根城
Ne Castle, Japan

登城日:
2010. 12. 20

【根城 概要】

根城は、南北朝時代の1333年(元弘3年)に
南朝方の武将・北畠顕家に従い陸奥に赴いた
甲斐の地頭・南部師行がその翌年に築いたお城です。

八戸市街の西側、馬淵川の南岸に建っています。

根城は戦国時代を通じて存続し、1590年(天正18年)の
小田原征伐の際に三戸城主・南部信直は秀吉から本領を
安堵され、根城も三戸・南部氏の支配下に置かれたようです。

根城は本丸・中館・東善寺・岡前舘・沢里館の
5つの曲輪からなっています。


現在は、本丸・中館そして東善寺の3つの曲輪が
史跡として整備されていますが、岡前舘と
沢里館は市街地化されているようです。

2010年12月、冬の根城を訪れ、東善寺・中館
そして本丸を中心に散策してきました。
その際の様子を紹介します。

【根城へのアクセス】

JR八戸駅から中心街行バスで根城(博物館前)下車。
乗車時間は約15分。運賃は200円です。
運行頻度は平日2本/時間、休日は毎時1本です。

八戸駅から中心街行のバスは田面木経由と
根城大橋経由があり、田面木経由が最寄りの
根城バス停に到着します。

根城大橋経由のバスでは、報恩会館根城前下車。
ここから徒歩約10分です。

八戸駅 - 根城間のバスの情報はこちらです。

【根城登城記】

東善寺
July 19, '17
中館
July 29, '17
本丸
NEW ! Aug. 09, '17

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東善寺

2010年12月23日、東京からの新幹線を八戸で下車。
ここからバスに乗って根城に向かいました。

根城に着いたのは午前11時頃でした。


撮影: 2010年12月

根城は史跡公園になっていて、その脇に建つ八戸市の
博物館の前には南部師行公の騎馬像がありました。

南部師行は根城の築城城主でした。
根城を築いた翌年には、北朝との戦いの為多賀城に入り、
その翌年には京に向かい1337年(延元2年)に和泉の
石津の戦いで命を落としています。

南部師行の騎馬像の前に根城の史跡への入り口があります。


撮影: 2010年12月

根城の史跡公園の入り口には江戸時代に築かれた
八戸城の東門が移築されていました。


撮影: 2010年12月

伝承によれば、元々根城にあった門を
八戸城に移したそうで、里帰りした形です。

八戸城の登城記はこちらです。

八戸城東門を抜けると立派な堀を土橋で渡ります。
12月の八戸は、さすがに雪が積もっています。
雪のおかげで、空堀の様子がよくわかります。


撮影: 2010年12月

この堀は、根城の三の丸にあたる東善寺曲輪の
東の端に位置しています。
敵の侵入を防ぐ一番重要な堀だったと思います。

空堀を渡ると薬草園がありました。


撮影: 2010年12月

右手に東善寺曲輪を眺めながら薬草園を抜けると
目の前に広々とした雪原が広がりました。


撮影: 2010年12月

当時は、この平地にも食料となる木が植えられていたようです。
冬の寒々とした光景ですが、温かい季節には、
のんびりと過ごせそうです。

その右手に東善寺跡がありました。


撮影: 2010年12月

林の中に墓石が並んでいました。

この東善寺跡は、馬淵川の河岸段丘の端の
小高い丘の上にあり、北側の馬淵川に向けて
急な勾配となって落ち込み、景色が開けています。


撮影: 2010年12月

段丘を下り、こちらに向かって歩いてみました。


撮影: 2010年12月

東善寺跡に向かっては、段丘の様子がよくわかります。
西側は、低地が続いていますが、この低地の中に
堀跡があったようです。

この堀は、一段高くなっている東善寺跡と
中館の間の平地にも続いていたようです。

この先の高台には中館の四阿が見えてきました。


撮影: 2010年12月

四阿は多門櫓のようにも見えます。
高台の手前は深く切れ込んだ空堀で、
中館の護りを固めています。


撮影: 2010年12月

上の写真の左手にあった通路を通り
一段高い曲輪に登りました。

通路を上ると、八戸城東門からまっすぐ
西に進んだ通路へと出ました。


撮影: 2010年12月

上の写真左手の杜が東善寺跡です。

この西側に中館の曲輪との間の
堀がありました。


撮影: 2010年12月

この堀も深く、立派なものでした。

根城が軍事的に機能していたのは南北朝時代の
ようですが、その時代に中央から遠く離れた
八戸の地で、これ程まで護りを固めなければ
ならなかったというのは、驚きでした。

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中館

東善寺曲輪の西の堀を土橋で渡り、
中館に向かいました。

中館から眺める空堀の様子です。


撮影: 2010年12月

雪原となっている東善寺曲輪の奥の
東善寺跡の杜がはっきりと見えています。


撮影: 2010年12月

中館には四阿が建てられています。
当時あった厩の復元でしょうか。


撮影: 2010年12月

四阿から眺める中館は、東善寺曲輪よりも一段
高いところにあり、綺麗に整備されています。
訪れたのは12月で雪がうっすらと積もり、
寒々とした光景になっていました。


