松江城
Matsue Castle, Japan

登城日:
2011.7.28

【松江城 概要】

松江城は1607年(慶長12年)から1612年(慶長17年)にかけ、
堀尾吉晴
(1543-1611) によって築かれたお城です。

築城後、松江城は松江藩の政庁となりました。
松江藩は出雲・隠岐の二国が領土になっています。

関ヶ原古戦場の散策記はこちらです。

築城城主の堀尾吉晴が1611年(慶長16年)に亡くなると
孫の忠晴が藩主となりますが、1633年(寛永10年)に
無嗣改易となり、その後は京極忠高
(1593-1637)
若狭小浜藩から移封されます。

しかし京極忠高は1637年(寛永14年)に亡くなり、
再び無嗣改易となったため、結城秀康の三男・
松平直政が松本藩から移封され、以降明治まで
越前松平氏が松江藩を治めます。

松本城の登城記はこちらです。

松江城は、宍道湖に近い標高29メートルの
亀田山に築かれています。

亀田山の周囲には内堀が巡り、その内側に二之丸、
本丸そして北之丸などが位置しています。

現存の天守は2015年(平成27年)に国宝に指定されました。
2000年から2001年にかけては二之丸の南櫓、
中櫓そして太鼓櫓が復元されました。


内堀の外側、亀田山の南側には三之丸があったようです。
三之丸を囲む外堀は、今もほぼ完全な状態で残り
堀を巡る遊覧船が運行されています。

松江城には2011年7月に登城しています。
その時の様子を紹介します。

【松江城へのアクセス】

JR山陰本線松江駅から北に徒歩25分程です。
一畑電気鉄道の松江しんじ湖温泉駅からは
歩いて15分の距離です。

山陰本線の乗車記はこちらです。
一畑電気鉄道の乗車記はこちらです。

松江駅から国宝松江城県庁前まで
松江市交通局のバスも運行されています。
日中は毎時1〜2本ほどで、所要時間は7分。

また「ぐるっと松江レイクライン」バスも
日中は毎時3本運行されています。
公式HPはこちらです。です:
https://matsue-bus.jp/lakeline

松江駅⇒国宝松江城は10分ですが、国宝松江城から
松江駅は寄り道をする為、30分程掛かります。

【松江城登城記】

二之丸下ノ段
June 16, '20
二之丸
June 19, '20
本丸
June 27, '20
天守
July 02, '20
北之丸
July 08, '20
椿谷
NEW ! July 11, '20

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二之丸下ノ段

松江駅から宍道湖の畔を松江城に向かって歩き、
宍道湖から流れ出す大橋川を渡ると、
松江の官公庁街になります。

その中にちょっとした公園があり、
そこに騎馬像がありました。


撮影: 2011年7月

松江藩第四代藩主・松平直政公の像です。
築城城主の堀尾吉晴の像でないのは、徳川家康の
孫・松平直政が1637年(寛永14年)に入城後、明治に
なる迄、松平氏が松江の地を治めたという事でしょうか。

