静岡県裾野市の真ん中あたり葛山
葛山氏は藤原鎌足の血筋をひくとも言われた名家の様です。
しかし、葛山氏の最後の領主は武田信玄の六男・伸貞と
この葛山には、葛山氏の居城だった葛山城の他に
山の上の古城はなんとか痕跡が残っている場合も
2011年12月に葛山城に登城した際、
ちなみにこの日は、相模、駿河の国境に
JR御殿場線三島駅または裾野駅から
この日は、足柄峠や深沢城址を
時間の余裕がなく、岩波駅から
葛山公居館跡は、周囲が土塁で囲われていました。
高さは3m程もあるでしょうか。
これほど立派な土塁で屋敷が囲われていた事、
土塁には石垣も見かけました。
四角く削られた石が整然と積まれていて、
葛山公居館の北側には、田圃の
この小山に、葛山城がありました。
土塁の一部が欠け、樹木の
葛山公居館の内部に入ると、周囲がぐるりと
一辺が50m程もあり、想像以上に
鎌倉時代からこの地を治めていた葛山氏。
Ruins of Kazurayama Palace, Japan
登城日:
2011. 12. 26
【葛山公居館 概要】
ここは、鎌倉時代から戦国時代
にかけて葛山氏が治めていました。
戦国時代に入ると、今川氏に仕えていたようです。
言われていて、武田氏が駿河に勢力を伸ばして以降は
武田氏の所領になっていたようです。
普段の住まいであった居館跡も残っています。
ありますが、多くは山の麓に築かれた居館跡は、
耕地や宅地へと転換されてしまい、今にその跡が
残っているケースはかなり限られています。
葛山公館跡にも立ち寄りました。
その際の様子を紹介します。
あった足柄城址と、御殿場の深沢城址に
立ち寄った後に葛山を訪れています。
深沢城の登城記はこちらです。
【葛山公居館へのアクセス】
富士急シティバスで御宿下車。
葛山公館では800m程、徒歩10分程です。
訪れた後に葛山に向かいました。
タクシーで葛山公居館に向かいました。
撮影: 2011年12月
それまで、山城で土塁跡を眺めてきましたが、
どれもせいぜい2〜3m程だったでしょうか。
そして、その土塁が残っているのは
新鮮な驚きでした。
撮影: 2011年12月
切り込みハギのようです。
多分、江戸時代に築かれたのでしょうか。
向こうに小高い山が見えています。
撮影: 2011年12月
この葛山公居館からは目と鼻の先です。
トンネルの様になっていました。
ここが、葛山公居館跡の入口です。
撮影: 2011年12月
土塁に囲まれていることが、一層実感出来ます。
撮影: 2011年12月
規模の大きな城館だったようです。
護りを固めたこの城館で、数百年にわたり、
近隣の豪族と覇を競っていたことが、
この土塁を見ると、実感する事が出来ました。