古宮城
Ruins of Furumiya Castle, Japan

登城日:
2011. 12. 18

【古宮城 概要】

古宮城は、武田信玄が三河進出の拠点とする為に、
馬場美濃守信房に命じ、1571年(元亀元年)に
築城したと伝わる古城です。

城址は、小高い山全体が城域になっていて、
その大きさは南北200m、東西250m程です。

古宮城は中央に南北に全長140mの竪堀が
貫いていて、城域を東西に分けています。

古宮城の縄張り図は、現地にはありませんでした。
新城市のホームページに載っていましたので、
そちらをご参照願います:
https://www.city.shinshiro.lg.jp/kanko/meisyo/furumiyajyoato.html

古宮城は、1573年(天正元年)に、奥平・徳川
連合軍によって落城し、廃城となっています。

古宮城には2011年12月に登城しています。
その際の様子を紹介します。

【古宮城へのアクセス】

JR飯田線新城駅から新城Sバス作手線で、
鴨ヶ谷口下車。古宮城までは徒歩6分程です。

新城Sバス作手線のダイヤはこちらです。

飯田線の乗車記はこちらです。

【古宮城登城記】

古宮城は、奥平氏が本拠としていた
亀山城の北、約1km程にあります。

亀山城の登城記はこちらです。

この更に1km程北には、奥平氏が、亀山城を築く以前に
本拠としていた川尻城址もあり、武田氏は、奥平氏に
脅威を与えるべく古宮城を築いたものと思われます。

川尻城の登城記はこちらです。

その南側には、平地が広がっていました。


撮影: 2011年12月

この平地は、その昔は湖だったとされるところで、
当時は湿原か深田だったように思います。

古宮城のある小高い丘の向こう側の山には
同じく武田方が築いた塞之神城がありました。
こうした武田方の威圧に屈したのか、
奥平氏は1571年(元亀2年)以降は
武田方に服従しています。

現在、古宮城址には白鳥神社が鎮座しています。


撮影: 2011年12月

鳥居から眺める古宮城前の平地の様子です。
当時も無人の平地が広がっていた事と思います。


撮影: 2011年12月

鳥居をくぐり、白鳥神社の社殿に向かいました。


撮影: 2011年12月

この奥に古宮城の遺構が残っています。
社殿の右手に階段があり、そこを上りました。


撮影: 2011年12月

階段を上った先に、見上げるように土塁が続いています。
この西側には、深く竪堀が続いていました。
この竪堀が、古宮城の中央を南北に貫く竪堀です。


撮影: 2011年12月

先ほど見上げた土塁に向かって上りました。
虎口があり、その脇に檜の大木がありました。


撮影: 2011年12月

この檜は白鳥神社の御神木です。


撮影: 2011年12月

御神木から続く土塁は古宮城の東側の主郭を囲んでいます。
下の写真は、東側の主郭の内部の様子です。


撮影: 2011年12月

木々が生い茂り、曲輪の様子は良く判りませんでした。
東側の主曲輪の西側には北に下る大きな竪堀が続いています。


撮影: 2011年12月

竪堀の向こうに見える土塁は西側の主郭を囲むものと思います。
土橋を渡り、その西側の主郭の土塁の所に行ってみました。


撮影: 2011年12月

西側には幾つもの曲輪が折り重なる様にありました。

現地に縄張図がなかったこともあり、写真の曲輪が
どの曲輪だったのかを特定するのが、困難になっていますが、
下の写真は、多分西側の主郭にあたる曲輪と思います。


撮影: 2011年12月

西側の主郭に下りて、上の土塁を眺めた様子です。


撮影: 2011年12月

主郭の下には、更に空堀が築かれ、
腰曲輪が取り巻いていました。


撮影: 2011年12月

土塁を乗り越え、空堀に沿って北に向かいます。


撮影: 2011年12月

この竪堀は、古宮城の中央を東西に分ける竪堀です。
先ほど、東側の主郭から眺めた竪堀です。


撮影: 2011年12月

古宮城の中央を貫く竪堀の北側を眺めた後、
再び、白鳥神社横の南側の竪堀まで戻りました。


撮影: 2011年12月

この竪堀を下り、麓に戻って来ました。


撮影: 2011年12月

古宮城は規模が大きく、これ以外にも幾つも曲輪があり、
その全貌を極めるには、かなりの時間が必要と思います。

古宮城の周囲を歩いていると、
丘陵地の麓に石垣がありました。


撮影: 2011年12月

腰巻石垣のようですが、築城当時からあったものでしょうか。

古宮城は、遠くから眺めると、神社のある小高い山ですが
その林の中には、複雑な縄張りの古城が隠れています。

これだけの縄張りを短期間で築城した当時の熱意と、
その城が僅か2年ほどで廃城となってしまう、
時代の変化の速さをしみじみと感じました。

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