撮影: 2010年12月

中館の郭の中央には、根城の全体と本丸の
復元建造物群の模型が展示されていました。


撮影: 2010年12月

中館の案内板もありましたが、陽に焼けて
色褪せてしまったか、雪が積もっていたか、
残念ながら読むことが出来ませんでした。

中館は周囲を堀で囲まれています。
西の端に近づくと、本丸とその間の深く
切れ込んだ堀が見えてきました。


撮影: 2010年12月

さすがに本丸側の堀は深く大規模なものでした。

こちらは振り返って眺めた中館の様子です。


撮影: 2010年12月

寒々とした光景ですが、当時は建物が
建ち並んでいたと思います。

ちなみに中館は、城の中央にあった館
という意味では無く、南部氏家臣の
中館氏の屋敷から付いたようです。


撮影: 2010年12月

本丸へは木橋が架かっていました。
当時もこのような木橋が架かり、敵が侵入すると、
その橋を陥して本丸に籠ったのでしょうか。


撮影: 2010年12月

本丸の東側の堀の様子です。
深く、幅の広い立派な堀でした。

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本丸

中館から空堀に架かる木橋を渡り
本丸に向かいます。

木橋から坂道を上り、本丸の正門にあたる
東門に向かいました。


撮影: 2010年12月

本丸は1994年(平成6年)に、発掘調査に基づいて
当時の建物の一部が復元されています。

東門を抜け、入場料を支払い本丸に入りました。
東門のすぐ南には納屋が何棟か並んでいました。


撮影: 2010年12月

納屋は、米や味噌などの貯蔵庫だったようで
その内部には米俵が置かれ、当時の
様子を再現されていました。

納屋の右手、東門の正面には主殿が復元されていました。

主殿の広さは544平方メートル(164坪)で、
復元の総工費は5億5千万円との事です。


撮影: 2010年12月

公式行事や重要な客の応接に使用していたようです。
内部も復元されていますが、その写真がないのは
この時は立ち入りが出来なかったのでしょうか。

根城が廃城となったのは江戸時代初期の1627年(寛永4年)。
主殿の造りは宮殿の様な優雅な造りになっていますが
戦国時代に、このような建物が建てられていたとすると
この地は南部氏の支配が安定し、戦国の騒乱は
あまり及んでいなかったのでしょうか。

主殿から裏に建つ馬屋に向かいました。


撮影: 2010年12月

馬屋の柱や板には手斧の跡が鮮明に残っています。
復元にあたってはその当時の道具を持ちいた
そうですので、これらの建物は戦国時代
以前のものを復元したと思われます。

主殿の北側には、さらにいくつかの馬屋があり、
そちらに向かってみました。


撮影: 2010年12月

本丸の北東の隅からは、中館の様子を
眺めることが出来ました。


撮影: 2010年12月

本丸との間の広く深い堀や、河岸段丘の
急な切岸の様子が一望できました。


撮影: 2010年12月

本丸の北東隅には、築城当初からあったという大銀杏と
その脇に「南無妙法蓮華経」の碑がありました。

この碑の文字は、南部氏36代当主・
南部日実氏の直筆という事です。


撮影: 2010年12月

ここから西側に向かって馬屋が並んでいます。
上の写真左手に見えるのが中馬屋の建物です。

そして下の写真が下馬屋跡です。


撮影: 2010年12月

下馬屋跡はその面積が大きく、馬屋だけでなく
武具の倉庫、門番の住居も兼ねていたそうです。

この辺りは本丸の北西の隅に近く、
物見櫓跡もありました。

その近くに「一葉一字」の供養塔と
復元された番所の建物がありました。


撮影: 2010年12月

「一葉一字」の供養塔は、1718年(享保3年)に
八戸藩初代藩主・南部直房の家来・接待宗碩が
藩の繁栄と先祖や根城の戦没者の供養の為に
法華経を書いた板を埋めたところです。

番所の奥に見えているのが西門です。

ここから本丸の西側を南に下ると
本殿の西側に工房が建ち、その前に
常御殿の敷地跡が平面復元されていました。


撮影: 2010年12月

常御殿は、当主の住まいと政務の両方に
使われた建物の様で、根城の中心的な
役割を果たしていたようです。

この先で、本丸の西側を見渡せる
箇所がありました。


撮影: 2010年12月

本丸の西側も、幅の広い堀が築かれていたようです。

その近くには野鍛冶場がありました。


撮影: 2010年12月

発掘調査で焼けた地面や鍛冶関連の
遺跡が出土したそうです。

この辺りは本丸の南端に近いところです。


撮影: 2010年12月

常御殿の平面復元の向こうに
主殿の建物が見えています。

右手に見える建物は鍛冶工房です。

鍛冶工房の東側には板蔵がありました。
二つの建物の向こうに見える平面復元は
奥御殿の建物跡を示しています。


撮影: 2010年12月

奥御殿は当主の家族が住んでいたそうです。
板蔵には奥御殿で使われる道具や衣類の
収納庫だったようで、復元された蔵には
漆塗りの立派な櫃などが置かれていました。


撮影: 2010年12月

奥御殿の平面復元の様子です。


撮影: 2010年12月

こうして東門から反時計回りに
根城本丸を一周してみました。

この後、本丸の南を走る国道104号線に出て
本丸の周囲を巡る空堀の様子を眺めてみました。


撮影: 2010年12月

深く切れ込んだ空堀を眺める事が出来、
根城の散策を満足して終えました。

この史跡広場の南側の住宅地にも
当時の曲輪の一部が残されているようで、
そこを見逃したのは少々心残りでしたが、
多くの建物が復元された本丸は素晴らしかったです。

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