浪岡城
Namioka Castle, Japan

登城日:
2010. 12. 24

【浪岡城 概要】

浪岡城は、南北朝時代に後醍醐天皇を援けた
北畠親房、顕家の子孫が居住したお城だそうです。

築かれたのは南北朝時代から100年以上も時代の下った、
応仁の乱の頃の1467年から1477年頃とされています。
同じく南朝側に立っていた根城南部氏の庇護の下で
この浪岡に入り、築城したと考えられているそうです。

根城の登城記はこちらです。

その後、浪岡北畠氏は津軽中部を支配していましたが、
1562年(永禄5年)に、所領を巡る親族間の争いが起き、
その後衰退していきます。

1578年(天正6年)に大浦(津軽)為信によって浪岡城は
落城し、時の御所(城主)の北畠顕村は自決しています。

浪岡城は8つの曲輪で構成されていたようです。


浪岡城は浪岡川の北側の微高地に築かれています。
本丸にあたる内館は、南は浪岡川に面し、
その他のは、北館、東館、西館そして
猿楽館で囲われています。

曲輪と曲輪の間には幅約20mの堀が築かれています。

2010年12月に雪の浪岡城を訪れました。
その時の様子を紹介します。

【浪岡城へのアクセス】

J奥羽本線浪岡駅から東に約2km。 徒歩約25分です。


撮影: 2010年12月

【浪岡城登城記】

西館
Sep. 18, '17
内館
Sep. 18, '17

北館
NEW ! Sep. 27, '17
東館
NEW ! Sep. 27, '17

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浪岡駅から浪岡城へ

浪岡城を訪れたのは12月。
しかも、訪れた日には寒波が接近していて
朝から雪模様でした。

雪の中、浪岡駅から浪岡城を目指します。
街中には人影もなく、寒い中歩いていきます。


撮影: 2010年12月

まずは、浪岡城の手前にある浪岡八幡宮に向かいました。
793年(延暦12年)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐で
この地を訪れた際に創建した神社です。


撮影: 2010年12月

室町時代には浪岡城の城主・浪岡北畠氏の庇護を受け
江戸時代には津軽藩主・津軽氏の祈願所だったそうです。

浪岡八幡宮から浪岡城に向かいました。
近くの小さな交差点に浪岡城の城址碑もありました。


撮影: 2010年12月

この辺りは既に浪岡城の城域になっていたようですが、
浪岡城への入り口の場所が、判っていなかったので
城址碑の角を右に曲がってみました。


撮影: 2010年12月

この辺りは住宅地の端にあり、
その先に耕地が広がっていました。

折からの雪で一面の雪景色になっていて、
視界もあまりよくありません。
しかし、耕作地の先に城址があるようなので、
そちらに向かってみました。

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西館

浪岡神社から比較的広い道から離れ、
田圃の畦道程の道を歩いていきました。

雪の降り方が激しくなり、心細くなってきましたが、
空堀の様な地形と続いて雪に埋もれた平原が現れました。


撮影: 2010年12月

この地形は郭に違いありません。
後で、縄張図と照らし合わせてみると
浪岡城の一番西にあった検校館だと思います。

この辺りから、東側を眺めた様子です。


撮影: 2010年12月

浪岡川の堤防の左側に微高地がありますが
これが浪岡城の西館郭の南の端にあたります。

こちらの方向には民家はなく、これ以上
雪が酷く降って視界が利かなくなると、
遭難してしまいそうな不安がよぎりました。

検校館と西館の間の空堀を抜け、
西館の曲輪にとりつきました。


撮影: 2010年12月

西館は長さ150m近く、幅も100mは
ありそうな大きな曲輪でした。


撮影: 2010年12月

雪も降りしきり、、郭の周囲全ては歩き回らずに、
西館の南側、浪岡川に面した切岸に沿って歩きました。


撮影: 2010年12月

郭の形は不定形で、自然の地形
そのまま生かしているようです。

この西館の南側の切岸に沿って東に向かいます。
浪岡城の本丸にあたる内館との間に広い空堀があり、
その空堀の中央に土塁が築かれていました。


撮影: 2010年12月

雪景色でも、素晴らしい空堀の様子とわかります。
空堀の中央の土塁は連絡通路に用いられていたと思います。
敵もこの土塁を伝わって来てしまうように思いますが
その際には一列になった敵を郭から挟み撃ちするのでしょう。


