古宮城は、武田信玄が三河進出の拠点とする為に、
城址は、小高い山全体が城域になっていて、
古宮城は中央に南北に全長140mの竪堀が
古宮城の縄張り図は、現地にはありませんでした。
古宮城は、1573年(天正元年)に、奥平・徳川
古宮城には2011年12月に登城しています。
JR飯田線新城駅から新城Sバス作手線で、
古宮城は、奥平氏が本拠としていた
この更に1km程北には、奥平氏が、亀山城を築く以前に
その南側には、平地が広がっていました。
この平地は、その昔は湖だったとされるところで、
古宮城のある小高い丘の向こう側の山には
現在、古宮城址には白鳥神社が鎮座しています。
鳥居をくぐり、白鳥神社の社殿に向かいました。
この奥に古宮城の遺構が残っています。
階段を上った先に、見上げるように土塁が続いています。
先ほど見上げた土塁に向かって上りました。
この檜は白鳥神社の御神木です。
御神木から続く土塁は古宮城の東側の主郭を囲んでいます。
木々が生い茂り、曲輪の様子は良く判りませんでした。
竪堀の向こうに見える土塁は西側の主郭を囲むものと思います。
西側には幾つもの曲輪が折り重なる様にありました。
現地に縄張図がなかったこともあり、写真の曲輪が
西側の主郭に下りて、上の土塁を眺めた様子です。
主郭の下には、更に空堀が築かれ、
土塁を乗り越え、空堀に沿って北に向かいます。
この竪堀は、古宮城の中央を東西に分ける竪堀です。
古宮城の中央を貫く竪堀の北側を眺めた後、
この竪堀を下り、麓に戻って来ました。
古宮城は規模が大きく、これ以外にも幾つも曲輪があり、
古宮城の周囲を歩いていると、
腰巻石垣のようですが、築城当時からあったものでしょうか。
古宮城は、遠くから眺めると、神社のある小高い山ですが
これだけの縄張りを短期間で築城した当時の熱意と、
Ruins of Furumiya Castle, Japan
登城日:
2011. 12. 18
【古宮城 概要】
馬場美濃守信房に命じ、1571年(元亀元年)に
築城したと伝わる古城です。
その大きさは南北200m、東西250m程です。
貫いていて、城域を東西に分けています。
新城市のホームページに載っていましたので、
そちらをご参照願います:
連合軍によって落城し、廃城となっています。
その際の様子を紹介します。
鴨ヶ谷口下車。古宮城までは徒歩6分程です。
亀山城の北、約1km程にあります。
本拠としていた川尻城址もあり、武田氏は、奥平氏に
脅威を与えるべく古宮城を築いたものと思われます。
撮影: 2011年12月
当時は湿原か深田だったように思います。
同じく武田方が築いた塞之神城がありました。
こうした武田方の威圧に屈したのか、
奥平氏は1571年(元亀2年)以降は
武田方に服従しています。
撮影: 2011年12月
鳥居から眺める古宮城前の平地の様子です。
当時も無人の平地が広がっていた事と思います。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
社殿の右手に階段があり、そこを上りました。
撮影: 2011年12月
この西側には、深く竪堀が続いていました。
この竪堀が、古宮城の中央を南北に貫く竪堀です。
撮影: 2011年12月
虎口があり、その脇に檜の大木がありました。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
下の写真は、東側の主郭の内部の様子です。
撮影: 2011年12月
東側の主曲輪の西側には北に下る大きな竪堀が続いています。
撮影: 2011年12月
土橋を渡り、その西側の主郭の土塁の所に行ってみました。
撮影: 2011年12月
どの曲輪だったのかを特定するのが、困難になっていますが、
下の写真は、多分西側の主郭にあたる曲輪と思います。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
腰曲輪が取り巻いていました。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
先ほど、東側の主郭から眺めた竪堀です。
撮影: 2011年12月
再び、白鳥神社横の南側の竪堀まで戻りました。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
その全貌を極めるには、かなりの時間が必要と思います。
丘陵地の麓に石垣がありました。
撮影: 2011年12月
その林の中には、複雑な縄張りの古城が隠れています。
その城が僅か2年ほどで廃城となってしまう、
時代の変化の速さをしみじみと感じました。