牧野城
Ruins of Maki Castle, Japan


登城日:
2009. 11. 07







【牧野城概要】


牧野城は、東三河に勢力を張った牧野氏が
四国・讃岐から移り住んだ際に、初めて築いた城です。

現地の案内板によると、田口伝蔵左衛門成富が
応永年間(1394年〜1428年)に、時の将軍・
足利義時の命でこの地に城を構えたそうです。




牧野城の場所は、JR豊川駅から東北東に
1.5km程行った田圃の中にあります。

発掘調査の結果、南北に102m、
東西に約80m程の大きさだったそうです。



この牧野城も掻揚城で、周囲に掘った堀の土で
土塁を築き、城館の守りとしていたようです。
牧野城址には、当時の土塁の一部が現存しています。

牧野城は、田口成富の子・牧野成時が1505年(永正2年)に
今橋城(今の吉田城)に移った際に廃城になりました。

吉田城の散策記はこちらです。

この際、牧野城から500m程南に、
長男の牧野能成が居館を構えたそうです。


【牧野城へのアクセス】


JR飯田線の豊川駅から東北東に約1.5km。
徒歩で20分です。


JR飯田線の乗車記はこちらです。





【牧野城登城記】



牧野成時が、主君の仇・波多野全慶を討つために
築いた瀬木城を訪れた後、牧野城に向かいました。

瀬木城の散策記はこちらです。

瀬木城から牧野城に掛けては田園地帯に
住宅が建つ平地が続いています。

豊川の氾濫平野で、当時は今ほど灌漑設備が
発達していなかったので、深田か葦の野が
広がっていたのではないでしょうか。


その途中に、讃岐屋敷跡がありました。



1505年(永正2年)に牧野成時の長男・能成が
居館として築いたものだそうです。





屋敷跡には古い立派な門が建っていました。



この門は鳳来寺から移築されたものだそうです。

鳳来寺の様子はこちらです。

1590年(天正18年)に、徳川家康の江戸移封に伴い
牧野氏一族も関東の大胡に移りますが、
牧野能成の子孫はこの地に留まったそうです。

その屋敷跡が一辺50m弱の
三角形の公園となっていました。




讃岐屋敷という名は、田口成富が讃岐の
出身だった為にその名が付いたそうです。


讃岐屋敷から500m程北に向かうと、
牧野城址がありました。





屋敷を囲っていた土塁の
一部が今も残っていました。



高さは3m程、幅は最大で13mにもなるそうです。



立派な土塁でしたが、住宅や温室の建つ
周囲の景色からはなかなか当時の様子を
なかなか想像出来ませんでした。



土塁の上に建つ城址碑と小さな祠です。
牧野氏は後に、越後長岡藩の藩主となっています。

長岡城の様子はこちらです。


その歴史が、この三河の牧野城から
始まったかと思うと感慨も深いものがあります。



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