撮影: 2010年12月

土塁に架かる橋を渡って内館に向かいました。

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内館

西館と内館の間の土塁に架かる橋を渡り、
西館から内館に向かいました。


撮影: 2010年12月

ここでまた雪が激しくなってきました。
激しく降る雪で、写真を撮るものもやっとの状態でした。


撮影: 2010年12月

城主の居住区だった内館は、周囲を西館・北館
そして東館の郭で護られる位置になっています。

この内館に碑が立っていました。


撮影: 2010年12月

1880年(明治13年)に立てられた北畠古城の碑です。
浪岡城の城址だった北畠氏の紹介や浪岡における
北畠氏の盛衰が刻まれているようです。

内館から、西館と北館との間の 空堀を眺めた様子です。


撮影: 2010年12月

空堀の中の土塁に架かる橋が
すぐ近くに見えていました。
この土塁を通り、北館に向かいました。


撮影: 2010年12月

当時の浪岡城の様子が伝わるような光景でした。

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北館

内館から空堀の中の土塁を通り北館に向かいました。
北館の入り口にも木橋が架かっています。


撮影: 2010年12月

北館に入ると通路が木の柵で仕切られていました。


撮影: 2010年12月

案内板の説明では、16世紀前半の北館は、
規則的に区画が区切られ、大きな建物と数棟の
小さな建物、そして井戸が一つの区画にあったそうです。


撮影: 2010年12月

大きな建物は地面に柱を立てた掘立柱建物、
小さな建物は竪穴式だったそうです。

北館は東西約200m、南北約100mの差し渡しがあり
浪岡城では最も大きな曲輪です。


撮影: 2010年12月

雪原の中に建物や井戸の跡の柵が点々とありました。
雪の中で、ゆっくり散策は出来ませんでしたが
それでも、浪岡城址の散策を始めてから
30分は経っています。

さすがに身体も冷え切ってきました。


撮影: 2010年12月

北館から望む内館の様子です。

その左手に進むと、内館と猿楽館との間の
広い空堀を見ることが出来ました。


撮影: 2010年12月

この空堀は、自然の地形そのままの様で
荒涼とした眺めでした。

そして、北館の東の端から眺めた景色です。


撮影: 2010年12月

北館にある東館との間にも広い幅の空堀があり、
そこにはいくつもの土塁が築かれています。
木橋もいくつか架かっているのが見えました。

この北館には浪岡城の案内表示や縄張り図があり、
ここで初めて浪岡城の全容を知ることが出来ました。

それによると、東館へ行くには、一旦北館の北側に出て、
空堀に築かれた土塁を辿って行かなければなりません。


撮影: 2010年12月

堀の向こうには車も通れる舗装道があり、
そこへと向かう出入り口も2か所程ありました。

その道に出てみると、浪岡城と
大きく書かれた看板も出ています。


撮影: 2010年12月

浪岡神社の前の道を真っすぐ東に向かえば、
この看板が見え、整備され案内板も整った
北館から散策する事が出来たので、遭難の
心配は無かったと思います。

でも、浪岡城の全容が分からない状態で
雪の降りしきる中、城址を散策していた時は
まさに探検という感じで、色々な感慨を味わう
事が出来たので、それも良かったと思います。

こちらは北館の北側の空堀の様子です。


撮影: 2010年12月

この空堀の真ん中に築かれた土塁の通路を
辿っていくと東館に向かう事が出来ます。


撮影: 2010年12月

先ほど、北館から眺めた東館との間の空堀です。
土塁が何本も走り、東館へと導いてくれました。

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東館

北館から、空堀の中の土塁を伝って
東館に向かいました。


撮影: 2010年12月

東館は南北、東西それぞれ70〜80m程の広さです。
東館の曲輪は、すっかり雪に覆われていました。


撮影: 2010年12月

東館の南には案内所の建物がありました。
ここには史跡の名称板もあるようです。


撮影: 2010年12月

この右手に段丘の下に降りる虎口がありました。
この景色を見ると、殆ど自然の地形のままに思えます。


撮影: 2010年12月

この右手に猿楽館の曲輪がある筈ですが、
枯草が生い茂っていて、立ち入りませんでした。

一段下がったところから東館を振り返った様子です。


撮影: 2010年12月

虎口の様子がよくわかります。
左手は猿楽館の下の帯曲輪と思います。

東館から下ったところには碑が立っていました。


撮影: 2010年12月

碑には「行岳公園」と記されていますが、
行岳は浪岡の古い地名だそうです。

ここから左を眺めた様子です。


撮影: 2010年12月

左の段丘の上が東館です。
段丘の先に道路が走り、その向こうには
民家が広がっていますが、浪岡城の城域は
その先にも広がっていたような気がします。

東館に戻って、先ほど眺めた通りまで出てみました。


撮影: 2010年12月

猿楽館の曲輪には足を運ばなかったのですが、
これで浪岡城の散策は終わりです。

雪も途中で降り止み、一通り散策出来て良かったです。
浪岡駅までの道を歩くうちに冷え切った身体も
温かさが戻ってきました。

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