信光明寺は、松平氏三代目の信光公が、
初代・親氏公、二代・泰親公の菩提を弔う為に
1451年(宝徳3年)に建立したお寺です。
松平氏は、今の豊田市松平地区にある松平郷で
興った地方豪族でしたが、二代目・泰親の時に、
三河平野の北端に位置する岩津に進出します。
この先から、信光明寺へと下りて行きました。
生い茂る藪を抜けると、墓地があり、
その一角に古びた土塀がありました。
白壁も剥がれ落ち、寂びれた風情が漂っていますが、
この土塀に囲われた3つのお墓がありました。
松平氏の初代・親氏公、二代・泰親公
そして三代・信光公のものと思います。
思いがけず松平氏の祖となる三氏の
お墓を眺められてびっくりしましたが、
特に案内板はありませんでした。
この墓地から下ると、観音堂がありました。
1478年(文明10年)に建立されたものです。
文亀年間(1501年から1504年)あるいは
永正3年(1506年)に、北条早雲が三河に侵攻し、
この信光明寺も兵火に遭ったそうですが、
この観音堂は焼けずに後世に残ったそうです。
こちらは本堂の様子です。
松平信光公が創建したこのお寺は
家康が江戸幕府を開くと篤い保護を受け、
100石を越える寺領を得ていたようです。
この本堂の反対側にはお寺が
運営する幼稚園がありました。
幼稚園の向こうには古びた門がありました。
1659年(万治2年)に建立された唐門です。
江戸末期に、この信光明寺は火災に遭い、
観音堂と唐門を残して、他の伽藍は
焼失してしまったそうです。
この唐門の先に山門もあるそうですが、
それは見逃してしまいました。