二之丸下ノ段
松江駅から宍道湖の畔を松江城に向かって歩き、
宍道湖から流れ出す大橋川を渡ると、
松江の官公庁街になります。
その中にちょっとした公園があり、
そこに騎馬像がありました。
撮影: 2011年7月
松江藩第四代藩主・松平直政公の像です。
築城城主の堀尾吉晴の像でないのは、徳川家康の
孫・松平直政が1637年(寛永14年)に入城後、明治に
なる迄、松平氏が松江の地を治めたという事でしょうか。
ここからは亀田山山頂の松江城天守が見えていました。
撮影: 2011年7月
松平直政の騎馬像から北に向かうと、
松江城内堀の畔に出ました。
撮影: 2011年7月
復元された南櫓、中櫓そして太鼓櫓が眺められ、
当時の松江城の様子を髣髴とさせます。
大手木戸門跡から、松江城の二之丸に入りました。
大手木戸門跡脇には堀尾吉晴の像もあったようですが、
見落としてしまいました。
撮影: 2011年7月
松江城を訪れた2011年は松江城が築城されて
400年に当たり、イベントが催されていました。
大手木戸門跡を抜けた左手は馬溜です。
撮影: 2011年7月
壁に聳える石垣の上に建てられた中櫓と太鼓櫓が
見下ろすように聳え、その下に30メートル四方
程の空間があります。
馬溜という名前ですが、出陣する兵士や大名行列の
行列の一行がここで隊列を整えた事でしょう。
馬溜の北側、大手木戸門から入って右手に
大手門の礎石跡がありました。
撮影: 2011年7月
この大手門跡の先には、二之丸下ノ段の
広い曲輪が広がっています。
この二之丸下ノ段には、江戸時代には
米蔵が建てられていたようです。
撮影: 2011年7月
当時の建物跡に沿って溝が残っています。
二之丸下ノ段の西側には、本丸の石垣が続いています。
一直線に並ぶ石垣はなかなか見られないように思います。
撮影: 2011年7月
南北に100メートルほどの二之丸下ノ段を通り抜け、
北側の脇虎口ノ門に至りました。
撮影: 2011年7月
脇虎口ノ門は桝形門形式の門でした。
但し、門の周辺を囲う石垣は低く、
ここに櫓門は載っていたのでしょうか。
脇虎口ノ門を抜けると内堀に北惣門橋が架かっています。
撮影: 2011年7月
橋の向こうの松江博物館の古風な建物と相まって、
なかなかいい雰囲気を醸し出していました。
北惣門橋の北側は塩見縄手と呼ばれる地区で、
こちらも当時の佇まいが残っています。
撮影: 2011年7月
北惣門橋の南側は内堀が真っすぐ伸びていました。
一直線に伸びる石垣の様子も素敵です。
撮影: 2011年7月
その石垣の上から北惣門橋と松江博物館を眺めました。
丁度、お堀巡りの観光船も来て、絵になる光景でした。
撮影: 2011年7月
二之丸下ノ段を散策した後は、大手門跡まで戻り、
ここから二之丸を目指しました。
撮影: 2011年7月
太鼓櫓と中櫓を眺めながら二之丸へと続く
石段を上りました。
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二之丸
二之丸下ノ段を訪れた後、
大手門西側の石段を上ります。
頭上に太鼓櫓が聳えていました。
撮影: 2011年7月
石段は二之丸へと続いていますが、
その中程で踊り場があります。
撮影: 2011年7月
踊り場には石垣があり、ここからは
先ほど訪れた二之丸下ノ段が見えました。
撮影: 2011年7月
ここからもう一段石段登ると二之丸です。
本丸の武具櫓の櫓台の石垣の下が
二之丸入口の三之門跡です。
撮影: 2011年7月
二之丸の入り口には木の柵が巡らされています。
その内側左手に、定御番所跡がありました。
定御番所の隣には御門東之櫓があったようです。
その奥には2001年に復元された太鼓櫓が建っています。
撮影: 2011年7月
太鼓櫓の内部には入る事が出来、そこからは大手門や
馬溜の様子が手に取るように眺める事が出来ます。
撮影: 2011年7月
戦時には、櫓は攻撃拠点になります。
この光景を見ると、城内に侵入した敵は、
櫓に籠った城兵からはその姿が一望出来、
一網打尽に出来てしまう事がよく判ります。
太鼓櫓の正面には古風な造りのトイレがありますが、
ここには井戸時代には番所があったようです。
立派な井戸も残っていました。
撮影: 2011年7月
太鼓櫓から南に向かうと、中櫓があります。
この中櫓も2001年に復元されています。
撮影: 2011年7月
中櫓からは大手門前の中堀が一望出来ました。
撮影: 2011年7月
そして中櫓から更に南に向かうと南櫓です。
撮影: 2011年7月
南櫓は2000年に復元されています。
南櫓の脇には、秘密の抜け道の
ような狭い通路がありました。
撮影: 2011年7月
石垣の間の狭い通路を抜け冠木門を
抜けると、千鳥橋の袂に出ました。
この通路の位置や構造を考えると、万が一の
時の城主の脱出用に築かれたものでしょうか。
撮影: 2011年7月
千鳥橋から眺める内堀の様子です。
再び二之丸へと戻りました。
二之丸の西側には興雲閣という瀟洒な建物が建っています。