ここからは亀田山山頂の松江城天守が見えていました。


撮影: 2011年7月

松平直政の騎馬像から北に向かうと、
松江城内堀の畔に出ました。


撮影: 2011年7月

復元された南櫓、中櫓そして太鼓櫓が眺められ、
当時の松江城の様子を髣髴とさせます。

大手木戸門跡から、松江城の二之丸に入りました。
大手木戸門跡脇には堀尾吉晴の像もあったようですが、
見落としてしまいました。


撮影: 2011年7月

松江城を訪れた2011年は松江城が築城されて
400年に当たり、イベントが催されていました。

大手木戸門跡を抜けた左手は馬溜です。


撮影: 2011年7月

壁に聳える石垣の上に建てられた中櫓と太鼓櫓が
見下ろすように聳え、その下に30メートル四方
程の空間があります。

馬溜という名前ですが、出陣する兵士や大名行列の
行列の一行がここで隊列を整えた事でしょう。

馬溜の北側、大手木戸門から入って右手に
大手門の礎石跡がありました。


撮影: 2011年7月

この大手門跡の先には、二之丸下ノ段の
広い曲輪が広がっています。

この二之丸下ノ段には、江戸時代には
米蔵が建てられていたようです。


撮影: 2011年7月

当時の建物跡に沿って溝が残っています。

二之丸下ノ段の西側には、本丸の石垣が続いています。
一直線に並ぶ石垣はなかなか見られないように思います。


撮影: 2011年7月

南北に100メートルほどの二之丸下ノ段を通り抜け、
北側の脇虎口ノ門に至りました。


撮影: 2011年7月

脇虎口ノ門は桝形門形式の門でした。
但し、門の周辺を囲う石垣は低く、
ここに櫓門は載っていたのでしょうか。

脇虎口ノ門を抜けると内堀に北惣門橋が架かっています。


撮影: 2011年7月

橋の向こうの松江博物館の古風な建物と相まって、
なかなかいい雰囲気を醸し出していました。

北惣門橋の北側は塩見縄手と呼ばれる地区で、
こちらも当時の佇まいが残っています。


撮影: 2011年7月

北惣門橋の南側は内堀が真っすぐ伸びていました。
一直線に伸びる石垣の様子も素敵です。


撮影: 2011年7月

その石垣の上から北惣門橋と松江博物館を眺めました。
丁度、お堀巡りの観光船も来て、絵になる光景でした。


撮影: 2011年7月

二之丸下ノ段を散策した後は、大手門跡まで戻り、
ここから二之丸を目指しました。


撮影: 2011年7月

太鼓櫓と中櫓を眺めながら二之丸へと続く
石段を上りました。

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二之丸

二之丸下ノ段を訪れた後、
大手門西側の石段を上ります。
頭上に太鼓櫓が聳えていました。


撮影: 2011年7月

石段は二之丸へと続いていますが、
その中程で踊り場があります。


撮影: 2011年7月

踊り場には石垣があり、ここからは
先ほど訪れた二之丸下ノ段が見えました。


撮影: 2011年7月

ここからもう一段石段登ると二之丸です。
本丸の武具櫓の櫓台の石垣の下が
二之丸入口の三之門跡です。


撮影: 2011年7月

二之丸の入り口には木の柵が巡らされています。
その内側左手に、定御番所跡がありました。
定御番所の隣には御門東之櫓があったようです。

その奥には2001年に復元された太鼓櫓が建っています。


撮影: 2011年7月

太鼓櫓の内部には入る事が出来、そこからは大手門や
馬溜の様子が手に取るように眺める事が出来ます。


撮影: 2011年7月

戦時には、櫓は攻撃拠点になります。
この光景を見ると、城内に侵入した敵は、
櫓に籠った城兵からはその姿が一望出来、
一網打尽に出来てしまう事がよく判ります。

太鼓櫓の正面には古風な造りのトイレがありますが、
ここには井戸時代には番所があったようです。
立派な井戸も残っていました。


撮影: 2011年7月

太鼓櫓から南に向かうと、中櫓があります。
この中櫓も2001年に復元されています。


撮影: 2011年7月

中櫓からは大手門前の中堀が一望出来ました。


撮影: 2011年7月

そして中櫓から更に南に向かうと南櫓です。


撮影: 2011年7月

南櫓は2000年に復元されています。
南櫓の脇には、秘密の抜け道の
ような狭い通路がありました。


撮影: 2011年7月

石垣の間の狭い通路を抜け冠木門を
抜けると、千鳥橋の袂に出ました。

この通路の位置や構造を考えると、万が一の
時の城主の脱出用に築かれたものでしょうか。


撮影: 2011年7月

千鳥橋から眺める内堀の様子です。

再び二之丸へと戻りました。
二之丸の西側には興雲閣という瀟洒な建物が建っています。


撮影: 2011年7月

江戸時代には、ここに御書院が建っていました。
明治になり、松江城の建造物は天守を除いて取り壊されて
しまいますが、山陰地方に明治天皇の御幸の計画が立てられ、
1903年(明治36年)にその宿として建てられました。

この豪華な興雲閣は竣工したものの、日露戦争が勃発し、
明治天皇の山陰御幸は実現しなかった様です。

その奥には松江神社があります。


撮影: 2011年7月

松江神社は、堀尾吉晴、松平直政と松江藩中興の名主と言われる
7代藩主・松平治郷そして徳川家康が祀られています。

本殿は1628年(寛永5年)、拝殿は1661年(寛文元年)に築かれています。
江戸時代、松江城の境内には局長屋という建物が建っており、
これらの社殿は、松江の東照宮の建物だったようです。

