瀬木城
Ruins of Segi Fort, Japan


登城日:
2009. 11. 07







【瀬木城概要】


瀬木城は1493年(明応2年)に、牧野成時(古白)が
牧野城につぐ居城、および一色城攻略の
足掛かりとして築城したお城です。

瀬木城は豊川の西側に位置しています。




当時の豊川は、この瀬木城の
すぐ東側を流れていたようです。

瀬木城の城郭図です。



方形の郭の周囲を土塁と堀が囲み、
三ヶ所、馬出しが築かれています。


【瀬木城へのアクセス】


JR飯田線の豊川駅から東南に約1.5km。
徒歩で20分です。


JR飯田線の乗車記はこちらです。





【瀬木城登城記】



愛知県豊川市の一色城と牛久保城を訪れ、
豊川市の東側に位置する瀬木城に向かいました。

一色城の散策記はこちらです。
牛久保城の散策記はこちらです。

牛久保城からその東に広がる
低地を東に向かいます。



国道151号線を越えてしばらく行くと、田圃の中に
堤防が現れ、それに沿って北東に向かいました。

堤防からの眺めです。



今は田圃が広がっていますが、戦国時代には
豊川がこの堤防に沿う様に流れていたようです。



瀬木城はこの堤防沿いにありました。

田圃が広がり、所々住宅が建つ景色の中、
杜に覆われた瀬木城址はすぐにわかりました。

瀬木城址は、周囲を堀が囲み、堀から
出た土で土塁を築いた掻き揚げ城です。

この杜が瀬木城跡です。



その本丸跡には、神明社がありました。
この神社の風位を土塁が囲っていました。



神殿の裏の土塁の様子です。
こちらは、西側の土塁と思いますが、
ちょっと記憶が定かではありません。



瀬木城の西側には水堀が残っている筈ですが、
雑草がすごくて確認する事は出来ませんでした。


近くの土塁の上から眺めた瀬木城の様子です。



周囲は竹林や雑木林に覆われ、
全容は定かではありませんでした。


瀬木城を築いた牧野成時の主君はかつて
一色城主だった一色刑部少輔時家です。

その一色時家が家臣の波多野全慶に
討たれたのが1477年(文永9年)の事です。

牧野成時はその後、波多野全慶に仕えますが
1493年(明応2年)に、この瀬木城を築き、
一色城の波多野全慶の攻略に備えます。

牧野成時はその年のうちに波多野全慶を討ち、
主君の仇を報いています。

この瀬木城を築いた際には、波多野全慶を
追い詰める目途も経っていたのでしょうか。

宮城谷昌光氏は「古城の風景」の中で、
この一色時家の死去から牧野成時の
一色城奪還までのいきさつには、中央の
細川氏と山名氏の間の応仁の乱や
今川氏親の働きかけを示唆しています。


瀬木城の近くには綺麗なコスモスが咲いていました。



殺伐とした戦国の世から500年以上の歳月が経ち、
長閑で平和な時代になったものと、実感しました。



"東三河の古城"のページに戻る


"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る