今治城
Imabari Castle, Japan


登城日:
2009. 7. 28







【今治城 概要】


今治城は、1604年(慶長9年)に藤堂高虎が築城した
近世城郭で、堀に海水を引き入れた水城です。

現在は内堀に囲まれた本丸、二の丸
そして、三の丸が残るのみですが、
当時は、3重の堀に囲まれていたそうです。





藤堂高虎は1635年(寛永12年)に伊賀に移封となり、
その後、伊勢長島より久松松平氏が入城し、
以降、幕末まで久松松平氏の居城でした。

今治城の現存する城郭はL字状になっており、
当時は、各頂点にあたる位置に櫓が載っていました。

天守はその中央にあったとされています。



今治城の天守は、層塔式天守だったと云われ、
1610年(慶長15年)頃に 丹波亀山城に 解体移築されたと
記録に残されています。

丹波亀山城の登城記はこちらです。


層塔式天守は寄棟の建物を積み重ねた様式で、
今治城の天守が初めて採用しています。



今の天守は1980年(昭和55年)に再建されていますが、
残念ながら外観は古写真に残る丹波亀山城の
天守とは異なり、望楼式として建てられています。

また二の丸東隅にある御金櫓が1985年(昭和60年)に、
三の丸西隅にある山里櫓が1990年(平成2年)に再建されています。

更に、三の丸にあった鉄御門が、武具櫓などと共に
2007年(平成19年)に江戸時代のままに復元されています。



【今治城へのアクセス】


JR今治駅から東へ約1km、
徒歩、20分程です。

また今治駅前から今治営業所行きの
せとうちバスに乗車し、今治城前下車。

このバスは頻発していて便利です。


せとうちバスのサイトはこちらです。





【今治城登城記】




三ノ丸
Mar. 08, '13

二ノ丸・本丸
NEW ! Mar. 12, '13



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三ノ丸




2009年7月28日、松山にある湯築城を訪れた後に、
JR四国の特急「しおかぜ」で今治に向かい
今治城を訪れました。

湯築城の登城記は
こちらです。
特急「しおかぜ」の乗車記はこちらです。


今治駅から今治城に向かうと、幅広い堀に
浮かんでいるような今治城が見えてきました。



堀にも今治城の姿が映り、素晴らしい眺めでした。
この水掘の幅は50mもあるそうです。

今治城の北側には、大手口に当たる
鉄御門があり、土橋が架けられています。



鉄御門に向かって歩いて行くと、手前の武具櫓に
隠れていた再建天守が姿を現してきました。

天守の手前に建ち並ぶ櫓群が2007年(平成19年)に
復元された鉄御門と多聞櫓、そして武具櫓です。


土橋を渡り、鉄御門から今治城に向かいました。



目の前に櫓門や多聞櫓が迫ってきます。
今治城の正門にあたる鉄御門の
守りの堅さが判ります。

こちらがその鉄御門の櫓門です。



鉄御門は、枡形門になっており、
櫓門を抜けると、武具櫓と多聞櫓に囲まれ
もう一つの枡形があるような配置でした。



武具櫓の下には、鉄御門の
礎石の遺構が展示されていました。


鉄御門を抜けると、今治城の模擬天守が聳え、
その前に築城主の藤堂高虎の像がありました。



藤堂高虎は、今治城だけでなく、宇和島城や
この後、伊賀上野城や津城など数多くの城を築き、
築城の名手と云われるようになりました。


武具櫓から三の丸の西側にある
山里櫓へと向かいました。



山里櫓は1990年(平成2年)に再建されています。

山里櫓脇の門を抜け、
今治城の搦め手口に行ってみました。



山里櫓脇の門を抜け、石段から
山里櫓を見上げた様子です。



今治城の南側から眺めた
模擬天守と山里櫓の様子です。

端正な模擬天守が一番綺麗に
眺められるアングルだと思います。



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二ノ丸・本丸




山里櫓から今治城の南側に出た後、
再び鉄御門まで戻り、二ノ丸から
本丸へと向かいました。



鉄御門の左手、今は空き地と
なっている辺りが以前の二の丸です。

当時は二の丸との間には、
塀が巡らされていたようです。


その二ノ丸跡の東北の縁には
多聞櫓と御金櫓を結ぶ塀が続いていました。



二の丸東隅にある御金櫓です。



この御金櫓は1985年(昭和60年)に再建されています。
御金櫓の土塁に登って、内堀を眺めてみました。



ここから今治城の本丸を巡る
土塁の上を歩いてみました。



土塁の上から眺める今治城天守です。
模擬と言えども端正な姿です。

土塁の上を南側に歩いていくと、
本丸跡に建てられた吹揚神社の
社殿が見えてきました。



吹揚神社は、廃藩置県の後、
今治各所にあった神社を合祀したものです。

その吹揚神社裏の土塁の様子です。



石垣の高さは10mはあるでしょうか。
柵も何もなく、下を覗くと恐怖心を感じます。

本丸の西の隅近くまで行った後に、
本丸に建つ吹揚神社に詣でました。



厳かな雰囲気の社殿ですが、
第二次大戦で焼失し、再建したものの
1980年(昭和55年)に放火で全焼し、
1983年(昭和58年)に再建されているのだそうです。


吹揚神社から天守に向かいます。
1980年(昭和55年)に再建された模擬天守です。

藤堂高虎が築いた今治城天守は、
層塔式だったようですが、再建された
天守は望楼式になっています。



今治城には天守台が残っておらず、実際に藤堂高虎が
天守を築いたのか、明確な証拠はないそうですが、
例えそれが事実であったとしても、今治城の天守は
丹波亀山城 に移築されたと伝わっており、
今治城に天守があったのは1604年(慶長9年)から
僅か数年だったようです。

丹波亀山城の登城記はこちらです。


天守が丹波亀山城に移築された後には
本丸に天守代用の二重櫓が
建てられていたという事です。



周囲に高い建物のない今治城模擬天守からは
瀬戸内海も眺める事が出来ました。

藤堂高虎も、当時天守に登り、
この景色を眺めた事でしょう。



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