岩出山城
Iwadeyama Castle, Japan


登城日:
2007. 07. 31







岩出山城は室町時代初期、応永年間に
大崎氏の家臣・氏家弾正が築いたようです。

氏家氏はこの岩出山城に長らく割拠していましたが、
秀吉の北条氏征伐の後、大崎氏や氏家氏の領地が
没収され、秀吉の家臣・木村吉清が城主となります。

ところが木村吉清に治世の能力がなかった為、
この大崎の地に大規模な一揆が発生し、
蒲生氏郷と伊達政宗が一揆鎮圧にあたりますが、
伊達政宗は、一揆を煽った疑いで、居城の米沢から
この岩出山に移封されてしまいました。
1591年(天正19年)のことです。

伊達政宗は、関が原の戦いの後、
仙台城に移る1603年(慶長8年)までの
12年間をこの岩出山城で過ごしています。

米沢城の様子はこちらです。
仙台城の様子はこちらです。



宮城県北部に広がる大崎平野の西の端、
奥羽山脈に連なる山々が姿を現し
始めた辺りに位置しています。

地図はこちらです→ Mapion

JR陸羽東線の岩出山駅で下車し、
岩出山の町を西に向かって歩いていくと
岩出山城址の城山公園に辿り着きました。

陸羽東線の乗車記はこちらです。
岩出山の様子はこちらです。


城山公園へと向かう坂道の途中から
眺めた岩出山の町並みです。



岩出山はそれ程大きくはない町ですが、
多くの家が建ち並んでいました。

その坂道の先、城址公園に至る手前に
蒸気機関車が置かれていました。



C58 114号機。
1939年(昭和14年)から34年間に渡って
陸羽東線を中心に210万キロを走ったそうです。

蒸気機関車が置かれていた所も
岩出山城の曲輪の一つと思います。

ここから一段上がったところが本丸跡です。



岩出山城は、西に大手門があり、
西の腰廊、本丸そして二の丸と続いています。


下の写真は、本丸の空き地の様子です。



その片隅にあった、岩出山城の城址碑です。



石碑の台の石が苔むしていて貫禄を感じます。
本丸から西の腰廊へと向かいました。

本丸と西の腰廊との境にある内門跡です。



本丸を取り囲む土塁が西の腰廊との間に
横たわり、その一画だけが切り開かれています。
当時は、ここにどのような門が建てられていたことでしょうか。

西の腰廊には伊達政宗の立像がありました。



この伊達政宗立像はもともとは
仙台城にあったもののようです。
1964年(昭和39年)に仙台市から
岩出山に寄贈されたそうです。

正宗は隻眼であったことを死後隠すようにと
遺言した筈ですが、この像は隻眼の正宗の
様子が表されていました。

西の腰廊は行き止まりのようになっていて
ここからは南側に一段低くなった、細長い
帯曲輪のような二の丸に下っていきます。



上の写真は、西の腰廊から眺めた
二の丸の様子です
その向こうに岩出山高校と
岩出山小学校の校舎が見えていました。

急な階段を下り、二の丸に至り、
南の腰廊に向かいました。



ここは花壇もあり、岩出山の町も
見下ろす事が出来ました。

南の腰廊から細長い二の丸を西に向かいました。
二の丸は、こども公園や
さくら公園として整備されています。
紫陽花が綺麗に咲いていました。



下の写真は二の丸の様子です。
写真右手、土手の上が本丸です。



この岩出山城は、豊臣秀吉が
徳川家康に命じて築城させ、
伊達政宗を強制的に移封させたようです。

この細長い二の丸は、当時でさえ58万石もの
領地を持っていた伊達政宗には
いかにも手狭で、秀吉によってかなりの
仕打ちを受けた事が伝わってきます。

細い二の丸の先のダルマ広場に出ました。



ここは広い敷地があり、当時はここに
御殿が建っていたのでしょうか。
BR> 二の丸の西の端に断崖絶壁がありました。



谷底を覗き込もうとするだけで
足がすくむ様な険しい谷です。
岩出山城の西側はこの切り立った崖で
完璧な守りになっていたようです。

ダルマ広場から北の堀跡へと続く遊歩道があり、
そちらに下って行く事にしました。



急勾配の滑りやすい小道を下り、
杉の木立の中を歩いて行きます。

滑る下りるように坂道を下ると、
岩出山城の北側を流れる
内川の辺に出ました。



流量が豊富で、狭いながらもこの川が
天然の堀の役目を果たしていた事でしょう。

内川から眺めた岩出山城址です。



かなり高いところに本丸がある事がわかります。


この内川に沿って歩いていくところにあった
江戸時代の学門所・有備館を訪れました。

この様子は岩出山の旅行記を参照ください。
こちらです。


有備館や岩出山の町を散策した後、
岩出山城の大手門跡に立ち寄ってきました。

岩出山城の東の端、岩出山小学校への
正門への坂道の辺りが、大手門跡のようです。




岩出山城は、比較的こじんまりとした、
戦国時代の山城の面影を残したお城でした。

伊達政宗がこの岩出山に居たのは、
25歳から38歳の壮年期です。
秀吉の命でこの岩出山に居た12年間。
正宗にとっては、どのような年月だったのでしょうか。。



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