岩津城
Iwadu Fort, Japan


登城日:
2011. 1. 22







【岩津城概要】


岩津城は岡崎市北部、平針街道と
足助街道が合流する岩津の町の東、
標高74mの小高い山にあります。

この小高い山のすぐ西側を矢作川が流れ、
要所に築かれた山城です。




岡崎市史によると、松平氏二代の泰親公が
1421年(応永28年)に松平郷からこの岩津に
進出したと記されています。

岩津城の築城年代は判っていないそうですが、
この事から考えると15世紀前半なのではないでしょうか。

1451年(宝徳3年)には、松平氏三代目の信光公が
岩津城の東側に信光明寺を建立しています。

信光明寺の様子はこちらです。

1571年(元亀2年)に武田軍が三河に侵攻し、
岩津を襲った後、岩津城の名前は
歴史からは消えてしまったそうです。


岩津城は主郭と南郭の二つの郭からなり、
夫々の郭の周囲に堀を巡らした
縄張りになっています。



岩津城縄張図
愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河地区)より
原図:奥田 敏春 氏


この縄張りからは戦国時代後期とも推測され、
1585年(天正13年)頃に家康と秀吉の間で
緊張が高まった際に整備された可能性もあるそうです。
(岡崎市史より)



【岩津城へのアクセス】


名古屋鉄道本線東岡崎駅北口4番乗り場から
名鉄バス奥殿陣屋行、三河上郷行などで
岩津天満口下車、所用時間22分。

一時間に約4本と頻繁な運転本数があります。

岩津天満口から徒歩約5分です。

名鉄バスの時刻はこちらから検索可能です。



奥殿陣屋の訪問記はこちらです。
名古屋鉄道の乗車記はこちらです。




【岩津城登城記】



岩津城は、岩津の町の
東の小高い山にあります。

岩津天満宮とは東名高速道路の
陸橋を隔てて反対側にあります。



岩津の集落から岩津天満宮への参道となる
坂道を上り、大きな鳥居をくぐると、
岩津城の案内板があります。



この案内板の脇に、登城口と思われる
小路が続いていますが、ここは私有地で
立ち入りが禁止になっています。

そこで、大鳥居の先まで戻り、
岩津城の西側からアクセスしてみました。

岩津城のある小山を回り込む様に
歩いて行きます。



住宅地の背後の山の向こうが岩津城址です。

この辺りからは、三河平野の景色が一望出来ました。
丁度、安城市の方面を眺めた様子です。



安城は、松平氏三代の信光公が攻め取り、
本拠とした安祥城がある町です。

安城の散策記はこちらです。
安祥城の登城記はこちらです。

広大な三河平野の中心部に進出し、
松平氏の勢力は一気に広がった事と思います。

信光公もこの景色を眺め、
安祥進出の事を考えていたのでしょうか。


岩津城址の西側にある登城口です。



こちらは立ち入り禁止の印がなく、
遠慮しながら中に入ってみました。

この先、道は雑木林の中の
竪堀跡の様なところを進んでいきます。



しばらくすると、木々が途切れ、右手に
土塁跡を思わせる土手が見えてきました。



この土手の向こうは畑になっていて
この土塁が当時のものかどうかは
自信が持てませんでした。

この先には、右手に雑木林へと分け入って行く
小道が分かれ、そこに小さな石仏が置かれていました。

この道が城址への道と思いますが、
竪堀の道を更に歩いて行きます。


ここまで歩いて来た道を振り返ると
この道が竪堀跡であったと容易に
想像出来るような光景でした(下写真左)。



そして、この先に少しばかり歩いて行くと、
先程の案内板近くの登城口が見えていました。
(上写真右)

この間は立ち入り禁止になっています。
こうしてみると目と鼻の先に見えています。


少し戻って、先ほどの小さな石仏のある
小路へと分け入って行きました。



小路の東側には幅の広い
空堀が続いています。



周囲の藪が深く、なかなか
地形が把握出来ませんが、
この空堀は南郭の外堀にあたります。



小路の脇には、所々小さな
石仏が置かれていました。



昼間でも鬱蒼とした雑木林に薄暗い道を
歩いていくと土橋があり、その先に
虎口と思われる地形が現れました。



この土橋を渡ると岩津城の本郭へと
至りますが、小路が続いていたので、
更に奥に向かっていきました。

小路の右手に櫓台の様な
小高い土塁跡が見えてきました。



南郭に大きな土塁があるそうなのですが、
これがその土塁なのでしょうか。


この先は藪が益々深くなっていたので
ここで引き換えし、先ほどの土橋を渡りました。

土橋を渡った先にある
主郭の虎口の様子です。



この土橋の両側にも立派な
空堀が掘られていました。

虎口を抜けると平削地が広がっていました。



竹が生い茂り見通しは効きませんが、
思いがけず、広い郭でした。



この平な主郭の一部が高くなっており
土塁跡と思われます。



その上に、岩津城址の碑が
ひっそりと立っていました。



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