曳馬城から浜松城に向かいます。
国道を渡り、浜松城公園に足を踏み入れます。
浜松城の北側からアプローチする事になります。
整備された公園に広々とした芝生広場があり、
茂みの向こうに天守閣が顔を覗かせていました。
晴れ間がのぞく天気で、芝生に
寝そべるのは気持ち良さそうです。
当時この辺りは沼地になっていて
浜松城の北の守りになっていたようです。
芝生広場から天守閣の建つ
小高い丘に上って行きます。
途中で日本庭園がありました。
かなり野趣に富んだ庭園です。
当時この辺りは曲輪もなかったようなので、
大名庭園を再現したものではなさそうです。
天守閣に向かう前に、その一段下の曲輪に向かいました。
通常のお城では天守のある曲輪が本丸ですが、
この浜松城では、この一段低い曲輪が本丸になっています。
本丸の周囲や天守閣への曲輪との間には
ゴツゴツとした石で組まれた石垣で囲まれています。
自然石を用いたこの方法は野面積みと呼ばれ、
比較的初期の石垣に見られる積み方です。
自然石を積み重ねるため、あまり高くは積めないそうですが、
隙間があり排水されるので、意外に強く、
この浜松城でも400年経っても堅牢な石垣が残っています。
本丸には徳川家康の銅像もありました。
下の写真は、本丸から見下ろした二の丸跡です。
現在は元城小学校や浜松市役所となっています。
さて、いよいよ天守閣への登城です。
3層の天守閣は1958年(昭和33年)に建てられたものです。
この天守閣も野面積みの石垣の上に建っています。
そして天守閣の展望台からの眺めです。
木々の茂みは浜松城の北、
三方ヶ原の方向です。
若き家康が当時最強の騎馬軍団を有する
武田軍を迎え、生涯最大の敗戦を喫した戦いです。
三方ヶ原は上の写真の木々の向こう、
住宅地が広がっている辺りです。
のどかな景色からはなかなか想像出来ませんが、
多くの人が命を落とした激しい戦いが
実際に行われたのです。
当時の様子を思い浮かべながら浜松城を後にし、
お城の南側に出てみました。
ここには家康公鎧掛(よろいがけの)松があります。
合戦から戻った家康が、お城に戻る前、
この木に鎧を掛け、休息したそうです。