八剣神社は、岡崎市の西北部、
矢作川の畔にある神社です。
岡崎市の中心部から矢作川の左岸堤防を北に進むと、
愛知環状鉄道の矢作川橋梁に辿り着きます。
この矢作川の堤防は何度も自転車で走り、
この杜を眺めていましたが、この八剣神社は
どこにでもある土地の氏神様と思っていました。
しかし、岡崎市都市計画課が運営する
「おかざきいいとこ風景ブログ」を見て
この神社は足利尊氏所縁の神社と知りました。
そこで向かった八剣神社です。
由緒書がなかったのですが、この神社は
少なくとも鎌倉時代には存在していました。
石燈籠が並ぶ参道を抜け、
もう一つ石の鳥居をくぐると
城門のような門がありました。
この門をくぐると拝殿と神殿です。
この八剣神社には、鎌倉時代から室町時代に
造られたとされる9体の木造神像があり、
岡崎市の文化財に指定されています。
神像が納められている社殿の裏の
杜に向かうと、ひっそりと古びた
石宝塔が建っていました。
この石宝塔が1358年(延文3年)に没した
足利尊氏の供養塔です。
5段目の塔身と6段目の笠の部分が
当時のものとされています。
塔身の碑文から、足利内蔵之尉が
建立したそうです。
岡崎の辺りは、足利家3代目の義氏が
三河守護になった事から足利氏所縁の地となり、
一族の細川氏や仁木氏も岡崎から出ています。
この八剣神社の辺りは、昔から
矢作川の渡河地点であったようです。
愛知環状鉄道の車窓から眺めた矢作川の眺めです。
足利尊氏の軍勢が京に押し寄せる際、
矢作川が増水し渡れなくなっていたそうです。
そこで、この八剣神社にお祈りしたところ、
背後の杜から三党の白い鹿が現れ、
無事に渡る事が出来たという言い伝えがあります。
休日のひと時、バーベキューをする家族連れが
のんびりと時間を過ごしていました。
水郷公園辺りの堤防から眺める矢作川の流れです。
遠く正面に見える丘陵が丁度岩津城の辺りで、
その左手に細川や仁木氏の本拠地があります。