浪岡駅から浪岡城へ
浪岡城を訪れたのは12月。
しかも、訪れた日には寒波が接近していて
朝から雪模様でした。
雪の中、浪岡駅から浪岡城を目指します。
街中には人影もなく、寒い中歩いていきます。
撮影: 2010年12月
まずは、浪岡城の手前にある浪岡八幡宮に向かいました。
793年(延暦12年)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐で
この地を訪れた際に創建した神社です。
撮影: 2010年12月
室町時代には浪岡城の城主・浪岡北畠氏の庇護を受け
江戸時代には津軽藩主・津軽氏の祈願所だったそうです。
浪岡八幡宮から浪岡城に向かいました。
近くの小さな交差点に浪岡城の城址碑もありました。
撮影: 2010年12月
この辺りは既に浪岡城の城域になっていたようですが、
浪岡城への入り口の場所が、判っていなかったので
城址碑の角を右に曲がってみました。
撮影: 2010年12月
この辺りは住宅地の端にあり、
その先に耕地が広がっていました。
折からの雪で一面の雪景色になっていて、
視界もあまりよくありません。
しかし、耕作地の先に城址があるようなので、
そちらに向かってみました。
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西館
浪岡神社から比較的広い道から離れ、
田圃の畦道程の道を歩いていきました。
雪の降り方が激しくなり、心細くなってきましたが、
空堀の様な地形と続いて雪に埋もれた平原が現れました。
撮影: 2010年12月
この地形は郭に違いありません。
後で、縄張図と照らし合わせてみると
浪岡城の一番西にあった検校館だと思います。
この辺りから、東側を眺めた様子です。
撮影: 2010年12月
浪岡川の堤防の左側に微高地がありますが
これが浪岡城の西館郭の南の端にあたります。
こちらの方向には民家はなく、これ以上
雪が酷く降って視界が利かなくなると、
遭難してしまいそうな不安がよぎりました。
検校館と西館の間の空堀を抜け、
西館の曲輪にとりつきました。
撮影: 2010年12月
西館は長さ150m近く、幅も100mは
ありそうな大きな曲輪でした。
撮影: 2010年12月
雪も降りしきり、、郭の周囲全ては歩き回らずに、
西館の南側、浪岡川に面した切岸に沿って歩きました。
撮影: 2010年12月
郭の形は不定形で、自然の地形
そのまま生かしているようです。
この西館の南側の切岸に沿って東に向かいます。
浪岡城の本丸にあたる内館との間に広い空堀があり、
その空堀の中央に土塁が築かれていました。
撮影: 2010年12月
雪景色でも、素晴らしい空堀の様子とわかります。
空堀の中央の土塁は連絡通路に用いられていたと思います。
敵もこの土塁を伝わって来てしまうように思いますが
その際には一列になった敵を郭から挟み撃ちするのでしょう。
撮影: 2010年12月
土塁に架かる橋を渡って内館に向かいました。
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内館
西館と内館の間の土塁に架かる橋を渡り、
西館から内館に向かいました。
撮影: 2010年12月
ここでまた雪が激しくなってきました。
激しく降る雪で、写真を撮るものもやっとの状態でした。
撮影: 2010年12月
城主の居住区だった内館は、周囲を西館・北館
そして東館の郭で護られる位置になっています。
この内館に碑が立っていました。
撮影: 2010年12月
1880年(明治13年)に立てられた北畠古城の碑です。
浪岡城の城址だった北畠氏の紹介や浪岡における
北畠氏の盛衰が刻まれているようです。
内館から、西館と北館との間の
空堀を眺めた様子です。
撮影: 2010年12月
空堀の中の土塁に架かる橋が
すぐ近くに見えていました。
この土塁を通り、北館に向かいました。
撮影: 2010年12月
当時の浪岡城の様子が伝わるような光景でした。
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北館
内館から空堀の中の土塁を通り北館に向かいました。
