妻木城
Tsumaki Castle, Japan
登城日:
2009. 9 26
妻木城は、土岐市南部の標高490mの城山に築かれた山城です。
現地の案内板によると、妻木城が築城された時期は明確に判って
いないそうですが、1339年(暦応2年)に後に妻木氏の祖となる
土岐明智頼重が、祖父・美濃守護土岐頼貞の遺領を
継いた後に築城したと伝わっているそうです。
その後戦国時代に入ると妻木氏が妻木の地を治めます。
妻木氏は関ヶ原の戦いで東軍に付き、岩村城を攻略します。
岩村城の登城記はこちらです。
この功績で、妻木氏は江戸時代に入り、
7500石を拝領し、妻木に陣屋を開きます。
しかし、1658年(万治元年)に城主が急死し
跡継ぎが無かった事から、お家断絶となり、
妻木城は廃城となっています。
妻木城は、標高490mの城山の山頂には
戦国時代に築かれた主郭やそれを取り巻く曲輪、
そして麓に城主の居館や家臣団の屋敷跡が残っています。
麓の居館部も含めて城郭遺構が
残されているのは全国的にも珍しいそうです。
また山麓の居館部は江戸時代に
陣屋として整備されているようです。
JR多治見駅から東濃鉄道バス・
妻木上郷行に乗車。
多治見駅前から約30分。
東濃鉄道バス妻木線のバス時刻はこちらです。
妻木上郷バス停から徒歩約10分です。
【妻木城登城記】
2009年9月、急に思い立って妻木城に向かいました。
妻木城の概要でも記しましたが、妻木城は山頂の主郭部と
麓の居館や家臣団の屋敷跡に分かれています。
山麓部分には江戸時代には陣屋としても
使われていたので、これら2つを分けて紹介します。
妻木城御殿・士屋敷跡
(妻木陣屋)
Sep. 03, '13
妻木城主郭部
NEW ! Sep. 07, '13
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妻木城御殿・士屋敷跡
(妻木陣屋跡)
普段、お城めぐりは公共交通機関を使っていますが、
この妻木城は、珍しく車で訪れました。
地図を頼りに妻木城に向かうと、城山の
麓にある士屋敷跡に辿り着く事が出来ました。
道路に面して、叢が広がり、
そのすぐ先に石垣が連なっていました。
一段目の石垣を上っていくと50m x 30m程の
区画が広がり、その先に再び石垣が連なっていました。
石垣の左手(東側)には虎口の階段があり、
右手(西側)には門跡がありました。
西側にあった門跡の様子です。
石垣が一部崩れていますが、手前の木と
石垣との間に門があったのでしょうか。
この石垣を上ると御殿跡です。
9月末ですが、夏の名残の草が生い茂っています。
この日も蒸し暑く、藪蚊に何度も襲撃されています。
この御殿跡は、江戸時代に入って
陣屋が建てられていたところでしょうか。
御殿跡の東側には堀切もありました。
この堀切の土塁が御殿跡の東側を囲っています。
その土塁の手前に、池の跡がありました。
下の写真は井戸跡です。
妻木城が廃城となったのは、1658年(万治元年)の
事だそうですが、廃城になった後350年間も、
そのまま放置されてしまっていたような感じです。
御殿跡の西側にあった枡形跡です。
平たい土地が広がるだけで、どこが
枡形なのかちょっと判らずにいました。
石垣の下には、草に埋もれた石段が残り、
微かに枡形の跡を偲ぶ事が出来ました。
この士屋敷や御殿跡の西側には、
城山へと向かう舗装道路が続いています。
舗装道路の更に西側にあった御蔵跡です。
この石垣は、はっきりとは覚えていませんが
士屋敷と御殿を隔てる石垣でしょうか。
石垣が曲っていて、ここも門跡の様に思います。
舗装道路沿いに奥に進み、
御殿の一番奥の一画に辿り着きました。
上の写真は、御殿跡の一番奥にあった石垣です。
確か、その更に山側だったと思いますが、
溝で区切られ、低い石垣が続いていました。
この石垣が御殿跡の敷地の境でしょうか。
妻木城主郭部
江戸時代に陣屋が置かれた、城山の麓の
妻木城の士屋敷や御殿跡を訪れた後、
山頂にある主郭部を訪れました。
主郭部は、御殿跡からも直接行くことが出来るようですが、
藪が深くて、西側の舗装道路からアクセスしました。
こちらも藪が深く、蜘蛛の巣を
かき分けながら山道を登っていきました。
人が足を踏み入れていない山道。
すぐ近くで、藪をかき分ける音がして
猪でも出たかと、ちょっと怖くなりました。
汗だくになりながら山道を登ると、
大きな石がゴロゴロしていました。
妻木城の石垣の石は、これらの
岩から切り出されたようです。
藪は深かったのですが、麓から20分程で
山頂部にある三の曲輪に辿り着きました。
この曲輪は20m四方程の広さでしょうか?
それ程広くはありません。
曲輪の先の景色が開けていました。
妻木城から眺める妻木の集落です。
藪の山道を歩いてきた甲斐があって
素晴らしい展望を楽しむ事が出来ました。
三の曲輪から石段を上り、
山頂の主郭へと向かいます。
趣のある石段を上ると、鳥居が見えてきました。
ここが二の曲輪です。
鳥居の手前に枡形の虎口があるようです。
草の生い茂る二の曲輪を進んで行くと、
立派な石垣が見えてきました。
山頂の主郭を2段に分ける石垣です。
石垣の左手に虎口があり、ここから
上段の1の曲輪へと上っていきました。
1の曲輪の様子です。
曲輪の一角に祠がありました。
その祠の脇には伝物見杉が倒れていました。
この高台にあり北側の展望の開けた妻木城ですが、
南側からの敵の侵入を警戒していたのでしょうか。
妻木城の主郭にも大きな岩がゴロゴロしています。
これは伝旗立岩です。
大きな岩の間に切れ目があり、
ここに旗指物を建てたのでしょうか。
現地案内板を見ると、この1の曲輪の南に
堀切や、南曲輪などもあるようですが、
それらは見ずに引き返してしまいました・・・
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