復元櫓もあり見所の多い二之丸の散策を終え、
二之門跡から本丸へと石段を上りました。


撮影: 2011年7月

石段の左手には弓櫓跡の石垣が続いていました。

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本丸

二之丸から石段を上り、本丸に入りました。
本丸の入口には多聞櫓と門があります。


撮影: 2011年7月

本丸の中央に松江城の天守が聳えていました。


撮影: 2011年7月

五層四重の天守は1611年(慶長16年)に落成し、
江戸時代中期の1738年(元文3年)から1743年
(寛保3年)にかけて大改修が行われたようです。

2012年(平成24年)に松江城天守の築城時期を示す祈祷札が
松江神社で見つかり2015年(平成27年)に国宝指定されました。

松江城天守の様子は こちら です:

天守に登城した後、本丸内を散策しました。
江戸時代本丸は有事の際にだけ使用される
詰めの城とされ、天守は物置だったそうです。


撮影: 2011年7月

国宝天守と本丸入口の多聞櫓と門を振り返った様子です。
両者の間を進むと本丸の南東隅には武具櫓跡があります。

武具櫓跡からは二之丸へと向かう石段が
手に取るように眺められました。


撮影: 2011年7月

武具櫓跡から本丸を横切り、本丸の
北の端にある北ノ門跡に向かいました。

木々の生い茂る本丸の様子です。


撮影: 2011年7月

北ノ門跡は、乾櫓跡の石垣と多聞櫓の
石垣との間の埋門だったようです。


撮影: 2011年7月

本丸の門としては規模は小さく、石垣の間の
冠木門は、どことなく中世の古城の佇まいです。


撮影: 2011年7月

北ノ門を出て左手には奥去口ノ門跡がありました。


撮影: 2011年7月

奥去口ノ門跡の先は通行禁止になっていましたが、
北之丸跡と本丸跡の間を通る通路が見渡せました。


撮影: 2011年7月

北ノ門跡からは本丸の石垣を右手に
見ながら水の手門に向かいました。


撮影: 2011年7月

石垣の向こうに天守が眺められました。
坂道を下って行くと水手門があります。


撮影: 2011年7月

水手門は、桝形門型式の立派な門でした。
水手門は、本丸の搦め手門になっており、
堅い守りになっています。

水手門を抜けた先には馬洗池がありました。


撮影: 2011年7月

江戸時代は近くに鍛錬場があり、
鍛錬の後に馬をここで洗ったのでしょうか。

馬洗池から、本丸の石垣に沿って南に向かう事が出来ます。
高い位置から二之丸下ノ段の曲輪を見下ろす事が出来ました。


撮影: 2011年7月

広い曲輪一面に芝生が敷かれている様子は見事でした。
本丸の高石垣に沿って歩くうち、祈祷櫓跡の
石垣から天守を望む事が出来ました。


撮影: 2011年7月

急こう配の石垣の様子が見事でした。

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天守

二之丸から本丸に上り、本丸に
聳える国宝天守に入りました。


撮影: 2011年7月

天守へは附櫓から入る事になります。
附櫓の一階は石垣に覆われています。


撮影: 2011年7月

附櫓に入ってすぐ、通路は直角に曲がり、
附櫓の内部で桝形のようになっています。

この守りの形は、名古屋城の天守にも見られます。
名古屋城の登城記はこちらです。

そして、いよいよ附櫓から天守に入ります。


撮影: 2011年7月

附櫓と天守との間の壁には鉄砲狭間が開いています。
天守側から附櫓に向かって鉄砲を発射する為の窓で、
ここまで敵が侵入した事を想定した防御です。

階段を上り、2階に上がりました。


撮影: 2011年7月

明り取りの窓が少なく、現存天守特有の暗い内部です。


撮影: 2011年7月

柱も包板と呼ばれる、帯板や鎹で補強されています。
その武骨な容姿が戦国の世の薫りを感じます。

再び階段を上ります。


撮影: 2011年7月

この階は窓が多く、室内は明るくなっていました。


撮影: 2011年7月

天守から眺める本丸の様子です。
本丸の南側、遠くには宍道湖も見えていました。


撮影: 2011年7月

更に階段を上って最上階に向かいました。


撮影: 2011年7月

下左の写真は、最上階から下の階を眺めた様子です。
下右は最上階の様子です。


撮影: 2011年7月

最上階も質素な造りになっていました。
天守最上階から東を眺めた様子です。


撮影: 2011年7月

松江市の中心街が見えています。
そして、南を眺めた様子です。


撮影: 2011年7月

遠くに眺める宍道湖の様子が印象的でした。
江戸時代本丸は無人の状態で、天守は武具などの
物置になっていたようですが、松江藩の藩主は、
ここから宍道湖を眺めた事はあったのでしょうか。

