わが街 岡崎 / 浄瑠璃ヶ淵
Jyoruri ga Fuchi
in my Hometown Okazaki








岡崎市役所からまっすぐ南に向かい
乙川に架かる吹矢橋からの眺めです。

岡崎市の中心部を流れる乙川は
このあたりで蛇行し、浅瀬が現れています。

緩やかな乙川の流れに浅瀬があるこの辺りは
浄瑠璃ヶ淵があったところと言われています。


浄瑠璃ヶ淵の地図はこちらです。


地図が見られない場合は
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浄瑠璃ヶ淵は源義経と深い仲になり
義経との別れを儚んでこの世を絶った
浄瑠璃姫が身を投げたところと言われています。



浄瑠璃姫は1148年(久安4年)頃に、
岡崎の矢作宿に住んでいた
源中納言兼高の娘と言われています。

矢作の様子はこちらです。


浄瑠璃姫が16歳の1174年(承安4年)に、
平泉へ向かう義経一行が矢作の宿に泊まった際、
義経と浄瑠璃姫は知り合い、深い仲になります。

しかし、義経は平泉へ旅たってしまった為、
残された浄瑠璃姫は別れを悲しみ、
1183年(寿永2年)にこの乙川の流れに
身を投じたそうです。

平泉の様子はこちらです。


乙川の堤防に句碑が立っていました。



"散る花に 流れもよどむ 姫ヶ淵"

この句碑は義経が向かった平泉に
向けて立てられているそうです。

浄瑠璃姫の両親は、川に身を投げた
娘の事を嘆き悲しみ、「穴観音」を建て
その霊を弔ったそうですが、昭和に入って
乙川の河川改修を行った際に、
「穴観音」は壊されてしまったそうです。



僅かな浅瀬に浄瑠璃ヶ淵の面影を残す乙川。
この清らかな流れに浄瑠璃姫の悲しみも
癒されているのでしょうか。

浄瑠璃姫のお墓は、岡崎城の東曲輪にあります。

岡崎城東曲輪の様子はこちらです。





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