北館の入り口にも木橋が架かっています。
撮影: 2010年12月
北館に入ると通路が木の柵で仕切られていました。
撮影: 2010年12月
案内板の説明では、16世紀前半の北館は、
規則的に区画が区切られ、大きな建物と数棟の
小さな建物、そして井戸が一つの区画にあったそうです。
撮影: 2010年12月
大きな建物は地面に柱を立てた掘立柱建物、
小さな建物は竪穴式だったそうです。
北館は東西約200m、南北約100mの差し渡しがあり
浪岡城では最も大きな曲輪です。
撮影: 2010年12月
雪原の中に建物や井戸の跡の柵が点々とありました。
雪の中で、ゆっくり散策は出来ませんでしたが
それでも、浪岡城址の散策を始めてから
30分は経っています。
さすがに身体も冷え切ってきました。
撮影: 2010年12月
北館から望む内館の様子です。
その左手に進むと、内館と猿楽館との間の
広い空堀を見ることが出来ました。
撮影: 2010年12月
この空堀は、自然の地形そのままの様で
荒涼とした眺めでした。
そして、北館の東の端から眺めた景色です。
撮影: 2010年12月
北館にある東館との間にも広い幅の空堀があり、
そこにはいくつもの土塁が築かれています。
木橋もいくつか架かっているのが見えました。
この北館には浪岡城の案内表示や縄張り図があり、
ここで初めて浪岡城の全容を知ることが出来ました。
それによると、東館へ行くには、一旦北館の北側に出て、
空堀に築かれた土塁を辿って行かなければなりません。
撮影: 2010年12月
堀の向こうには車も通れる舗装道があり、
そこへと向かう出入り口も2か所程ありました。
その道に出てみると、浪岡城と
大きく書かれた看板も出ています。
撮影: 2010年12月
浪岡神社の前の道を真っすぐ東に向かえば、
この看板が見え、整備され案内板も整った
北館から散策する事が出来たので、遭難の
心配は無かったと思います。
でも、浪岡城の全容が分からない状態で
雪の降りしきる中、城址を散策していた時は
まさに探検という感じで、色々な感慨を味わう
事が出来たので、それも良かったと思います。
こちらは北館の北側の空堀の様子です。
撮影: 2010年12月
この空堀の真ん中に築かれた土塁の通路を
辿っていくと東館に向かう事が出来ます。
撮影: 2010年12月
先ほど、北館から眺めた東館との間の空堀です。
土塁が何本も走り、東館へと導いてくれました。
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東館
北館から、空堀の中の土塁を伝って
東館に向かいました。
撮影: 2010年12月
東館は南北、東西それぞれ70〜80m程の広さです。
東館の曲輪は、すっかり雪に覆われていました。
撮影: 2010年12月
東館の南には案内所の建物がありました。
ここには史跡の名称板もあるようです。
撮影: 2010年12月
この右手に段丘の下に降りる虎口がありました。
この景色を見ると、殆ど自然の地形のままに思えます。
撮影: 2010年12月
この右手に猿楽館の曲輪がある筈ですが、
枯草が生い茂っていて、立ち入りませんでした。
一段下がったところから東館を振り返った様子です。
撮影: 2010年12月
虎口の様子がよくわかります。
左手は猿楽館の下の帯曲輪と思います。
東館から下ったところには碑が立っていました。
撮影: 2010年12月
碑には「行岳公園」と記されていますが、
行岳は浪岡の古い地名だそうです。
ここから左を眺めた様子です。
撮影: 2010年12月
左の段丘の上が東館です。
段丘の先に道路が走り、その向こうには
民家が広がっていますが、浪岡城の城域は
その先にも広がっていたような気がします。
東館に戻って、先ほど眺めた通りまで出てみました。
撮影: 2010年12月
猿楽館の曲輪には足を運ばなかったのですが、
これで浪岡城の散策は終わりです。
雪も途中で降り止み、一通り散策出来て良かったです。
浪岡駅までの道を歩くうちに冷え切った身体も
温かさが戻ってきました。
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