五井城は、愛知県蒲郡市の市街地の
築城は古く鎌倉末期に源行家に
松平氏第三代の松平信光の七男・忠景が
現在は農地や宅地となり、遺構は殆ど残っていません。
JR東海道本線蒲郡駅から
2011年4月17日、この日は竹谷城と上ノ郷城を
五井城の遺構は現在では残っていないようです。
この長泉寺は8世紀初めに行基上人が
鎌倉時代には三河の守護・安達藤九郎盛長は
石灯籠を抜けた参道の脇には微かに窪んだ
ひょっとすると堀の跡ではないかと
低い石段を上ると赤渋色の山門があります。
この渋い門が戦国時代の生き残りと思うと
山門を過ぎると石仏が並び、その先に
長泉寺の本堂です。
境内には行基上人が掘ったとされる井戸があります。
本堂の裏に回ると、鎌倉時代に三河国守護だった
五輪の塔は立派で、周囲も石の柵で
鎌倉時代初期に造られたこの五輪の塔の奥に
お寺の杜が開けた所にお墓が一列に
鎌倉時代の安達盛長の五輪の塔に比べると
五井城主だった五井松平氏の菩提寺・長泉寺の
八幡宮の南には小さな溜池があります。
この溜池が五井城の堀の一部だったそうです。
八幡宮から南に向かって眺めた様子です。
この先にあった真清寺です。
真清寺の山門にも五井城の城門が移築されて
Ruins of Kaminogo Castle, Japan
登城日:
2011. 04. 17
【五井城 概要】
北東、五井山の麓にある古城です。
よるものと言われているそうです。
この地に住み、五井松平氏の祖となったようです。
五井松平氏の菩提寺・長泉寺に城門が移築されています。
北東に徒歩約35分程です。
訪れた後に、五井城を訪れました。
上ノ郷城の登城記はこちらです。
五井城の城主・五井松平氏の菩提寺だった
長泉寺に向かいました。
撮影: 2011年4月
開いたと言われる古刹です。
三河の古刹の復興に力を入れ、三河七御堂の整備を
したようですが、この長楽寺はその一つだったそうです。
雑賀寺、
鳳来寺、
金蓮寺
地形になっていました。
撮影: 2011年4月
思いながらお寺に向かいました。
この山門が五井城の城門と伝わります。
撮影: 2011年4月
感慨も深まります。
本堂へと続く石段が続いていました。
撮影: 2011年4月
長泉寺には、二代・五井松平氏の松平長勝と
三代目・松平信長が長泉寺に寄進を
行った書状が残っているそうです。
撮影: 2011年4月
"五井"の地名の起源になった5つの井戸の
うちの一つで、その碑がありました。
撮影: 2011年4月
安達藤九郎盛長の五輪の塔がありました。
撮影: 2011年4月
しっかりと囲われています。
ひっそりと古いお墓が並んでいました。
撮影: 2011年4月
ひっそりと佇む様子はとても印象的でした。
この脇には五井松平氏のお墓もありました。
撮影: 2011年4月
戦国時代の五井松平氏のお墓は遥かに質素でした。
散策を終え、東隣りの八幡宮を訪れました。
撮影: 2011年4月
撮影: 2011年4月
今では当時を偲ぶものは他にはありませんが
戦後も、土塁が残っていたそうです。
撮影: 2011年4月
当時はここが五井城の城内でした。
撮影: 2011年4月
いましたが、訪れた際には礎石だけが残っていました。