唐津城
Karatsu Castle, Japan


登城日:
2008. 01. 04







【唐津城概要】


唐津城は、豊臣秀吉の家臣・寺沢志摩守広高が
1602年(慶長7年)から築城を始め、
1608年(慶長13年)に完成したお城です。

寺沢広高公は関が原の戦いで東軍に付き、
その功績で天草の加増が認められ、
12万5千石の大名となっての事です。

地図はこちらです→ Mapion

唐津の街の北にある満島山に本丸を築き、
その西側の平地に二ノ丸、三ノ丸を配した
連郭式の縄張りです。




小高い本丸の中腹に二ノ曲輪、
そして麓には腰曲輪が本丸を
取り囲んでいます。

その麓には二ノ丸御殿があり、三ノ丸には
家臣の屋敷が建てられていたそうです。



築城に際しては、唐津城の東側で松浦川が
海に注ぐように、大規模な土木工事を行ったり、
名護屋城の廃材を利用して作事を行ったそうです。

1966年(昭和41年)に模擬天守閣が建てられ、
本丸櫓門や三ノ丸の辰巳櫓などが復元されています。


初代藩主となった寺沢氏は、島原の乱の責を問われ
領地・天草が没収され、その後改易となってしまいます。

一旦幕府直轄地となりますが、その後
1649年(慶安元年)に明石藩から大久保氏、
1678年(延宝6年)に佐倉藩から大給松平氏、
1762年(宝暦12年)には岡崎藩から水野氏と
譜代の大名が移封し、藩主を勤めています。

そして1817年(文化14年)に棚倉城から入封した
小笠原氏が明治まで藩主を務めていました。

明石城の様子はこちらです。
佐倉城の様子はこちらです。
岡崎城の様子はこちらです。



【唐津城登城記】



2008年1月4日、「ムーンライト九州」で博多入りし、
福岡市地下鉄・七隈線筑肥線に乗り、
唐津駅に10:14に到着しました。

唐津駅前に降り立つと、10:20発の
昭和バス・唐津市内循環線東コースの
バスが、丁度、発車するところでした。

わずか5分の宝当桟橋で下車し、
唐津市内を流れる町田川に架かる
城内橋を渡って唐津城を目指しました。



小高い満島山に築かれた模擬天守が
城内橋の手前から聳えていて、
逸る気持ちを抑えつつ、橋を渡ります。

橋を渡り、唐津東高の東側の登城口から
唐津城本丸を目指します。



231段もの石段が二ノ曲輪まで続いています。

こうした一直線で進入出来る構造は
防御面を考えると不利になると思うのですが、
三ノ丸、二ノ丸と続き、この石段までに
多くの門を超えなければならない
連郭式の縄張り故なのでしょうか。

左手には二ノ曲輪を囲う
立派な石垣が続いています。

石段の先には、堅牢な構えの
総結門跡の虎口がありました。



枡型門の内部にも階段が続いています。

この階段を上ると、藤棚のある二ノ曲輪です。
二ノ曲輪からは、5層5階の天守閣が
青空に聳えていました。



唐津城には、天守が築かれた記録がなく、
1966年(昭和41年)に築かれたこの天守は
模擬なのですが、それでもこうして天守を仰ぎ見ると
その姿には圧倒されてしまいます。

二ノ曲輪から再び石段を登り、
本丸櫓門をくぐって本丸へと向かいます。



本丸櫓門には初代唐津藩主・寺沢氏の
陣幕の紋所が掲げられていました。


そして、唐津城の本丸にたどり着きました。
本丸の北東の角には東屋がありました。



海に突き出したような高台にある
唐津城の本丸からは玄界灘が見渡せ、
素晴らしい景色です。
玄界灘に浮かぶ高島(右)と鳥島(左)です。



はるか水平線の近くにも島影があり、
とても雄大な眺めです。

そして、唐津城の西に伸びる
西の浜の砂浜です。



この砂浜の左側に当時は二ノ丸と
三ノ丸が広がっていました。

下の写真は、西の浜を望む
化粧櫓の様子です。




本丸からの眺めを堪能した後に
模擬の天守閣に登ってみました。

この天守閣は展望所として建てられた事もあり、
最上階からは素晴らしい眺めを
楽しむことが出来ました。



天守閣から東を眺めると、
砂浜の向こうに広がる虹ノ松原、
逆光を浴び、海のように広い松浦川、
そして南に唐津の街並みが広がっていました。

虹ノ松原の様子はこちらです。


松浦川の左奥には松浦佐用姫の伝説の残る
領巾振山も見えていました。

この素晴らしい景色に感激して
唐津城本丸を跡にしましたが、
天守閣と化粧櫓の間にある西門や
北門を眺める事無く山を下ってきてしまったようです。


唐津城の麓の西側に残る石垣です。



腰曲輪を囲む石垣で、
当時は海に面していたようです。

唐津城の西側には唐津東高校があり、
その工程の北側に、海に沿って石垣が続いています。



この石垣に沿って細い道が続いています。
石垣の道と呼ばれ、なかなか風情のある小道です。

この石垣の南側が二ノ丸跡で、藩主の住居や
藩庁の御殿が建っていたところです。

石垣の道を西に向かって歩いていくと
二ノ門外堀が見えてきました。



二ノ丸と、藩士の住む三ノ丸を分ける堀です。
この堀の中ほどの東側に二ノ門があったそうです。

石垣の道はさらに西に向かい、炭鉱主として
成功した高取伊好の旧宅、高取邸があり、
その先には旧三ノ丸の北側には海岸へと抜ける
埋門跡がありました。



石垣が残るのみですが、当時はこの門を
くぐって唐津藩士が行き来していたのでしょうか。

埋門跡からは埋門小路が南に延びています。
埋門小路に沿っ埋門ノ館や唐津神社があります。
土塀も残るとても落ち着いた通りです。

埋門ノ館や唐津神社の様子は
唐津のページで紹介しています。
唐津の旅行記はこちらです。


唐津神社から更に南に向かうと、
唐津市役所です。

この市役所の南側には
堀と石垣が残されていました。



このあたりは、三ノ丸の南の端にあたります。

唐津市役所から東に向かうと、
三ノ丸の東南隅に建っていた
三ノ丸辰巳櫓が復元されていました。



三ノ丸の外堀の役割を果たしていた
町田川に面して辰巳櫓は建っていました。

辰巳櫓は1992年(平成4年)に復元されています。


本丸西の門や、本丸の東側に復元された涼所櫓等、
いくつか見落としもいくつかあったのですが、
街中にもお堀や復元櫓があり、なにより
本丸や天守閣からの眺めが素晴らしい
唐津城は、とても見ごたえのあるお城でした。



【唐津城へのアクセス】


唐津駅前から昭和バス・唐津市内循環線東コースに乗車。
宝当桟橋で下車し徒歩数分、または唐津城入り口下車です。

昭和バス・唐津市内循環線東コースはこちらです。
昭和バスのホームページはこちらです。

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