撮影: 2011年7月
江戸時代には、ここに御書院が建っていました。
明治になり、松江城の建造物は天守を除いて取り壊されて
しまいますが、山陰地方に明治天皇の御幸の計画が立てられ、
1903年(明治36年)にその宿として建てられました。
この豪華な興雲閣は竣工したものの、日露戦争が勃発し、
明治天皇の山陰御幸は実現しなかった様です。
その奥には松江神社があります。
撮影: 2011年7月
松江神社は、堀尾吉晴、松平直政と松江藩中興の名主と言われる
7代藩主・松平治郷そして徳川家康が祀られています。
本殿は1628年(寛永5年)、拝殿は1661年(寛文元年)に築かれています。
江戸時代、松江城の境内には局長屋という建物が建っており、
これらの社殿は、松江の東照宮の建物だったようです。
復元櫓もあり見所の多い二之丸の散策を終え、
二之門跡から本丸へと石段を上りました。
撮影: 2011年7月
石段の左手には弓櫓跡の石垣が続いていました。
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本丸
二之丸から石段を上り、本丸に入りました。
本丸の入口には多聞櫓と門があります。
撮影: 2011年7月
本丸の中央に松江城の天守が聳えていました。
撮影: 2011年7月
五層四重の天守は1611年(慶長16年)に落成し、
江戸時代中期の1738年(元文3年)から1743年
(寛保3年)にかけて大改修が行われたようです。
2012年(平成24年)に松江城天守の築城時期を示す祈祷札が
松江神社で見つかり2015年(平成27年)に国宝指定されました。
松江城天守の様子は こちら です:
天守に登城した後、本丸内を散策しました。
江戸時代本丸は有事の際にだけ使用される
詰めの城とされ、天守は物置だったそうです。
撮影: 2011年7月
国宝天守と本丸入口の多聞櫓と門を振り返った様子です。
両者の間を進むと本丸の南東隅には武具櫓跡があります。
武具櫓跡からは二之丸へと向かう石段が
手に取るように眺められました。
撮影: 2011年7月
武具櫓跡から本丸を横切り、本丸の
北の端にある北ノ門跡に向かいました。
木々の生い茂る本丸の様子です。
撮影: 2011年7月
北ノ門跡は、乾櫓跡の石垣と多聞櫓の
石垣との間の埋門だったようです。
撮影: 2011年7月
本丸の門としては規模は小さく、石垣の間の
冠木門は、どことなく中世の古城の佇まいです。
撮影: 2011年7月
北ノ門を出て左手には奥去口ノ門跡がありました。
撮影: 2011年7月
奥去口ノ門跡の先は通行禁止になっていましたが、
北之丸跡と本丸跡の間を通る通路が見渡せました。
撮影: 2011年7月
北ノ門跡からは本丸の石垣を右手に
見ながら水の手門に向かいました。
撮影: 2011年7月
石垣の向こうに天守が眺められました。
坂道を下って行くと水手門があります。
撮影: 2011年7月
水手門は、桝形門型式の立派な門でした。
水手門は、本丸の搦め手門になっており、
堅い守りになっています。
水手門を抜けた先には馬洗池がありました。
撮影: 2011年7月
江戸時代は近くに鍛錬場があり、
鍛錬の後に馬をここで洗ったのでしょうか。
馬洗池から、本丸の石垣に沿って南に向かう事が出来ます。
高い位置から二之丸下ノ段の曲輪を見下ろす事が出来ました。
撮影: 2011年7月
広い曲輪一面に芝生が敷かれている様子は見事でした。
本丸の高石垣に沿って歩くうち、祈祷櫓跡の
石垣から天守を望む事が出来ました。
撮影: 2011年7月
急こう配の石垣の様子が見事でした。
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天守
二之丸から本丸に上り、本丸に
聳える国宝天守に入りました。
撮影: 2011年7月
天守へは附櫓から入る事になります。
附櫓の一階は石垣に覆われています。
撮影: 2011年7月
附櫓に入ってすぐ、通路は直角に曲がり、
附櫓の内部で桝形のようになっています。
この守りの形は、名古屋城の天守にも見られます。
名古屋城の登城記はこちらです。
そして、いよいよ附櫓から天守に入ります。
撮影: 2011年7月
附櫓と天守との間の壁には鉄砲狭間が開いています。
天守側から附櫓に向かって鉄砲を発射する為の窓で、
ここまで敵が侵入した事を想定した防御です。
階段を上り、2階に上がりました。
撮影: 2011年7月
明り取りの窓が少なく、現存天守特有の暗い内部です。
撮影: 2011年7月
柱も包板と呼ばれる、帯板や鎹で補強されています。
その武骨な容姿が戦国の世の薫りを感じます。
再び階段を上ります。
撮影: 2011年7月
この階は窓が多く、室内は明るくなっていました。
撮影: 2011年7月
天守から眺める本丸の様子です。
本丸の南側、遠くには宍道湖も見えていました。
撮影: 2011年7月
更に階段を上って最上階に向かいました。
撮影: 2011年7月
下左の写真は、最上階から下の階を眺めた様子です。
