多い昭和通りが走り、
ここも堀の一部が埋め立てられています。

石垣と土塀を間近に眺めながら西に向かい
東丸の西端にある到着櫓に辿り着きました。



ここは本丸への入り口となる
多門櫓門のあるところです。


府内城はわずか2万石ながら、
櫓がいくつも残りコンパクトで、
充実したお城でした。



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