白石城
Shiroishi Castle, Japan


登城日:
2007. 07. 30







白石城は宮城県白石市にあるお城です。
1591年(天正19年)に豊臣秀吉は、伊達政宗の
所領だったこの地を没収し、蒲生氏郷に与え、
蒲生氏郷の家臣・蒲生郷成がこの地に、
白石城を築きます。

1598年(慶長3年)に上杉領となった後、
1600年(慶長5年)に伊達政宗が白石城を攻略し、
正宗の家臣・片倉小十郎の居城となります。

江戸時代に入り、1615年(元和元年)に一国一城令が
出されたのですが、仙台藩は例外として
仙台城とこの白石城の2城を持つことが許され、
明治維新まで、白石城の歴史が続いたのでした。

仙台城の様子はこちらです。


JR東北本線の白石駅で、途中下車し、
途中、白石城東口門が移築された
当信寺に立ち寄った後、駅から1km程
離れた白石城に向かいました。

当信寺の様子は白石の旅行記を参照ください。
こちらです。


地図はこちらです→ Mapion

白石城は小高い丘の上に築かれた平山城です。
丘の一番上に、本丸・二ノ丸・中ノ丸を配し、
中断に沼ノ丸、南ノ丸や幾つかの曲輪を配し、
丘の麓を流れる館堀川の反対側に
三の丸が広がっていたようです。





白石城の周囲は住宅地や学校が広がり、
丘陵の部分が残されているようです。

ショッピングセンターと白石高校の間の
道を通り、白石城跡に向かいました。

東口門から坂道を上り、本丸に向かいました。



坂道に沿って土塁が続いていました。



この土塁は当時のものかどうかは不明です。

坂道を上ると、復元された白石城の
御三階櫓(天守)の真下に出ました。



見上げるような白石城の御三階櫓です。
当時は、天守の代用として扱われていた御三階櫓は
1995年(平成7年)に、当時と同じ木造で復元されています。

櫓の石垣の下には、これも復元された
井戸屋形もありました。
石垣の色と重なってしまっていますが
上の写真の右下に写っています。

すぐ近くには白石城歴史探訪ミュージアムがあったのですが、
既に夕暮れに近づき、時間がなかったので
行くのを諦め、本丸へと向かいました。

本丸に向かうには、東口門から上ってきた坂道と
方向を変え、石垣と土塀に挟まれた狭い区画に
入って行かなければなりません。



本丸一ノ門とその奥に本丸二ノ門が見えています。

本丸に攻め込もうとした敵は
まず、ここで御三階櫓からの攻撃で
殲滅されてしまうことでしょう。

石垣と土塀の狭い通路を通った
先に建つ本丸二ノ門です。



堂々とした櫓門です。

この本丸二ノ門を抜けると本丸跡です。



本丸跡は綺麗に整備され、
本丸御殿の跡は芝生になっていました。

案内板に当時の本丸の様子が表示されていました。



仙台藩の支城だったのですが、
本丸にはところ狭しと御殿をはじめとした
建物が建ち並んでいたようです。


本丸御殿跡から眺めた御三階櫓です。



三層目の唐風の華頭窓が印象的です。

本丸跡の東側には、土塁が残っていました。



土塁が途切れていたところが裏御門跡です。

崩れたような土塁が、廃城となって長い
年月が経った事を教えてくれているようです。

裏御門から本丸跡越しに眺めた本丸二ノ門です。




この後、復元された御三階櫓に登城してみました。
一階の様子です。



白河城の前に訪れた白河小峰城でもそうでしたが
無骨で質素な内部は、いかにも
戦いの為に築かれたという感じです。

しかし、この白石城の御三階櫓は、
江戸時代末期に近い1819年(文政2年)に焼失して、
4年後の1823年(文政6年)に再建されています。

天下泰平の世が続いていた時に
この御三階櫓を築いたのも
凄い決断だったように思います。

白河小峰城の様子はこちらです。


三階の高欄から眺めた本丸二ノ門と
その向こうに広がる白石の町並みです。



そして、本丸の北に広がる二の丸跡です。



二の丸跡は、あまり整備されて
いないように見受けられました。

一通り、御三階櫓からの眺めを楽しんだ後、
櫓を出ると、鐘堂が建っていました。v



毎年7月、城回りの土手と堀の
掃除の時にはこの鐘が鳴らされたそうです。


白石城を訪れた後は、片倉家中武家屋敷と、
白石城厩口門が移築された延命寺を訪れました。

この様子は白石の旅行記を参照ください。
こちらです。




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