下右は最上階の様子です。
撮影: 2011年7月
最上階も質素な造りになっていました。
天守最上階から東を眺めた様子です。
撮影: 2011年7月
松江市の中心街が見えています。
そして、南を眺めた様子です。
撮影: 2011年7月
遠くに眺める宍道湖の様子が印象的でした。
江戸時代本丸は無人の状態で、天守は武具などの
物置になっていたようですが、松江藩の藩主は、
ここから宍道湖を眺めた事はあったのでしょうか。
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北之丸
松江城本丸の北側の水手門から北に向った
鎮守の森散策路から内堀を望みました。
撮影: 2011年7月
内堀に沿って塩見縄手の町並みが続き、
この左手には武家屋敷が残っています。
北惣門橋を渡り城外に出て、内堀に沿って歩きました。
北堀橋からは松江城天守を望む事が出来ました。
撮影: 2011年7月
塩見縄手に沿って西に向かって歩いて行くと、
内堀の越しの松江城は深い森に包まれていました。
撮影: 2011年7月
塩見縄手の武家屋敷を過ぎ、複雑に入り組む
内堀を新橋と稲荷橋の二つの橋を渡って
再び、松江城へと向かいました。
撮影: 2011年7月
上の写真は、稲荷橋から南を眺めた様子です。
堀の左手が松江城になります。
稲荷橋を渡ると、城内にも数軒民家がありますが、
それを過ぎると、左手に城山稲荷神社があります。
撮影: 2011年7月
城山稲荷神社は、松平直政が松江城に移封となった
翌年の1638年(寛永15年)に創建されています。
撮影: 2011年7月
急な石段を登って本殿へと向かいます。
石段を上った所には神門が建っていました。
下の写真は本殿の様子です。
撮影: 2011年7月
城山稲荷神社では、10年毎に神幸祭りが行われています。
「ホーランエンヤ」とも呼ばれるこの祭りは五穀豊穣と
無病息災を願う祭りですが、数多くの船が繰り出され、
日本三大船神事と言われているそうです。
境内には古い竈がありました。
大祭などで、藩主に奉納するご飯をこの竈で炊いたそうです。
撮影: 2011年7月
右の写真は、狐の石像です。
以前、城山稲荷神社の境内には数千もの狐の石像が
あったそうですが、今は2体が残るばかりです。
小泉八雲は良くこの境内の狐の石像を眺めていた
そうですが、この石像が気に入りだったそうです。
城山稲荷神社の南側には護国神社があります。
撮影: 2011年7月
この護国神社は江戸時代に北之丸だったようです。
撮影: 2011年7月
護国神社の南側には堀切のように丘陵地の
切れ目に通路が横切っています。
対岸の丘陵地の石段は、
奥去ノ口門から下る石段です。
撮影: 2011年7月
この堀切状の通路に下り、東に向かうと
本丸水手門の石垣に沿って歩きました。
撮影: 2011年7月
この先には二之丸下ノ段への入り口となる
きりきり門跡の石垣が見えてきました。
撮影: 2011年7月
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椿谷
松江城の東側にある、きりきり門跡から
中央部の丘陵地帯を横切り西側に向かいました。
撮影: 2011年7月
本丸と北之丸の間の堀切のような通路を通ります。
この先で、平地が広がります。
撮影: 2011年7月
江戸時代、松江城の西側には後曲輪と呼ばれ、
刀の手入れ油に用いる椿が植えられていました。
いまもその椿が残り、椿谷と呼ばれています。
松江城の西側には内堀が椿谷に沿っています。
その中ほどの亀田橋に出ると、丁度
お堀巡りの船が通りかかりました。
撮影: 2011年7月
亀田橋から内堀に沿って椿谷を南へと歩きました。
撮影: 2011年7月
散策路の内堀側には土塁跡が続いています。
撮影: 2011年7月
この先で東西方向の散策路とのT字路がありました。
このT字路では、土塁跡がはっきりと判りました。
撮影: 2011年7月
このT字路で左に折れ、松江城の中央部に向かいました。
二之丸の高台へと急な石段が続いていました。
撮影: 2011年7月
石段を上った先には二之丸への入り口、西ノ門がありました。
野面積の石垣は本丸南西隅にあった坤櫓の櫓台です。
撮影: 2011年7月
西ノ門跡を過ぎ、二之丸に入ります。
この通路の左手の石垣は本丸の石垣で、
坤櫓と弓櫓を繋ぐ多聞櫓が載っていました。
撮影: 2011年7月
通路の先には本丸への入り口の二之門があります。
その手前で引き返し、再び内堀沿いの散策路を歩きます。
撮影: 2011年7月
江戸時代の井戸跡がありました。
撮影: 2011年7月
椿谷の内堀沿いの道は、松江城の南の橋に繋がり、
千鳥橋(御廊下橋)の袂に出ました。
撮影: 2011年7月
左手の石段は、二之丸南櫓の横から下る道になります。
こうして広い松江城をほぼぐるりと一周しました。
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