形原城
Ruins of Katahara Castle, Japan


登城日:
2010. 07. 17







【形原城概要】


形原城は、三河湾に突き出た
西浦半島の根元にあるお城です。

半島の東側に位置し、小高い丘陵地の端に築かれ
城跡からは三河湾を眺める事が出来ます。




形原城が最初に築かれたのは平安時代の終わり頃、
清和源氏義光の孫・方原二郎師光によるそうです。

松平信光の本拠・岩津城の登城記はこちらです。


その後、1487年から1488年にかけての長享年間に
松平三代信光の四男・与副(ともすえ)が
この形原城に移ったそうです。

その後、形原松平氏は大名となり、摂津高槻や
丹波篠山そして丹波亀山藩主となっています。


方原二郎師光が築いたお城が東古城という
地名の辺りで、現在古城稲荷神社があります。

室町時代に松平与副が築いたお城が
北古城・南古城の地名の辺りだそうです。



【形原城へのアクセス】


形原城は、名古屋鉄道蒲郡線の
形原駅南約1.2kmの所にあります。

名古屋鉄道蒲郡線の乗車記はこちらです。

形原駅から歩いて約15分です。




【形原城登城記】



2010.年7月17日に、形原城に向かいました。

形原駅前の道を海側に向かい、
形原港の交差点から高台を目指しました。

交差点の先に形原城の案内板がありました。



高台の上の様子です。



この建物の手前を左に折れると
形原城址に立つ城山稲荷があります。

高台の端に城山稲荷の入り口がありました。



稲荷神社の入り口からは
三河湾を眺める事が出来ました。



夏の陽射しを受け、輝くような海の様子です。

鳥居を抜けた境内の様子です。



境内の脇にお妙塚と呼ばれる塚がありました。



お妙は、形原松平氏五代目城主の
家忠公の長子・又七郎の乳母でした。

短気で家臣から嫌われていた又七郎の事を
心痛していたお妙ですが、1581年(天正9年)に
今川方の間者に、又七郎が暗殺されそうになった際、
お妙が身代わりになって又七郎の命を救ったそうです。

この塚は、そのお妙を忍んで造られたものだそうです。

因みに、又七郎は、後の6代目松平家信です。


城山稲荷神社の社殿は更に
一段高いところにありました。



お妙塚のあったところが二の丸で
社殿のあるところが本丸跡だったでしょうか。



城山稲荷神社の拝殿です。
社殿の隣には形原城の城址碑も立っていました。



松平本家の広忠が今川氏に従うと形原松平氏も
それに従い、桶狭間の戦いの後には
家康に従う様になります。

形原松平氏・6代の家信は1590年(天正15年)に
家康の関東移封に伴い五井の領主となり、その後
1601年(慶長6年)にこの地に戻り5000石の所領を得ます。
1618年(元和4年)に1万石の所領を得て、形原藩が成立します。

その後、家信は1619年(元和5年)に摂津高槻藩、
1625年(寛永12年)に下総佐倉藩の藩主となっています。

佐倉城の登城記はこちらです。


形原松平氏は、その後も丹波篠山と
丹波亀山藩主となり明治を迎えています。

篠山城の登城記はこちらです。
丹波亀山城の登城記はこちらです。


本丸跡の社殿の前からは、
三河湾が一段と良く見えました。



家康に従い、この地を離れ、各地で大名となった
形原松平家の栄華をしのぶよう様な明るい光景でした。



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