川尻城は、応永年間(1394-1428)に
奥平貞俊は上野国(今の群馬県)から
奥平貞俊は川尻城が手狭になったとして、
亀山城の築城した時期は明確になっており、
この応永年間の初期は、松平氏の祖となった
奥平貞俊が亀山城に本拠を移した後も、
川尻城には2011年12月に登城しています。
JR飯田線新城駅から新城Sバス作手線で、
川尻城は、奥平氏が本拠として築いた
川尻城の南1km程には、1571年(元亀元年)に
川尻城に向かう途中に眺めた古宮城の様子です。
そして、その北側に見える丘陵地が
こうしてみると、武田方は奥平氏の中枢部に
創造の杜・城山公園の丘陵地を上り始めました。
いわば現代の登城道ですが、当時も
川尻城址の丘陵地を上っていくと、
丘陵地の中腹に冠木門がありました。
この門は模擬と思いますが、その奥には
冠木門から更に坂道を上り、
主郭には、数多くの墓碑が並んでいました。
主郭の広さは30m四方程でしょうか。
Ruins of Kawajiri Castle, Japan
登城日:
2011. 12. 18
【川尻城 概要】
奥平貞俊が築いたお城です。
三河に移住したと伝わるそうです。
1424年(応永31年)に、2.5km程南に
亀山城を築城し、本拠地を移しています。
1424年(応永31年)に本拠を移した事から、
上野国から移住し、川尻城を築城したのは、
応永年間の初期と思われます。
松平親氏が、同じく上野国から三河松平の
地に移り住んだ時期と重なります。
川尻城は支城として存続していたようです。
川尻城址は創造の杜・城山公園として整備されています。
その際の様子を紹介します。
作手高里下車。川尻城までは徒歩10分程です。
亀山城の北、約2.5km程にあります。
武田氏が築城した古宮城があります。
平地の小高い丘が古宮城、手前の杜は
塞之神城跡のある丘陵地です。
撮影: 2011年12月
川尻城址のある創造の杜・城山公園です。
撮影: 2011年12月
古宮城を築いて楔を入れた事が良く判ります。
この状況下、武田氏が古宮城を築いた1571年
(元亀元年)に徳川から武田方に寝返っていますが、
それも宜なるかなと思います。
振り返ると、丘陵地へと通ってきた小路が
田圃の中に続いています。
撮影: 2011年12月
川尻城に向かうには、低湿地に
細い道が続いていたものと思います。
いくつもの石仏を見ることが出来ました。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
曲輪跡と思しき平地がありました。
腰曲輪か二の丸に相当する曲輪と思います。
撮影: 2011年12月
頂上部の主郭跡にやってきました。
撮影: 2011年12月
戦で命を落とした方の慰霊碑なのでしょうか。
撮影: 2011年12月
亀山城は、川尻城よりも広く、奥平貞俊が
この地で勢力を伸ばした事が伺い知れます。