岡崎平野の中央部を
ゆったりと流れる矢作川。
「矢作」の名の付く集落が岡崎市の中心部から
矢作川を渡った西側にあります。
矢作橋の袂にある矢作神社から50mほど南に下がると
旧東海道沿いに、矢作の町並みが続いていました。
矢作は東海道の宿場ではありませんでしたが
江戸時代になる迄は矢作橋は架けられておらず
渡しを待つ往来の人々が泊まる宿があったようです。
小さいながらも堂々とした山門と
お堂のお寺です。
このお寺は、徳川家康の長男で
織田信長に自害させられた岡崎信康の
所縁が深く、信康の画像が残されているそうです。
勝蓮寺を出て、旧東海道を西に向かいました。
以前は古い家屋が軒を並べていた矢作の集落も
今では歯が抜け落ちるように所々空き地となり
寂しい光景になっていました。
しばらく行くと彌(弥)五騰神社がありました。
この彌五騰(やごとう)神社は元は彌五郎殿と言われ
堀田弥五郎正泰が1346年(正平元年)に
武内大臣・平定経を祀ったのが始まりだそうです。
矢作には山車の出るお祭りが今も続いているそうですが
この彌五騰神社にも山車が残っているそうです。
そして、その先には誓願寺がありました。
この写真は、誓願寺の十王堂です。
案内板が傷んで字が読み取れず、
現地にいるときは判らなかったのですが
この誓願寺は浄瑠璃姫の菩提寺で
この十王堂には浄瑠璃姫の木彫り像が
祀られているそうです。
1174年(承安4年)に、平泉へ向かう義経一行が
矢作の宿に泊まった際、義経と浄瑠璃姫は知り合い、
深い仲になります。
しかし、義経は平泉へ旅たってしまった為、
残された浄瑠璃姫は別れを悲しみ、
1183年(寿永2年)に乙川の流れに
身を投じたそうです。
誓願寺の境内には浄瑠璃姫のお墓もあるそうなので
いつか再訪してみたいものです。
矢作の集落を離れ、国道一号線を
しばらく西に進むと宇頭の集落に入ります。
ここにも古いお寺がありました。
聖善寺です。
山門の隣にある櫓の様な
望楼状の建物が印象的でした。
この聖善寺は樹齢300年と推定されるしだれ桜が有名で、
また孝養太子(聖徳太子)像が納められているそうです。