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北之丸

松江城本丸の北側の水手門から北に向った
鎮守の森散策路から内堀を望みました。


撮影: 2011年7月

内堀に沿って塩見縄手の町並みが続き、
この左手には武家屋敷が残っています。

北惣門橋を渡り城外に出て、内堀に沿って歩きました。
北堀橋からは松江城天守を望む事が出来ました。


撮影: 2011年7月

塩見縄手に沿って西に向かって歩いて行くと、
内堀の越しの松江城は深い森に包まれていました。


撮影: 2011年7月

塩見縄手の武家屋敷を過ぎ、複雑に入り組む
内堀を新橋と稲荷橋の二つの橋を渡って
再び、松江城へと向かいました。


撮影: 2011年7月

上の写真は、稲荷橋から南を眺めた様子です。
堀の左手が松江城になります。

稲荷橋を渡ると、城内にも数軒民家がありますが、
それを過ぎると、左手に城山稲荷神社があります。


撮影: 2011年7月

城山稲荷神社は、松平直政が松江城に移封となった
翌年の1638年(寛永15年)に創建されています。


撮影: 2011年7月

急な石段を登って本殿へと向かいます。
石段を上った所には神門が建っていました。
下の写真は本殿の様子です。


撮影: 2011年7月

城山稲荷神社では、10年毎に神幸祭りが行われています。
「ホーランエンヤ」とも呼ばれるこの祭りは五穀豊穣と
無病息災を願う祭りですが、数多くの船が繰り出され、
日本三大船神事と言われているそうです。

境内には古い竈がありました。
大祭などで、藩主に奉納するご飯をこの竈で炊いたそうです。


撮影: 2011年7月

右の写真は、狐の石像です。
以前、城山稲荷神社の境内には数千もの狐の石像が
あったそうですが、今は2体が残るばかりです。
小泉八雲は良くこの境内の狐の石像を眺めていた
そうですが、この石像が気に入りだったそうです。

城山稲荷神社の南側には護国神社があります。


撮影: 2011年7月

この護国神社は江戸時代に北之丸だったようです。


撮影: 2011年7月

護国神社の南側には堀切のように丘陵地の
切れ目に通路が横切っています。

対岸の丘陵地の石段は、
奥去ノ口門から下る石段です。


撮影: 2011年7月

この堀切状の通路に下り、東に向かうと
本丸水手門の石垣に沿って歩きました。


撮影: 2011年7月

この先には二之丸下ノ段への入り口となる
きりきり門跡の石垣が見えてきました。


撮影: 2011年7月

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椿谷

松江城の東側にある、きりきり門跡から
中央部の丘陵地帯を横切り西側に向かいました。


撮影: 2011年7月

本丸と北之丸の間の堀切のような通路を通ります。
この先で、平地が広がります。


撮影: 2011年7月

江戸時代、松江城の西側には後曲輪と呼ばれ、
刀の手入れ油に用いる椿が植えられていました。
いまもその椿が残り、椿谷と呼ばれています。

松江城の西側には内堀が椿谷に沿っています。
その中ほどの亀田橋に出ると、丁度
お堀巡りの船が通りかかりました。


撮影: 2011年7月

亀田橋から内堀に沿って椿谷を南へと歩きました。


撮影: 2011年7月

散策路の内堀側には土塁跡が続いています。


撮影: 2011年7月

この先で東西方向の散策路とのT字路がありました。
このT字路では、土塁跡がはっきりと判りました。


撮影: 2011年7月

このT字路で左に折れ、松江城の中央部に向かいました。
二之丸の高台へと急な石段が続いていました。


撮影: 2011年7月

石段を上った先には二之丸への入り口、西ノ門がありました。
野面積の石垣は本丸南西隅にあった坤櫓の櫓台です。


撮影: 2011年7月

西ノ門跡を過ぎ、二之丸に入ります。
この通路の左手の石垣は本丸の石垣で、
坤櫓と弓櫓を繋ぐ多聞櫓が載っていました。


撮影: 2011年7月

通路の先には本丸への入り口の二之門があります。
その手前で引き返し、再び内堀沿いの散策路を歩きます。


撮影: 2011年7月

江戸時代の井戸跡がありました。


撮影: 2011年7月

椿谷の内堀沿いの道は、松江城の南の橋に繋がり、
千鳥橋(御廊下橋)の袂に出ました。


撮影: 2011年7月

左手の石段は、二之丸南櫓の横から下る道になります。
こうして広い松江城をほぼぐるりと一周しました。

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