わが街 岡崎 / 土呂界隈
Toro Area
in my Hometown Okazaki






岡崎の中心部から南に向かい、JR岡崎駅を経て
更に2km程南に行くとまとまった集落があります。

この集落は今では福岡町という町名ですが
江戸時代には土呂御坊という一向宗の拠点になった
東西約1km、南北に800mもの広さを持つ集落がありました。

今でも国の重要文化財の土呂八幡宮や
一向宗のお寺が当時の様子を伝えています。


土呂の集落の北にある御坊山に位置する
土呂八幡宮から土呂の散策を始めました。



地図が見られない場合は
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土呂八幡宮の拝殿の様子です。



土呂八幡宮の様子は こちら です。


以前はこの土呂八幡宮の一の鳥居のところに、
土呂御坊(旧・本宗寺)の碑がありました。



本宗寺は、一向宗を中興した蓮如上人が
1468年(応仁2年)に創建したお寺で、
それ以来、土呂の集落は栄えたそうです。

往時の本宗寺の寺域は東西十町(約1km)、
南北八町(約800m)もの広さに及び、
この寺域に、1,000軒もの人家が建つ
治外法権の宗教都市が出来ていたそうです。

ちなみに、「泥棒」という言葉の語源は、
この土呂の坊から来ているそうです。


三河一向一揆で土呂の町は戦火に遭いますが、
その後は徳川家康の命で築城された
土呂城の城下町として栄えたそうです。



土呂八幡宮から西に緩やかな坂道を下り、
土呂の町の散策を開始しました。

坂を下りきったところの角を左に折れた
ところに福岡座跡の案内がありました。



1912年(明治45年)に開設された劇場で
この辺りでは一番立派な劇場だった様で
多くの観客で賑わったそうです。


先ほどの角に戻り、更に西に向かいます。
角にあった常夜灯です。



西尾へと至る街道へ出て、道路を渡った辺りに
「蓮如上人御舊所」の石碑が立っていました。
この石碑の横には土呂城址と記された碑もありました。

西尾の様子はこちらです。



土呂城は徳川家康の命を受けた石川数正が
三河一向一揆が収まった1564年(永禄7年)
以降に築城したそうです。

土呂城の様子はこちらです。


碑の背後にある小高い丘が土呂城の跡で、
そこに蓮如上人の土呂御墓地がありました。
1533年(天文2年)に分骨したお墓のようです。



もう随分長く岡崎市南部に住んでいるのですが、
蓮如上人のお墓があるとは知りませんでした。

この御堂山の麓にも「蓮如由緒真宗道場」
と石碑の建つお堂がありました。



土呂城跡の西側に流れる砂川の畔には、
三八市開設の記念碑があります。



土呂城が築かれると土呂の集落は
城下町として栄えたそうですが、
三河一向一揆の戦火で焼かれた
土呂の町の復興の為に徳川家康が
三八市という市場を開かせたそうです。


砂川に沿って歩いていくと、福岡町の中心地、
福岡郵便局脇の交差点に出ます。

その交差点近くにあった常夜灯です。



ここから福岡の町の目抜き通りを
東に向かって歩いていきました。



物心ついた頃には、この通りの両側には
商店や家がずらりと並び、行き交う人も多く
賑やかな通りでしたが、今では空き地も多く
通りを歩く人も少なくひっそりとしています。



所々、古い商店や民家が残っていましたが、
以前の面影は失われています。


この通りを東に進んでいくと浄専寺に辿り着きました。
土呂城址の御堂山にある蓮如のお墓の案内板にあった
蓮如の遺骨の一部を譲り受けた譲り状が
遺されているお寺です。



「蓮如上人土呂舊所」の碑が
この浄専寺にも立っていました。

浄専寺の本堂の様子です。



新しく建て替えられて本堂の脇に
蓮如の像があり、蓮如への篤い信仰心が
今に引き継がれていることがわかります。

浄専寺のすぐ南にあった
土呂陣屋の様子はこちらです。


この浄専寺から小路を北に進むと
土呂殿本宗寺がありました。

蓮如が1468年(応仁2年)に創建したお寺で、
徳川家康を苦しめた三河一向一揆の拠点の一つでした。
戦国時代に土呂の集落の中心的な存在だったお寺です。



今はその当時の面影はなく、広くはない境内に
比較的新しいお堂が建っているだけでした。

この本宗寺は一向一揆の戦火で焼かれ
その後、20年間復興が許されず、復興した後は
岡崎市東部の美合に移されたとの事でしたが
土呂にも本宗寺が残されていたようです。

門前には三八市発祥の地の碑がありました。



戦火に焼かれた土呂の集落の復興は
中心だった本宗寺で行われたのでしょうか。
三八市の始まりは1571年(元亀2年)の事だそうです。


こうして土呂の集落を巡っていると、
蓮如上人の所縁のお寺が数多くありました。
戦国時代にはこの土呂の集落がそれら寺院の
境内として治外法権を得ていたとなると、
その規模の大きさが実感出来ます。

土呂の集落を歩いている時に見つけた貼り紙です。



「蓮如さん」という土呂のお祭りは賑やかで
子供の頃にはワクワクしながら出掛けていた
事を思い出しました。


当時の面影が薄れつつある土呂の集落ですが、
至る所に蓮如上人所縁のお寺が残り、
今でも戦国時代からの歴史が脈々と
受け継がれていると実感しました。



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