城山公園へと向かう坂道の途中から
眺めた岩出山の町並みです。
岩出山はそれ程大きくはない町ですが、
多くの家が建ち並んでいました。
その坂道の先、城址公園に至る手前に
蒸気機関車が置かれていました。
C58 114号機。
1939年(昭和14年)から34年間に渡って
陸羽東線を中心に210万キロを走ったそうです。
蒸気機関車が置かれていた所も
岩出山城の曲輪の一つと思います。
ここから一段上がったところが本丸跡です。
岩出山城は、西に大手門があり、
西の腰廊、本丸そして二の丸と続いています。
下の写真は、本丸の空き地の様子です。
その片隅にあった、岩出山城の城址碑です。
石碑の台の石が苔むしていて貫禄を感じます。
本丸から西の腰廊へと向かいました。
本丸と西の腰廊との境にある内門跡です。
本丸を取り囲む土塁が西の腰廊との間に
横たわり、その一画だけが切り開かれています。
当時は、ここにどのような門が建てられていたことでしょうか。
西の腰廊には伊達政宗の立像がありました。
この伊達政宗立像はもともとは
仙台城にあったもののようです。
1964年(昭和39年)に仙台市から
岩出山に寄贈されたそうです。
正宗は隻眼であったことを死後隠すようにと
遺言した筈ですが、この像は隻眼の正宗の
様子が表されていました。
西の腰廊は行き止まりのようになっていて
ここからは南側に一段低くなった、細長い
帯曲輪のような二の丸に下っていきます。
上の写真は、西の腰廊から眺めた
二の丸の様子です
その向こうに岩出山高校と
岩出山小学校の校舎が見えていました。
急な階段を下り、二の丸に至り、
南の腰廊に向かいました。
ここは花壇もあり、岩出山の町も
見下ろす事が出来ました。
南の腰廊から細長い二の丸を西に向かいました。
二の丸は、こども公園や
さくら公園として整備されています。
紫陽花が綺麗に咲いていました。
下の写真は二の丸の様子です。
写真右手、土手の上が本丸です。
この岩出山城は、豊臣秀吉が
徳川家康に命じて築城させ、
伊達政宗を強制的に移封させたようです。
この細長い二の丸は、当時でさえ58万石もの
領地を持っていた伊達政宗には
いかにも手狭で、秀吉によってかなりの
仕打ちを受けた事が伝わってきます。
細い二の丸の先のダルマ広場に出ました。
ここは広い敷地があり、当時はここに
御殿が建っていたのでしょうか。
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二の丸の西の端に断崖絶壁がありました。
谷底を覗き込もうとするだけで
足がすくむ様な険しい谷です。
岩出山城の西側はこの切り立った崖で
完璧な守りになっていたようです。
ダルマ広場から北の堀跡へと続く遊歩道があり、
そちらに下って行く事にしました。
急勾配の滑りやすい小道を下り、
杉の木立の中を歩いて行きます。
滑る下りるように坂道を下ると、
岩出山城の北側を流れる
内川の辺に出ました。
流量が豊富で、狭いながらもこの川が
天然の堀の役目を果たしていた事でしょう。
内川から眺めた岩出山城址です。
かなり高いところに本丸がある事がわかります。
この内川に沿って歩いていくところにあった
江戸時代の学門所・有備館を訪れました。